はつこいの、ほんとう

 自身の話題チョイスミスにより篤哉くんの奥さん(予定)の話を聴く破目になってしまったけれど、十五分ほど経過した頃おばさんからお茶をしようと誘いがあり、私と篤哉くんは一階に降りて四人でのほほんティータイムを楽しんだ。……雅弥はいなかった。まだ帰ってきてないらしい。どこ行ったんだろう。ほっとしたような、モヤっとするような複雑な気持ちだ。

 四人での楽しいティータイムを終え、私と篤哉くんはまた二階に上がった。何となく一緒に上がってきてしまったものの、よく考えると話題がない。どうしよう。はっ!そう言えば私は告白がしたいんだった。わ、忘れていたわけではなくて、いろいろあったから!ほら、ね!

 とにかく!すっかり出鼻を挫かれてしまったけれど、ついに告白する際チャンスがやって来た。この機会を逃せばまた告白なんてできなくなってしまう。次に会うときは篤哉くんは既婚者だ。既婚者に告白するとか人道的によろしくない気がする。昨夜は初恋ができ婚で大破してしまった衝撃で血迷って『結婚前に思い出をもらいたい!!』とか鼻息荒く馬鹿なことを考えていたけれど、冷静になってみればそれはない。絶対にない。結果的に失敗に終わってよかった。まあもしも私が篤哉くんに体当たりかましたところで篤哉くんは誠実だからきっと突っぱねられてたよね!うん!

 とにかく気持ちの踏ん切りをつけるには告白はしておきたい。結婚前に言えるチャンスは今日しかないのだ。いえ、言うんだ私!

 ごくり、一度唾を飲み込み篤哉くんを見つめる。


「あっ、あのっ!あ、篤哉くん!!」


 焦りのあまり#吃__ども__#ってしまった。ううっ!


「どうしたの?」

 

 不審な私に優しく微笑んでくれる篤哉くん。かっこいいいいいい!ってそんな場合じゃない。必死に伝えたいことを頭の中で整理して口を開く。


「あ、あのね!いつも篤哉くんは優しく私の面倒を見てくれてたよね」

「ん? ああ、そうかな?」


 唐突な私の切り出しに、篤哉くんはよく分からないといった反応を見せた。昔私にすごく優しくしてくれたのに、無自覚だったのか。

 拳を握り込み、私は居住まいを正して篤哉くんに向き直る。篤哉くんは不思議そうに私を見つめた。


「あ、あのね、私ね」

「うん?」

「優しくてかっこよかった篤哉くんのことがずっと好きだったの。……今も、好きなの」


 言った、言ってしまった。顔から火が出そうだ。でもこれは完全に自己満足でしかない。自分の気持ちの整理がつけたいがためのエゴというか。結婚を控えた篤哉くん的にはさぞ迷惑だろう。でも優しいからきっと困ったように『ごめんね、気持ちには応えられないよ。でもありがとう』とか言ってくれるん…………


「え?そうなの? 嬉しいなぁ」


 篤哉くんがニコッと笑う。あ、あれ?想像と違いすぎて困惑する。そ、そうか、きっと伝わってないんだ。家族愛的な意味にとられたんだ。


「れ、恋愛的な意味なの!」


 私は意味合いを念押しした。


「うん、すごく嬉しいよ」


 ニコニコと篤哉くんは変わらない。いや、軽っ!反応軽っ!


「じょ、冗談じゃないよ?結婚するって聞いてショックだったけど、篤哉くんの幸せは願ってるよ。でも、気持ちを伝えたかったの」

「うん、ありがとう。梨子みたいなかわいい子にそんなふうに言ってもらえて本当にうれしいよ」


 少しの違和感を感じる。篤哉くんってこんな感じだったっけ?


