夢であって欲しいけど、

 夢じゃなかった…………!!!


 思考を放棄した二度寝から目覚めると、雅弥のドアップがそこにあった。頭の下には雅弥の左腕が、腰から臀部には右腕が巻き付いている。


 状況が悪化しているうううう……!


 だが、今なら腕の力は緩そうだ。私は抜け出すことを試みた。もぞもぞ身体を捩ると、雅弥の腕に力がこもった。腰が雅弥の方に引き寄せられる。雅弥の雅弥が私の下腹部に押し付けられた。


「ひぁっ」


 思わず変な声を発してしまう。あったかくておっき……ちゃうわい!そうじゃない。冷静になるべく頭をブンブン左右に振っていると、雅弥がゆっくりと瞼を上げた。


「…………」


 しょぼしょぼした目で訝しげに私の顔を見つめる。


「…………?」


 しばらく逡巡したようだけど首を傾げると再び瞼を下ろした。


「寝るなっ!」


 私は必死に身体を海老反りにすると、勢いをつけて雅弥の顎にめがけて頭突きした。


「いでっ!!」


 クリティカルヒットだ。こんな近距離攻撃しておいてヒットしなかったらそのほうがおかしい。


「……なにすんだ……」


 雅弥が私の腰を開放し、自分の顎を擦る。このタイミング、逃してなるものか。すかさず私は雅弥と距離を取った。


「フギャッ!」


 そしてベッドから落ちた。猫が潰れたような声が出てしまったのは致し方ない。だって頭を強打した。


「いたたたた……」


 たんこぶが出来ただろうか。半泣きで後頭部を擦っていると、


「何やってんだお前は」


 ベッドの上から呆れた顔をした雅弥が私を見下ろしていた。寝坊助さんはスッキリサッパリお目覚めのようだ。


「誰のせいだと!」

「いや、自業自得だろ」

「なっ……」


 言い返そうとしたが口を噤む。確かに落ちたのは自分の行動によるものだったので、人のせいではない。


「なあ、梨子」

「何よ」


 じっと雅弥が私を、正確に言えば私の顔から下を見つめている。


「…………」


 私は無言で目線を自分の身体に落とした。……我、裸族。生まれたままの本当の自分……つまりがすっぽんぽんである。顔に熱が集中していくのが分かる。


「み、見ないでっ」


 私は漫画のヒロインのようなセリフを吐きながら慌てて胸と下腹部を手で隠した。ヴィーナスの誕生のポーズだ。ただし全く芸術的ではない。


「早く上がれよ。ほぼ隠せてない状態より布団に包まってる方がマシだろ」


 雅弥が言う。言ってることは尤もなので大人しく言葉に従った。ベッドに戻ると雅弥が布団をかけてくれた。だけど近い。離れて欲しい。グイグイ雅弥の身体を押し返していると、また落ちるぞと言われたのでやめた。


「なんで雅弥ここにいるの」

「俺の部屋だから」

「そういうことじゃなくて!!」

「じゃあ何だよ」

「篤哉くんだったのに」

「は?」

「篤哉くんが介抱してくれてたのに、なんで雅弥に変わってるの……」


 じわりと私のまなじりに涙が浮かぶ。あの後雅弥に託されたってことなの?告白したのに、キスまでしたのに他の男に丸投げしちゃったの?受け入れてくれたのだとばかり思ってたのに辛すぎる。私が俯いてメソメソしていると、頭上から大きなため息が聞こえた。


「介抱したのは最初から俺」

「え?」

「お前がトイレから出て来たかと思ったらふらついてて危なかったからな。兄貴はリビングで父さんと呑んでたし、介抱不可能」


 そんな馬鹿な、と思った。だってすごく優しい声だった。こんなになるまで馬鹿だなぁって、無理したらダメだろって背中をさすってくれて、しょうがねぇなあって……あれ?口調……篤哉くんならもう少し柔らかい話し方だな??よく考えたら雅弥の口調だな?どうやら飲酒による判断力低下を引き起こしていたらしい。でも今まであんなに優しくしてきたことなんかないじゃないか。何故よりによって昨日優しくしてきたんだよぅ!


