第20話 駄文の必要性

 僕の小説は、8割がいらない文章だ、と思う。ストーリーだけ追えば、5分の1くらい、あるいはそれ以下で終わってしまうと思う。


 ただそれを直す気はない。僕はこの「いらない文章」にこそ、僕が言いたいことがあるのではないかと真剣に考えている。(言い訳がましいが)プロット的にはありきたりの内容であるが、くだらないことを言いたいのだ。

 辛いことがあっても、忘れてヘラヘラして生きていきたい。調子こいた人でありたい。フラフラしてたい。行き当たりばったりの人生なのです。


 と言っても、賭け事ばかりやったり、酒飲んでばかりとかいう人間でもなければ、世捨て人でもない。家族は大切にしてるし、家族のために頑張ろうという気持ちは、どの父親にも負けないくらい思っている。でも、フラフラしてたい。


 そのフラフラしてたいのが、作家になることなんて世の中舐めてる!と言われてしまうが、少しは努力している、が、少しだ。努力してるのを見られてしまうと、フラフラしてたいが、になってしまうと、僕が目指すではなくなってしまう。なにが言いたいのかわからなくなってきた。


 話を戻す。


 現在、アパレルで販売員をやっているが、最近のスタッフ教育はロジックに考えるように指導される。このロジカルシンキングというものが苦手だ。効率良くお客様にご要望を聞き出す、何を捨てて何に特化して修正するか、何を取り組んで何の数値を上げていくか、達成率は?なんか、そればっかりではないと思うというのが個人的な意見。

 マネジメントの仕事では、スタッフ育成のためには、そのやり方を勉強する必要はもちろん感じているし、実行もしている。

 でもネットで簡単に買える時代に、お客様がリアル店舗に求めていることはなんだろうか。スムーズな対応や正しいサイズなど、また効率化を図るためにはターゲットを絞ることも大切だろう。分析も必要になる。でも、それってネットで充分対応できる世の中になってしまってるのではないか。


 僕は、雑談もあって関係ない話で盛り上がって、グダグダになってしまったとしても、なんだか親近感が湧いてきて、なんか買ってもいいかな、と思ってくれるお客様は少なからずいるのではないかと考えている。

 世の中、必要なことだけを篩にかけて、不必要なものを排除してしまったら、なんともつまらない世の中になってしまわないだろうか。


 僕の接客は、多分8割くらいは不必要な話をしているんだと思う。お客様も「」と言われるのが、最高の褒め言葉だ。


 だから小説もが書きたい。ではなく、、だ。ここは間違えちゃいけない。

 だから、ふざけたシーンを多くする。ふざけたシーンこそ必要なのだ。でも、全部ふざけたシーンにしてはいけない。本質が2割ほどなくてはならない。その2割が伝えたいことの全部だけど、その2割がそれ以上に感じさせてはならない。8割、それかそれ以上の『ふざけ』で伝えたいことを隠す。カッコつけたことを言いたいが、「なーんちゃって」と照れ隠しをしているのだと思う。

 伝えたい本質は、気づいてもらえなくて伝わらなくても構わない。

 これが接客だと、この素材は洗えないとか、1ヶ月に1回くらいはケアしてくださいね、だけでも伝われば、あとは楽しんでいただければ万々歳。


 というのは、世の中ギスギスしないために、最優先事項だと思っている。


 そんなの小説を書き続けたい。そして楽して生きていきたい。それでもって悠々自適な生活を送りたい。ついでにコロナが終わったら、毎年ハワイに行けるような金と時間が欲しい。


 あ、やっぱり世の中甘く考えてますね。

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