2121年の葬送
@yaa5hun
ある日のお葬式。
おじいちゃんのお通夜の日、お母さんは真っ赤になった。
それはまったく突然のことで、どれくらい驚いたかって、ぼくは朝食のオレンジジュースを盛大に噴き出してしまったし、お父さんは目玉焼きにかけるはずの醬油でトーストをびじゃびじゃにしてしまったほどだった。妹のチセだけはいつも通りシリアルを大きさの順番に並べて悦に浸っていたけれど、まだ三歳の彼女には少々難解な状況だったのだからむべなるかな、と思う(むべなるかな、という言葉を最近知ったので使ってみたかったのだろうという指摘は否定しない。むべなるかな)。
念のために書いておくと、ここでいう「真っ赤」というのは「赤面した」という意味ではもちろん無い。お母さんは文字通り、頭から足先までが真っ赤だった。赤い服、赤い靴、赤い爪、それならまだしも、昨日まで艶やかな茶色(あとでお父さんからブルネットというのだ、と教わった)だった髪の毛までが、燃えるような赤色になっていた。一面の赤に、透き通るように白い顔だけが浮かび上がっていた。
そんな調子だから、葬儀場についた時におばあちゃん(正確には、父方の祖母)が見せた反応にも、一定の理解を示すことが出来る。
「いったいなんなんだい、その恰好は」
おばあちゃんの怒声に、ぼくはおもわずチセの耳をふさいだ。もともと仲の良い嫁と姑とはいえない二人だけに、おばあちゃんの癇癪はすさまじいものがあった。第一声の勢いのまま、みだりに書くことのできない罵詈雑言を浴びせかけ、普段はすぐさまお母さんを守ろうとするお父さんも、トイレから戻ってきた姿勢のまま固まってしまったほどだった。
「わたしの旦那を侮辱する気かい、すぐに着替えてきなさいっ」
唾をまきちらし喚きたてるおばあちゃんに、しかし一方でお母さんは毅然とした態度でこう言うのだった。
「わたしは、わたしのやり方で最大限の弔意を示しているだけです」
遠巻きに眺めるお客さんたちは一様に黒や灰色、紺色の服を着こんでいる。堂々としていたけれど、浮いているのは明らかにお母さんの方だった。それでもお母さんの自信は揺らがなかった。そう、それでこそぼくのお母さんなのだ。
「ユウタとチセには黒い喪服を着せています。それでも、わたしは着れません」
お母さんは諭すようにそう告げたものの、ジェットエンジンにケロシンを注いでいることに変わりなく、それはそのまま第二ラウンドのゴングになった。とはいえ、次こそはお父さんが割って入るだろうから、もう少し手短に終わるだろう。ぼくは三歳の妹を教育的に有害な光景から遠ざけるため、ガラス張りのロビーからバルコニーへ出た。
バルコニーからは青々とした公園を見渡すことができ、春の日差しがチセの亜麻色の髪をふわりとかき上げた(誌的な表現を試してみたものの、実際にはガラス越しに壮絶な罵倒合戦が繰り広げられていたため、みなさんが想像するほどのどかな時間ではない)。
「うちゅーせん」
バルコニーの手すりにかけよったチセが、小さな手を振り上げた。むちむちした指の先、青空の向こう側には、ぼんやりと白く霞んだ軌道ステーションが浮かんでいて、なるほど、周囲に二、三隻の恒星間宇宙船が見えた。しかも、あれは確か。
「チセ、めずらしいよ。ほら、あの三角形の宇宙船」
ぼくはそういって、チセを抱きあげた。
「あれは、お母さんの故郷から来た船だよ。ダルドリヲ星系の第四惑星」
チセにはまだ難しいと分かっていたけれど、ぼくは説明せずにはいられなかった。それくらいダルドリヲの宇宙船は珍しい。定期便は無いはずだから、チャーターか、公用か。その特徴は円錐形を三つ束ねたような特徴的な形態で、それぞれが推進機構であると同時にその接合部に配置された居住区画を支持する構造材としての役割を(以下略)。
「おかあさんのふね?」
きょとんとした様子のチセに、ぼくは精一杯の威厳を込めて尊敬すべき母のはるかな冒険の物語を聞かせようとした。その物語は、こんな風に始まる。
「ダルドリヲ星系第四惑星ボヤの都市国家アラヒヤ。お母さんはそこで生まれたんだ」
「屁理屈言うな。ここは地球だ。地球のルールに従いなさい」
「わたしたち——アラヒヤでは、葬礼の時に黒い服を着るのは禁じられています。黒い服は死神の装束で、だから黒い服を着るとその怒りを買う。そう信じられているんです」
「そんなの知ったこっちゃない。地球では通夜の時に赤い服を着るのは失礼にあたるの」