「で、泣きながら抱いてってしがみつくから抱いた。それだけ」


 この言い草である。


「はあああ!?あんた私が篤哉くん好きだって知ってるのに?このクズ野郎!」

「誰がクズだ!大体誰が好きだとか言わずにしがみついて『お願い~抱いて~』ってせがんできたのはそっちだろ。してる時も兄貴の名前全然呼ばず俺にひたすら好きって甘えてきたくせに」

「は?ちゃんと篤哉くんの名前を言っ……言っ……」


 言っ……てない。思い返せば確かに言ってない。私が言い淀むと雅弥が『ほらな』という顔をした。ムカつく。というか、なんださっきの。あれか?私の真似か??ホント腹立つなコノヤロウ。


「でもあんたは私が篤哉くんのこと好きって知ってるでしょ、断ってよ馬鹿!」

「お前から迫って来たくせにそういうこと言うか?てっきり兄貴に気があると見せかけて本命が俺だったのかと思うだろ」

「そんなわけないでしょ!」


 私が全力否定すると何故か雅弥は拗ねた。何でだよ。拗ねたいのはこっちだよ。一度しかない処女なのにどうしてくれるんだよ。初めては好きな相手と一生の思い出になるようなラブラブドリーミングエッチ(?)をしたかったのに、現実は酔いどれやらかしエッチとか理想と現実のギャップで風邪を引きそうだ。私の失ったものは大きい。どうして止めてくれなかったのか。


「初めては篤哉くんに捧げたかったのに!雅弥の馬鹿!全部雅弥のせいだ!!」



 私が言い放つと雅弥は目を瞠って、そして俯く。表情は見えない。


「……あー、そうかよ」


 低く絞り出された声はどこか、暗さを感じさせた。


「な、何よ」


 私はそれに怯む。


「残念だったな」

「は?」

「兄貴じゃなくて」


 吐き捨てるように言ってそれきり無言になった雅弥はベッドから起き上がって素早く身支度すると、部屋を出て行ってしまった。

 裸でぽつんと一人雅弥のベッドに置き去りにされた私。


「何でアイツが怒るのよ」


 わけがわからない。わからないがひとまず服を着ようと周囲を見渡し、自分の下着と服を見つけて拾う。ふとゴミ箱が視界に入ったので中を覗いて見ると沢山のティッシュと使用済みのゴムがいくつか入っていた。……結構何回かしたんですね?初めてなのに。事後のいろいろを眺めていくうちに段々と行為中の様子が思い出される。


『いいのか?本当に』

『うん、して、おねがい』

『でも俺は』

『してほしいの、ん……』

『っはぁ……、痛かったら言えよ。ゆっくりするから』

『だい、じょ……あ、ぅ』

『痛いか?』

『ちが、あ、そこ』

『……ここ?』

『んん、触っちゃ……やぁ……』

『いや?』

『……や、じゃない』

『じゃあ好き?』

『うん……好き、ん、ぁ、ぁ、すき、すきっ!すきなのぉ』




「ぐぉあああああああああ!」


 脳裏で再生される音声をかき消すように私は枕に顔を埋めて奇声を上げた。何を思い出してるんだ私は!雅弥とのアレを!!

 めちゃくちゃに甘えてたのが思い出されて恥ずかしすぎて死ねる。雅弥の声はドロドロに甘くて……まるで蜂蜜みたいだった。私はとろとろに蕩け切って、全てを雅弥に委ねていたんだ。


「うう……」


 声も手つきも何もかもやさしくて、お陰様で想像してたよりは痛くなかった。レディコミや青年漫画やエロ同人みたいに激しくなくて、常に私は気遣われていた。

 部分的にしか思い出せないけど、雅弥は ちゃんと確認してくれていた。それをいいと言ったのは他ならぬ私だ。相手が篤哉くんだと思いこんでいたとは言え、続けさせたのは私。――――だから雅弥は悪くないのに。何やってんだろう、私。全部雅弥が悪いみたいに言って。


「ごめん」


 ポツリとこぼした言葉は誰にも届くことなく、ただ宙を舞うだけだった。





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