争うとて、叫ぶとて
刻一刻と遠征が近づいてくるにつれ、屋敷の中の緊張は高まりアワフジは子供たちを心配するあまり痩せ細ってしまった。ギンススタケは遠征先の国に怒り、呪いを解くよう命じたいところだったが、当初侵略する予定であった国に大きく出られるはずもなく、泣き寝入りするしかなかった。クジャクアオのコウロゼンへの態度は相変わらずで、大きな事件が起こったのにもかかわらず二人が和解することはなかった。
どんなに望んでも残酷に時は流れ、遠征の日が来た。国を守るという決意さえ恐怖心が掻き消してしまいそうだった。両親と話し、大きな船に乗り込む。妹のベニキキョウが教えてくれた占い玉の結果は「委ねられた者はない」だった。隣のクジャクアオは声こそ出せないものの、いつもと同じ表情だった。ギンススタケが二人のを元に作った陸上戦法は船内の金庫にしまわれ、コウロゼンは頭に叩き込んだそれを何度も反芻した。声の出ない姉の代わりに出軍を告げる。
「皆の者、出軍!」
思っていたよりも力強い声が出る。二人が指揮を務めることになり初めは戸惑っていた兵たちだったが、歓声を上げ声に応じてくれた。不安が勝利の確信に変わった。いよいよ出航する。
相手国に着港するまで、心を穏やかにするために上甲板で海風にあたりながら兵たちと話していると、クジャクアオの姿が見えないことに気付いた。少し気にかかって、船内をそれとなく歩いていると、一つの船室の中に姉の姿を見つけた。声をかけるつもりはなかったが離れた所で見ていると、クジャクアオは床で書き物をしていた。揺れる船の床に広く羊皮紙を広げ、なにやら計算をしている。その横顔には苦悩さえ浮かんでいるようだった。計算は夜になっても終わらないようで、船内の食堂に夕食のために現れることはなかった。翌日コウロゼンは波音で目を覚まし、横になったまま海鳥の声を聴いていると本当に戦いが近づいているんだろうか、という気持ちにさえなった。昼頃まで読書や釣りを楽しんでいると、兵が甲板に集まっていることに気付いた。相手国の本土が見えてきたようだった。途端に胸が緊張で縮んだような気がした。心を落ち着けるため目を閉じて深呼吸している時、兵の一人の叫び声が聞こえた。慌てて前を見ると、向こうからかすかにではあるがおびただしい数の武装した船が近づいているのが見えた。あの速さだとこちらに到着するまで30分から40分くらいであろうか。
「クジャクアオ殿を呼んで来い!」
半ば絶叫すると、兵の何人かが船内に向かって駆け出した。一体どういうことだ。陸上での戦いではないのか?あの船の多さだと、国のすべての兵を賭けて海上での戦いに臨んでいてもおかしくない。コウロゼンの乗る船の後方には戦艦も多くついてきているが、海上での戦いなど授業や本で得た知識しかない。一気に頭が真っ白になった。海戦に呪術、不利なことばかりで、最悪の結果が脳をかすめる。後ろからの足音で振り向くと、クジャクアオが羊皮紙を抱え、紺色の髪をなびかせながら甲板に出て来ていた。彼女は日の眩しさに目を細めながら前方からの大量の船を観察すると、兵に向けて手話で説明を始めた。昨夜の計算で海戦になった場合まで想定していたとは。手話を理解できない兵もいるためコウロゼンは口頭で通訳する。兵の動きについての説明を終えると、クジャクアオは一枚の羊皮紙をコウロゼンの胸に押し付けた。そこには海での指揮の取り方が書いてあった。一通り目を通すが、違和を感じクジャクアオに問う。
「途中から指揮官一人分の説明しか書いてありませぬが、私は何をすればいいのですか。」
クジャクアオは一瞬コウロゼンの目を見るが、反応せず甲板を出て行ってしまった。苛立ちを覚え、クジャクアオ殿、ともう一度声をかけると、渋々振り返って手話をする。
『そなたの頭に脳は入っているのか?』