「それは存じ上げています。が、それは後付けのしきたりだという地方もあると聞きます。そもそも日本の歴史においては喪服が白いものだった時代の方が長いとされていますし、東北地方のいち地域においては赤い死装束を着せて野辺に送るといった風習も見られ——」
「あんた、なに様のつもり。異人のくせに馬鹿言わないで」
「おい、その言い方はないだろ」
勇壮なる宇宙の民、その血を引く母の大冒険と、漂流の果ての父との出会い、そして奇跡のようなぼくとチセの誕生についての大いなるロマンティックSF冒険譚を語りを終え、ロビーに戻ったぼくとチセを待っていたのは、嫁姑戦争の第三、いや第四ラウンドだった。
「異人なんて言葉、ユウタとチセの前で使わないでくれ」
「アキラ、あなたまで…」
ショックを受けたように大げさに涙をふく素振りをするおばあちゃんを見て、ぼくはやれやれと首をすくめた。おばあちゃんは何かあるとすぐに涙を流すけれど、ぼくはそのやり方には感心しない。冷たい奴だと思われるかもしれないが、同情を引こうとするようで卑怯な感じがするのだ。小学校のクラスメイトであるユキちゃんにも同じように泣き上戸なところがあり、ぼくが反論をするとすぐに泣きだしてしまうのだ。しかも、ちょっかいを出してくるのはユキちゃんなのだから手に負えない。——え? ユキちゃんがぼくを? ……ちょっと何を言いたいのかわからないです。
さて正直なところ、ぼくはおばあちゃんがあまり好きではない。すぐに感情的になるのも間違っていると思うし、それよりお母さんのことを馬鹿にするのは許せない。その点、おじいちゃんはぼくと同じくお母さんから冒険を話を聞くのを楽しみにしていて、だからお母さんもぼくも、おじいちゃんが亡くなった時には抱き合って泣いたものだった。そんなお母さんに対して、「旦那を侮辱する気か」なんてひどい。静かに送り出してあげたかったのに、台無しにしているのはおばあちゃんじゃないか。
そこまで考えてひらめいた。そうか、おばあちゃんはお母さんに嫉妬しているのだろうか。お母さんはおじいちゃんと仲が良かったから、ありえそうなことだ。なるほどなるほど。
ぼくがひとり頷いていると(チセははやくもぼくの手を離れ、おじいちゃんの遺影の前の座布団で遊び始めていた)。聞きなれた声が後ろから呼びかけてきた。
「ユウタも苦労するね」
この声は。ふりむくと、案の定そこには、見知ったヒナおばさんの姿があった。お父さんの妹で歌手をやっているヒナさんは、言葉は乱暴だけれどお母さんとは大の仲良し。つまり味方だ。ぼくの期待に応えるように、ヒナおばさんはさっそくおばあちゃんとお母さんの間に割って入った。
「母さん、別にいいじゃん。ほら、あたしだってこんな髪なわけだし」
ヒナさんの髪は、光の具合によってきらきらと色を変える斬新なものだった。軌道ステーションで歌手をしているヒナさんは、常に最先端のファッションを取り入れるのに余念がない。「これ、ナファリ星系のトレンドなんだよね」と、ぼくは密かに耳打ちをされた。くすぐったいような、気持ちいような。ふむ、これが大人の色気だろうか。
「ヒナ、あなたのは仕事でしょ。この人はそうじゃない、ほら、それに服まで赤よ⁉」
なるほど、確かにヒナさんは一応、黒いドレスに身を包んでいた。いくら地上に降り立つのが年に数日という生活を送っているといえ、地球生まれの地球育ちのヒナさんにとって、やはりお通夜とは黒い服で来るものらしい。
ヒナさんが言葉に詰まりチューブ状の髪をもてあそんでいると、開け放たれたバルコニーからごう、と強風が吹きこんで、会場に悲鳴が上がった。キュルキュルと回転する推進翼の駆動音。ぼくにはそれが一瞬で有人ドローンの音だとわかった。となると、きっと乗っているのはカズおじさんだ。
「間に合ったぁ。いやあ、おれがびりっケツかな。すまんすまん」
予想通りドローンの中から現れたカズさんは、お父さんのお兄さんにあたる。いつも地球のあちこちを飛び回って、不法侵入した異星人たちの摘発を行うのが仕事だ。自分で改造した有人ドローンにまたがって空を飛び回る姿は、ぼくのひそかな憧れだった。
「やあ、レナさん、これは見事なドレスだ。アラヒヤの喪服はいつ見ても美しい——しかもこの生地、ネガペの最高礼装じゃないか。いやあ、レネウ染めの実物を見るのは初めてだ。親父も泣いて喜ぶよ」