 目の前の彼をじっと見つめる。篤哉くんの目が緩く弧を描いた。このやさしい目つき、やっぱりいつもの篤哉くんだよねと、ふと湧いた疑念を振り払う。そして私は言葉を続けた。


「篤哉くんがね、小さい頃からいつも雅弥の意地悪からかばってくれたり、私が困ってたり悩んでたりしたらこっそり私を手助けしてくれてたでしょう?すっごくうれしかったんだ。だから、だからね。私、優しくて紳士な篤哉くんがかっこよくて大好きなの」

「……手助け?」


 私の話を聞いて篤哉くんが、心当たりがないとでも言うように小さく首を捻る。


「そうだよ。私が困って泣き疲れて寝た後とかにこっそり解決してくれたりしたの。覚えてない?」


 私が言えば篤哉くんはしばらく記憶を探ってから、


「う~ん…………ああ! ふふ、そうだね。覚えてる、かな」


なにやら意味ありげにくすりと笑った。


「だからね、その頃からずっと好きで」

「そんなに長く俺のこと好きでいてくれてたんだ」

「え?う、うん……」


 いざそう言われると照れてしまう。そりゃ好きだけどね?今更ながら恥ずかしくなってきた私は俯いてしまった。


「あーあ、勿体無いことしたなぁ」

「え?」

「子供の時の梨子は対象外だったけど、今の梨子ならイケるのに」

「――――え?」


 耳を疑った。今篤哉くん、なんて言った?

 篤哉くんの手が伸びて、私の髪に触れる。


「あ……」


 瞬間、ゾワッと全身が総毛立った。私は思わず身を強張らせる。好きな人に触られるなんて嬉しいことのはずなのに。私は篤哉くんの顔を見た。そこにあったのは、いつもの優しい笑顔じゃなくてーーーー笑っているのに、まるで知らない男の人のようだった。大好きだった笑顔が気味の悪いものに見えた。


「ねえ梨子。俺とシてみたい?」


 篤哉くんの指先が私の髪を弄ぶ。 


「な、何を……?」


 私が訊ねると分かるでしょ?と言わんばかりに篤哉くんは笑みを深めた。その仕草に血の気が引く。


「結婚する俺にわざわざ告白してきたってことは思い出が欲しいのかなって思って」

「そ……」


 カッと頬が熱くなった。そんなことないと反論しきれなかった。今は思い出をもらいたいとか思っていないけれど、昨日の酔った私は確かにそう思っていたから。今が大好きな篤哉くんに抱いてもらえるチャンスなのかもしれない。けれどもうそんな風に思えなかった。


「どうする?梨子」

「篤哉くんには結婚前の彼女さんいるでしょ、何言ってるの?」

「いいよ。俺と梨子が黙ってればバレないんだからさ。梨子もそのつもりでここに来たんでしょ?」


 誰だ、これ。篤哉くんは優しくて真面目で誠実で紳士で、こんなこと言う人じゃなかったのに。


「ど、どうしちゃったの、篤哉くん」

「何が?」

「だ、だって、そんなこと言う人じゃなかったじゃん!私の知ってる篤哉くんは真面目で頭良くて誠実で誰にでも平等で優しくて紳士で……」


 私がここまで言ったところで、篤哉くんが盛大に噴き出した。全身を震わせて息苦しそうになりつつも腹を抱えて笑っている。なんで笑っているのかが全くわからない。私が呆然と篤哉くんを見つめていると、やっと笑いのおさまった篤哉くんが私を見た。


「梨子から俺ってそんな風に見えてたんだ?」


 笑いはおさまったものの腹筋は痛いのか、篤哉くんは手で腹を押さえている。


「そうだよ。なんで変わっちゃったの?あっちが篤哉くんを変えちゃったの?」

「変わってないよ。こっちにいる頃から俺はこう」

「う、嘘だ!」

「嘘ついてどうするの」


 私が否定すると篤哉くんはまたおかしそうに笑う。


「俺結構女好きだよ」

「んん!?嘘だぁ、こっちにいるとき彼女いなかったでしょ?」

「彼女じゃなくてセフレは何人かいたよ」

「はい!?!?!?」


 爆弾発言が来た。当時篤哉くんは高校生だった。それなのにセフレが!!何人も!?数年の時を経て知らされる事実にただただ愕然とするしかない。


「た、爛れてる……」

「寄ってくるからつい?」

「えぇぇ……」


 篤哉くんが小首を傾げたが、とんでも発言のせいで全く可愛くない。正直ドン引きである。


「女の子は柔らかくて気持ちいいし、好きって言われれば可愛いからね。でも付き合うのとかはめんどくさくてさ、そうなるとセフレになるんだよ」


 言ってることがハチャメチャにクズだった。外見からは考えられないほどクズだった。


「そんな風に全然見えなかったよ……」


 初恋は幻想だったのかと、私は肩を落とす。優しくしてもらった事実には変わりないけれど、衝撃のクズ発言に私のメンタルはズタボロだ。


「そりゃ妹みたいに思ってる子の前でそんなの出さないよ。教育に悪いし」


 篤哉くんはくすくすと笑った。教育に悪い自覚はあるんかい!


