うちゅうじん少女

識織しの木

うちゅうじんだからかな。

 担任教師の雑用を手伝っていたら、いつもより帰りが遅くなってしまった。

 友人は先に帰ってしまったので、今日は一人で生徒玄関を抜ける。

 すると、横目にちらりと代々よよさんの姿が確認できた。

 彼女はなぜか、玄関を出てすぐ左手にある、4台並んだ自動販売機の1台とにらめっこをしている。自販機には勝てないと思うけど…。

 変わった人だなあと思いつつも、足を駐輪場に向ける。

「としまー!」

 びっくりするほど大きな声で呼ばれてしまい、僕は仕方なく代々さんの方を見る。

 彼女は僕を手招きした。

「何か、用ですか」

 代々さんとの距離感がいまいちつかめず、歯切れの悪い返事になった。

 代々さんはそんなことには無頓着で、これ!と自販機を指差した。なぜか小指で。

「でてこない。おしたのに。みんなおしたらのんでるよね?」

 代々さんの言葉は日本語なのに、それとわからないくらいに難しい。発音が全然違うし、長い文章になると違和感だらけ。

 頭のなかで整理して、代々さんが何を言っていてどんな答えを待っているのかを考える。まるで数学の問題を解いているみたいだ。

「代々さん、お金入れた?」

「おかね?」

 うん、と僕は頷く。

 代々さんはスカートのポケットに手を突っ込んで、じゃらじゃらと音を立たせた。

 お金持ってるんだ、と意外に思った。代々さんなら持っていなくても、否、お金を認知していなくても不思議ではないと考えていたから。

 だけど、これのこと?と言う顔で代々さんがポケットから取り出したものはお金ではなかった。

 深緑色の、とてもとても薄い物体だった。

 表面は見事につるつるで、普通硬貨に彫られているような数字や模様は一切ない。

 加工したものなのかそれとも本来の姿なのか、金属なのか岩石なのか…とにかくそれは、初めて目にするものだった。

 どう見ても日本のお金ではない。世界のどこで、こんなへんてこりんなものが通用するのだろうか。

 というか、これは本当にお金なのだろうか…。

「残念だけど、それは使えないよ。ていうか、やっぱりお金入れてなかったんだね」

 代々さんは急に小さくなったように落胆して、どこかのお金かもしれない物体をポケットにしまい戻した。

 僕はリュックから財布を取り出して、100円硬貨を2枚用意した。

 1枚を代々さんの掌に乗せる。代々さんは珍しそうに、100円硬貨を観察した。

「ボタンを押す前に、お金を入れないと駄目だよ」

 僕が自販機に100円硬貨を投入すると、代々さんも真似して、隣の自販機に100円硬貨を押し込んだ。

 僕がボタンを押すと、代々さんはまた真似をした。

 がしょんと音を立ててペットボトル飲料が出現すると、代々さんは驚いて飛び退った。

 僕が取り出し口から購入品を取ると、やっぱり代々さんも真似をした。

 でも、僕が天然水を飲んでいる横で、代々さんはそれを飲もうとはしなかった。

 ラベルをかさけさ剥がそうとしたり、高く掲げて日光に透かしたりして、結局キャップを開けることはなかった。

「としまありがとう!」

 代々さんは惜しみない笑顔を僕に向けた。

 いつもおかしな発音ばかりの代々さんだけど「ありがとう」の発音はとてもきれいだった。

 どういたしまして、と僕は返した。

 さあ帰ろうと思ったら、代々さんが何かを差し出してきた。握り拳ごと、手の中にあるものを僕に向けて突き出している。

 手!と代々さんが言うので、僕はおずおずと掌を上にして代々さんの前に差し出す。

 すると代々さんは僕の掌に、握っていたものをばらばらと落とした。

 あの、どこかのお金かもしれない物体だった。

 これをどうしろって言うんだ。困った僕が顔を上げると、あげる!と言われてしまった。

 よくわからないけれどありがたく受けとることにして、ポケットの中に物体を落とした。

「ありがとう。変わってるんだね」

 あ、まずかったかな。

 つい正直なところを言ってしまった。

 おそるおそる代々さんの表情を窺おうとしたら、左腕を掴まれた。

 え、何、ごめんなさいやっぱりだめだった!?

 僕が思い切り動揺していると、代々さんは急に走り始めた。

 どこに向かっているのか、僕にはわからない。

 当てなんてないのかもしれないけれど。

 とにかく物凄い速さで代々さんは駆けた。腕を掴まれている僕はほとんど引きずられているような感じで何とも言えず滑稽だ。

 代々さんは僕を引きずりながら、学校の周りをぐるぐるぐるぐる。

 よく体力が持つなあと思いながら、僕は引きずられることに徹した。だって、無理だよこのペースで並走するのは。追走だってできない。

 ああ、靴がすり減っていく。

 僕の靴の寿命が劇的に削られた頃に、代々さんはようやく走るのをやめた。

 あれだけ走っていたのに、代々さんは全く疲労の色を見せない。校門に入ってすぐにある木陰で、僕をまっすぐ見ている。

 端整な口元が運動して、そして。

「うちゅうじんだからかな」

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