カズさんは持ち前の陽気さのままそうまくしたてたが、だれもがその顔を見て言葉を失っていた。もちろん、ぼくも。それはカズさんが上下デニムだったからではない。カズさんのシンボルである褐色に焼けた肌の上には、鮮やかなスカイブルーの刺青が入っていた。額から頬、そして首を通って手足の先までに至るタトゥーは微細かつ優雅、それでいてどこか野性を感じさせるデザインで、明らかに地球外のものだと見て取れた。
「兄さん、何そのタトゥー。めちゃくちゃクールじゃん……」
ヒナさんの言葉で場の空気を察したのか、カズさんは照れくさそうに笑みをこぼした。
「ああ、これか。いや、実は調査でスヌのやつらの居留区に入らなくちゃいけなくてなあ。せめてやつらのタトゥーくらい入れれば敵対してないとアピールできるかと思ったんだが、これが女性用の柄だったらしくてな。危うく掘られる——っと、すまん」
お母さんとヒナさんの目線に射すくめられ、カズさんは言葉を濁した。なんだろう、後で聞いてみよう、ぼくはそう心に決めたが、カズさんは誤魔化すように僕の頭をなでると、
「ユウタ、でかくなったなあ」
と、笑った。頭の上に置かれたカズさんの手は大きくて分厚くて、褒められたぼくは年甲斐もなく(ぼくはもう十一歳である!)嬉しくなった。
さておばあちゃんはと思えば、流石に愛息子のタトゥーがこたえたらしく、よろよろと棺桶に歩み寄るとその上に突っ伏してしまった。カズさんの援軍で初めてのノックダウンを獲得したものの、さしものお母さんもかける言葉がなく、きまり悪さをごまかすようにカズさんを振り仰いだ。
「そういえばカズ、ハルハさんは?」
ハルハさんはカズさんの奥さんだ。いや、おれは職場から直接来たから、ひとりで来るよう伝えてたんだが——カズさんがそう言うが早いか、葬儀場のドアがばんと開き、大小五つほどの緑色の球体がなだれ込んできた。戸惑いを隠せない一同をよそに、そのうち最大のマリモ(マリモとは、数十年前まで北海道に生息していた球形をとる藻類の通称で、会場になだれ込んできたその球体は、図鑑で見たマリモにそっくりだった)がカズさんのそばに一直線にやってくると、
「ちょっと、あなた直接行くならそうと言ってよ」
ときれいなソプラノの声をあげた。
「ハルハさん。素敵な喪服ね」(註・ヒナさん)
「いや、おれは職場からいくっていったって!」(註・カズさん)
「みどい、みどい!」(註・チセ)
会場が一気ににぎやかになった。中でもとりわけ大きな矯正をあげたのはヒナさんだった——噂には聞いていたけど、ミオルカ星人の
ハルハさんと一緒に転がり込んできたのは、ぼくの従兄弟たちだった。年はみんなぼくより下で、長男のミレリリが七歳、一番下の長女(下なのに長女というのは面白い表現だと思う)のエナカはチセと同じ三歳になる。とはいえ、ミオルカ星の言語しか喋れない彼らとはなかなか打ち解けられていないのだけれども。
一気ににぎやかになった会場の中で、ぼくはゆっくりと棺桶に歩み寄った。お葬式ではてかてかとしたプラスチック製だった棺桶は、今日は希少な木材がふんだんに使われたものに変わっていて、近寄ると大好きな公園のにおいがした。車中でお父さんが話してくれたところでは、昔の棺桶はみな木材だったらしく、おばあちゃんがお通夜はどうしても、と拘ったのだという。
棺桶の中に横たわるおじいちゃんの顔を見つめて、騒がしい限りだね、ぼくたちの家族は。と、そんなことを語りかける。お母さんの大冒険を二人で聞き入った時のことを思い出して、鼻の奥がつんとした。
傍らの椅子ですっかり脱力してしまったおばあちゃんは、そんなぼくを見てうっすらと笑みを浮かべた。
「ユウタ、おばあちゃんが古いのかねえ。昔ながらのお葬式なんて、もう流行らないのかもしれないねえ」
ひとりごとのような、問いかけのような。ぼくは何と言っていいかわからず、棺桶の中を見つめた。そこには、生きているときと変わらないおじいちゃんの姿があった——チタンコートのボディに、金属繊維でできた駆動部と、様々な表情を可能にする全方位可動
そもそも最先端のアンドロイドを火葬する行為を、お葬式と呼んでいいのか。僕は常々思っていたけれど、口には出さずにいた。
午後になって、棺桶はプラズマ火葬炉に入れられた。極彩色の参列者が思い思いの方法でおじいちゃんを弔う中、ぼくは再びバルコニーへ出ると、空を見上げた。
「あ、虹」
プラズマ焼却されたおじいちゃんの体(の貴金属)は複雑な化学反応を起こし、焼却炉から立ち上る煙は、七色に輝いていた。
了
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