「それに……」

「それに?」

「……あー、うん、なんでもない」


 篤哉くんは何かを言いかけ、マズいと言わんばかりの顔をした後結局言葉を濁した。一つ咳払いをして話を元に戻す。


「えー、それから高校を卒業してあっちに行ってから彼女も作りつつセフレもいつつで過ごしてたんだけど、今回の彼女をうっかり妊娠させちゃってね。責任取って結婚することになったんだ。本当はもう少し自由でいたかったんだけどなぁ」


 チラリと篤哉くんか私の胸元を見た。そして開いていた私との距離を、篤哉くんが身をずらして詰めてくる。


「だから最後にさ」


 篤哉くんの手が私の腰を掴んで、私は篤哉くんの胸に倒れこむ形になる。


「俺と遊んでよ、梨子が。俺のこと好きだし、ちょうどいいよね。抱いて欲しいんでしょ?」


 耳元で囁かれた言葉に身が震える。声音は優しいのに、ひどく不愉快な気持ちにさせられた。腰に添えられていた篤哉くんの手が臀部、そして太腿に下りてくる。耳にかかる吐息に、撫でられる手の感触にゾッとした。好きなのに、好きだったはずなのに思ってしまった。


(気持ち悪い、怖い、嫌)


 許可もしていないのに不躾に体のラインをなぞられて不快感がこみ上げる。雅弥はこんな風にしなかったのに。全部訊いてくれたのに。雅弥は、雅弥は、雅弥は。思い浮かぶのは雅弥の顔と優しい声と手の感触ばかりで。


「離して!!!!嫌っ!」

「グホッ!」


 私は篤哉くんの鳩尾を思い切り拳を叩き込んだ。まさか腹パンを食らうなどと思っていなかったであろう篤哉くんは痛みに悶絶している。

 私は涙をボロボロとこぼしながら篤哉くんに触れられた場所をゴシゴシと擦った。一刻も早く感触を消したかったのだ。

 一頻り咳き込んだあと、篤哉くんは恨めしそうに私を見てくる。


「ヒドイな、梨子。俺を好きなんじゃなかったの?」


 私はベッドから立ち上がり、急いで部屋の扉付近まで移動した。涙は止まらない。


「好きだよ!好きだったよ!でも違うの!私が好きだったのは昔の、私をこっそり手助けしてくれてた優しかった昔の篤哉くんで……」

「ああそれ、俺じゃないよ」

「へ?」


 ビックリしすぎて涙が引っ込んだ。私はよっぽど間抜けな顔をしたのだろう、篤哉くんはぷっとまた噴き出した。それからちょいちょいと手招きをしてくる。そんなことをされても当然私は警戒するわけで。私はじりじりと後ずさる。すると篤哉くんは苦笑した。


「ごめんごめん、もう手を出さないからこっちにおいで」


 再び手招きをされ、ベッドに腰掛ける篤哉くんに恐る恐る近づく私。気分はさながらフシャっている猫だ。篤哉くんは自分の隣のスペースをぽんぽん叩いて座るように促してきたが、私は警戒を解かない。ベッドの前に敷かれたラグの上にいつでも立てるような姿勢でしゃがむ。その様を見た篤哉くんはベッドに座らせることを諦めたらしく軽くため息を吐いた。


「……俺じゃないってどういうこと?」

「そのままの意味だよ」

「?」

「梨子のフォローをしてたのは俺じゃないってこと」

「え、でも、」


 私は困惑した。だって私の周りでそういうことしてくれそうな人は篤哉くんだけだった。幻想だったけど。両親はよっぽどのことがない限り自分のことは基本自分で解決しなさいスタンスだ。その他に私が困ってて手助けしてくれそうな人なんて、目の前の人以外に思いつかなかった。


