代々ヨヨコ。



 

 僕を散々引き摺り回した挙げ句、代々さんは言った。

「うちゅうじんだからかな」

 僕はその言葉の意味を長いこと理解できなかったのだけれど、一日たってようやくふと思い当たった。

 変わってるんだね、という僕の言葉に対しての、あれは代々さんなりの答えだったのではないだろうか。

 代々さん。

 フルネームは代々ヨヨコ。

 一年生の頃からその名は学校中に広く知られていて、彼女についての様々な噂があちらこちらに転がっている。

 学校中の誰もが、「変わり者」の代表として彼女の名前を口にするだろう。

 彼女はそれくらいの知名度を持った、フィクションのような存在なのである。

 代々さんは、僕と同じく2年2組に在籍している。

 1年生のとき、僕は彼女と違うクラスだったのだけれど、それでもその名前と人物は知るともなしに知っていた。

 何しろ周りにいるクラスメイトたちが大きな声で彼女の噂話をするものだから、聞こうとしなくても耳に入ってきてしまうのだ。

 その噂話は数しれず。と言ったって、大半が作り話なのだろう。だけどここで、彼女にまつわる噂話をご紹介しよう。

・彼女には幻聴が聞こえ、また幻覚が見える。

・彼女は魔女の末裔である。

・彼女は学校に本物の銃を持ってきている。

・彼女の好物はリコッタチーズである。

・彼女はイングランドとバチカン市国の血を持っている。

 まだまだ耳にした噂はあるけれど、挙げるのはこれくらいにしておこう。冗談でなくきりがないから。

 代々さんは、みんなから「変わり者」として扱われ、敬遠されている。

 みんなはそんな彼女の様子を遠くから見守り、おもしろおかしく脚色を施して噂話を流したり…。

 要は、おもしろがっているというわけだ。

 君子危うきに近寄らず。

 だけれどみんな、やっぱりおもしろいものが好きなのだ。

 おもしろい!と絶賛するべき存在がそこにいるのに、どうして我関せずという姿勢を貫いていられようか。

 積極的に会話をしたりすることは決してないものの、みんなは代々さんを観察して楽しんでいた。彼女の存在を、楽しんでいた。

 まるで動物園か何かのように、それは聞こえてしまうかもしれない。実際、そうだったかもしれない。

 聞く人が聞いたら、見る人が見たら、それはいじめと指摘されるのかもしれない。

 でも、そんな状況を決して陰湿な行為だと捉えていなかったのは、他でもない代々さんだった。

 彼女はいつもにこにこしていた。微笑んでいる、というより、にこにこだ。不気味なほどに毎日笑って過ごしている。声を上げて笑うことはなかったけれど、その顔面には常ににこにこ顔が貼り付いていた(このことが派生して、彼女はお面を被って学校生活を送っているという噂が作られたらしい)。

 みんなが自分を遠巻きに見ていることなど気付いていないかのように(あるいは気にしていないだけかもしれないが)、不思議な行動を繰り返す。

 ある時はアスファルトの上で唐突に前転を始め、後転、開脚前転、と通常マット上でするべき技を次々に繰り広げた。またある時は授業中に突然てるてる坊主のような、でもてるてる坊主には似ても似つかないほど不気味な人形を作り始めた。またまたある時は、みんなが昼食を食べている昼休みの教室で、解読不能な記号を黒板いっぱいに書いた。ちなみに後日、その記号の解読に挑戦する同好会なるものまで組織されたらしい。

 代々さんはとにかく臆さない。

 周りがどんな目で見ていようと、彼女の言動は最初から一貫して不思議で不気味で不可解だ。

 まるで自分の言動を改めようとしないあたり、やっぱり周りのことなどどうでも良いのだろうか。否、彼女のレベルになると、もう僕ら平凡星人のことなど塵芥と同じ見え方なのかもしれない…。つまりは、生物として認識されていないのかも、という推測な訳だ。流石にこれは行きすぎかな?

 だけど、いい意味でも悪い意味でも期待を裏切るのが大得意な代々さんである。本人にそのつもりは全くないのだろうけれど。

 と、いうわけで。

 これが、僕が知っている範囲の代々さんの人物像である。

 やっぱり端的に表すとするなら「変わり者」、だろうか。

 そんなに可愛らしい響きで表現できるものではないけれど。

 そして僕はつい先日、「変わり者」であるところの彼女─代々さん─に声を掛けられてしまったのである。

 みんなが代々さんに声をかけないように、代々さんもまた、みんなに声をかけないのである。

 のであった。

 なのに、その筈なのに。

 僕はなぜだか声をかけられてしまった。

 理由として挙げることがあるとすれば、周りに人がいなかったから、かなぁ。自信はないけれど。

 代々さんが生徒に声をかける姿なんて、もちろん今まで一度だって目にしたことはないのだけれど、だけど相手が一人でいるときに声をかけているとしたら?

 そういうことなら、声をかけられた相手しか、代々さんに声をかけられたという事実を知る者はいないことになるだろう。

 その可能性は十分にある。十分にあるけれど、それもまた、難しいことなのではないか。

 ある意味有名な、学校一の人気者であるところの代々さんに声をかけられたとなれば、その事実を周囲に黙ってはいられないのではないだろうか。そしてその事実を周囲に話せば、それは瞬く間に拡散して学校中の噂になること請け合いだ。

 しかし、そんな噂は一切聞いたことがない。

 ここで考えられることは2つ。

 1つ。代々さんに声をかけられた相手はとっても寡黙な人で、周囲に報告するようなことはなかった。

 1つ。代々さんは、僕以外に声をかけたことがない。

 うーん。

 どちらもあり得るぞ。

 できれば寡黙な方に頑張っていただきたいのだけれど。

 どうか悪目立ちするようなことにはなりませんように。そう願いながら、僕は2年2組の教室に足を踏み入れた。

 途端に、僕は視線の弓矢で射抜かれるのを感じた。

 ずさずさずさっと、連続で、僕の身体は貫かれる。

 視線というものは狂気であり凶器であるということを、今この瞬間に心得た。

 噂というものは怖いものである。

 ひそひそと仲間内で喋っているクラスメイトの言葉を拾った限りでは、僕と代々さんが会話していたことがもろに分かっているようだ。

 壁に耳あり障子に目あり、昔から言われている。

 確かにそうかもしれない。

 一体どこに、僕と代々さんの姿を目視した人間がいたのか。見ている方からは丸見えでも、見られている方は全く気が付かないということだってあるのだろう。

 自分の席に向かって歩く僕の挙動を、クラスメイトの視線が追いかけてくる。

 その視線にポジティブな意味は微塵もなく、どろどろと気持ち悪く粘る視線が、全身に纏わり付いてくる。

 僕がもっと陽気な人間だったなら、きっとこんなことにはならなかっただろう。みんなはわっと寄って集って、代々さんとの会話の内容とかを聞いたりするのだ。

 しかし生憎、僕は全然陽気な性格ではない。平和平穏平静泰安をこよなく愛し、日々を黙々と過ごしている、寡黙な奴だ。

 僕は代々さんと話したことで「変わり者」の一端になってしまったらしい。

 どうして人畜無害な僕がそんなどちらかと言えば有害の気配がする生物になれると思うだろう。

 でもきっと、友だちたくさんのみんなからすれば、友だちの数が一桁の僕なんて、それだけで変わり者なんだろうな。

 いくら考えても楽しくないことを、頭の中でぐるぐると考えていた、そのとき。

「としまー!おはよー!」 

 手提げバックをブンブン振り回しながら、代々さんが教室に突入してきた。

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