侮辱され、思わず舌打ちをしそうになる。戦いの時まで及んでこんなことを言うなんて。その時、体への衝撃で怒りが消えた。相手の放った大砲が、近くに着弾したのだ。とうとう戦いが始まってしまった。先ほど渡された作戦用紙の通りに指示を出して、船内から外を窺う。攻撃を受けるたび窓のガラスがビリビリと震える。一艦、また一艦と撃破され、味方の船が沈んでいく。出航する際に、自分の声に大声で応えてくれた兵たちの顔を思い出して、心が締め付けられた。相手の国の戦力はそこまでないはずなのに、攻撃力が強くなっている。呪術で強めているのだろう。再度作戦用紙に目をやる。半分近くの手順まで進んでいた。にもかかわらず、相手の戦艦はほとんど減っていない。次の手順まで行ってしまえば、一人分の指揮官の説明しかない。もしかして、とコウロゼンは考える。クジャクアオはこの戦いを利用して自分を排除しようと企んでいるのではないか?だが、そんなことをしなくても海戦まで想定していた彼女が、政権争いに敗れるはずがないと半ば諦めている気持ちもあった。自分のやることがわからず途方に暮れていると、外にクジャクアオがいるのが見えた。戦いの最中、あんなところにいては攻撃される可能性がある。そこに兵が駆け寄ってきた。袋を担いでいる。クジャクアオに頼まれたのだろう。袋の膨らみから、石だと推測した。その瞬間コウロゼンは、クジャクアオの真意に気付き、船内から飛び出した。指揮官一人分の行動しか書かれていない作戦用紙の意味もわかった。先ほどまで見えていた場所に彼女はいない。船尾まで走ると、クジャクアオはすでに足に石を括り付けている。周りには誰もいない。
「クジャクアオ殿!」
こちらを振り向く顔に叫ぶ。
「やめてください!今クジャクアオ殿がいらっしゃらなくなったら!」
最悪の事態になるだろう。その時クジャクアオの手が動く。
『紙を渡しただろう、猿でもできる。』
いつもと同じ調子の姉を引き戻すために一歩踏み出すと、彼女もまた一歩後ろに下がる。船尾はもう限界だ。これ以上進めない。
「とにかく降りてください!それに‥父上と母上は‥!」
声が詰まる。一瞬クジャクアオの顔が歪んだ気がしたがすぐに戻った。
『このあとすぐに花火をあげろ。そして作戦用紙の通りに行動しろ。』
こちらの言葉を聞く気配はない。クジャクアオの判断はいつも勝利へ繋がり、彼女がそれを変更することもない。この絶望的な状況から軍を救うのも間違いないだろう。
『勝つのだ、弟よ。』
そしてクジャクアオの体は弧を描いて、船尾から落下した。思わず船尾へ駆け寄るが、石を括り付けた彼女の体は浮上してこない。長い間敵対し、憎んでいた姉を失った自分の気持ちが、もうなんなのかさえわからなかった。無心でクジャクアオに言われた通り、花火を打ち上げる。そして船の階段を駆け上がり、拡声器に飛びつく。
「一人船尾から落下!政権継承候補クジャクアオ殿と推定される!繰り返す‥」
少なくなった味方の船よりも早く、相手国の船が船尾のあたりに近づいてくるのが見える。彼女を捕虜にできたら、戦いの主導権を握れることにとどまらず、コウロゼンたちの国を思い通りにすることができる。そう考えているのだろう。だが、海底深く沈んだクジャクアオを水面から見つけることなどできない。コウロゼンの乗った船は急速に発進した。クジャクアオが飛び込んだところからどんどん遠ざかっていく。手の甲に涙が落ちたことで、自分が泣いていることに気付いた。自分は悲しいのだろうか。ついに相手の船がほとんど集まったところで、無線で集中攻撃を指示する。残り少ない味方の戦艦が一斉に大砲を発射した。固まっていた相手国は相次いで引火し、海の一か所が火の海と化した。火移りに火移りを重ね、とうとう戦艦の数が逆転すると、彼らは引き返していった。そして、コウロゼンの率いる軍も、自国に引き返す。指揮官は一人になっていた。
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