「確かに妹だと思ってたから優しくするようにはしてたけど。いちいち細かいところまで面倒くさいから梨子の様子なんて弟のついでにしか見てないよ」


 笑い混じりで言われて少しショックを受けた。いや、もう恋心は砕け散ったんだけれども。それでもその言い方ぁ

……。もう少しオブラートに包んで欲しい。


「誰だと思う? ずっと梨子のそばにいて、梨子をずっと見てきたのは誰?」


 その言葉で一人の顔が浮かぶ。目を瞠った私に、篤哉くんがいつもの笑みを向けた。


「わかった?」

「…………な…………な……」

「うん? なんて?」

「そんな馬鹿な!!!!!」


 私はシャウトした。


「え、そんな反応なの?」


 篤哉くんが目を丸くする。私はそんな篤哉くんへ向かってにじり寄る。


「だって雅弥、いつも私に意地悪したりからかってきたり憎まれ口叩いてばっかりだったし!」

「気を引きたいからだね」

「他の女子に対する態度と私への態度全然違うし!」

「梨子の方が特別だからだね」

「私が篤哉くんのこと話してると不機嫌になるし!」

「完全にヤキモチだね」

「うえええええ~~~?」


 そんな馬鹿な。信じ難い。とてもそんな風には思えない。でも思い返してみれば篤哉くんがいなくなってからもさりげなく手助けされることはあったな……? 頼みごとをしに行けば雅弥は面倒くさそうにするくせに、結局最後まで面倒を見てくれるのだ。だから私もついつい頼っちゃって……ん? そうなると私は篤哉くんと見せかけて雅弥のことを好きだということになるのでは……? え、混乱する。待って。結局私が好きなのはどっち?

 私は頭を抱えた。だが、待てよ。手助けしてくれてたのは雅弥というのは事実として、雅弥が私を好きというのは誤解だと思う。だって雅弥は。


「篤哉くん……雅弥が私を好きとかないよ……アイツはただの面倒見の鬼だよ……オカンだよ……」


 とある光景を思い浮かべて、私はその考えに至った。


「ん?」


 篤哉くんが何いってんだコイツって顔をした。昔はそんな顔絶対してなかったと言いたいところだけど、多分初恋フィルターが外れて真実の姿が見えるようになったのだろう。それか巧妙な外面で隠してたかのどちらかだ。


「雅弥、私から離れて他の女子とばっかり遊ぶようになったもん……」


 言ってて悲しくなってきた。

 私にも他の女友達は多少はいるけれど、仲のいい男の子は雅弥だけだった。同年代の男子が苦手だった私にとっては幼馴染の雅弥は特別だったのだ。一緒にいても気楽に過ごせる数少ない相手。雅弥も同じで親しくしてる女の子は私くらいのものだった。

 それなのに、ある時を境に雅弥は突然男友達だけではなく他の女の子たちとも遊ぶようになった。私との時間は少しずつ減っていった。雅弥は女の子たちに囲まれて楽しそうにしていて、私は何でもないふりをしてそれを見ていたけれど……本当は寂しかった。雅弥を他の女子に取られたようで嫌だったのだ。

 あの時の感情が胸に込み上げてきて私は俯いた。自然と口を尖る。すると篤哉くんの手が私の頭の上に乗せられた。今度わぞわぞわしなかった。いつもの、お兄ちゃんの手だ。

 

「そこらへんは直接本人に訊いてみたらいいよ」

 

 本人確認をせよと仰せだ。私は思わず閉口した。だって今はものすごく……気まずいのだ、いろんな意味で。それに知らされた真実のせいで私は自分の気持ちが分からなくなってしまった。

 目の前の初恋の人は私が勘違いして好きになっただけだった。好きになった理由は弟の雅弥に因るものだった。だからと言って『じゃあ、雅弥が初恋か』とは言えない。そんな簡単な話じゃないはずだ。恋心は完全に行方不明になってしまった。


「わけわかんないよ、もう……」


 膝を抱えて縮こまる私。


「んー、じゃあ確かめてみる?」


 篤哉くんの笑みが、兄スマイルから意地悪スマイルに変わった。


「……どうやって?」


 ろくな提案じゃないとは思うけど、一応訊いてみる。


「セックスしてみればわかるよ」

「天誅!」


 私は床に転がっていたクッションを篤哉くんの顔に目がけて投げつけた。私の初恋が完全に終わった瞬間だった。

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