第51話 推敲と整形

 今、『鎮めよ!』をカクヨムコンにエントリーしようと、せっせと推敲、修正している。


 正直、しんどい。


 近況ノートの方で報告しているが、全ての回で修正が入る。

 書き初めはエンディングを考えずに書いていたので、後半のエンディングに繋げるために辻褄が合わないところの修正くらいで済むと思ってた。


 ところが、誤字脱字はゴロゴロしてる中、自分で読んでても意味がわからない文章が入ってたり、辻褄合わせどころの騒ぎじゃない。


 それにちょこっと変えると、他のところも変えたくなり、収拾つかなそうになる時がある。もう、まっさらにして初めから書き直そうかという気分になったりする。

 それをグッと堪えて、なんとか満足いく状態で修正して37話まで公正した。


 話が飛んでしまうが、美容整形した人がテレビ出たりすると、中には「なんでそこまでやるの?」という人が出てきたりする。こっちを変えたら、あっち。そこも変えたら、こっちも。やり始めたら止まらなくなってしまう気持ち、少しわかるかもしれない。


 音楽エッセイの方にも書いたけど、デッドオアアライブのピート・バーンズ氏も、メチャクチャ男前だったのに、唇を厚くしたりどんどんエスカレートしていってしまった気がする。でも本人は美しくなりたいわけだから、本人は満足してるんだと思うけど。


 べつに整形する人を非難してるわけじゃない。髪を切ったり、髭を剃ったりするのと同じ感覚だと思っている。タレントでもちょっと整形してる人で、「そんなの作り物、偽物じゃないか」と非難する人もいるけど、結局整形しててもしてなくても、この人は綺麗だと思うんなら、それが整形してたって、それはそれで綺麗だと思ったんだから仕方ない。


 筋肉もそうだ。やっぱり腹筋が割れてる方がいいと思うけど、それが顔とのバランスが不自然なほどバキバキにまでなってると、どうも違和感がある。


 たぶん、ある一定を越えてしまうと自分では止めれなくなってしまうのでしょうか。


 整形にしろ筋トレにしろ、本人が満足してればそれは本人の自由だと思う。周りがとやかく言うことではない。

 けど、やりすぎてる人を見ると、ちょっと嫌だな、と思ってしまうのも、こちらの自由ではないか。


 話が逸れすぎてしまったが、やり過ぎて止まらなくなる人の気持ちはわかる、と言いたいだけだ。だけど、それを受け取る方が、それで良いとも限らない。要は、バランスが大事。丁度よいのが、1番良いのだ。その丁度良いところで止められることが、センスなんだと思う。


 推敲もやり過ぎてもいけないし、やらないのもダメ。これで良い、というところまで必要なところまで絞らなければならない。


 そのセンスが、メチャメチャ重要だと思う。

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