ないものねだり
三上優記
ここでまた会えるなら
あるところに、いつも辛気臭い顔でここに来て、ベンチに座って帰る男がいた。そいつは毎日この公園に来るもんだから、俺も何んとなしに気になっていた。
ちょっと冷やかしに行くかと試しに近づいてみたら、奴さん、不思議そうにこちらを見て、いきなり頭を撫でてきやがった!
「急に触るんじゃねぇよ、馬鹿!」
「あれ、この辺野良猫なんていたっけ? あはは……かわいいね、お前」
あぁ、そうだった。人間に俺の声は分からないんだった。……忘れてた。仕方ねぇからぺしっと猫パンチでその手を払いのける。
「あっ……そうか。お前も僕を避けるのか。……お前くらいは優しくしてくれると思ったんだけどな」
がっくりと肩を落とす男。なんだそりゃ、めんどくせぇ。メンヘラか? てめぇ。ったく、人間はどいつもこいつも猫に癒しを求めていやがる。けっ、愛想振りまくたぁゴメンだね。俺はそういうチンケな仕事はしたくねぇんだよ。本当はもっと、世界を変えるようなデケェことがしてぇんだよ、てめぇみたいなメンヘラに構う気なんぞサラサラねぇやい!
あー、気持ちわりぃ。なんつーか、人間ってのはもうちょい楽しい生き物なんじゃねぇのか? 色んなこと出来るんだし、色んなものも食えるし……。ったく、なんか面白れぇ話が聞けるかとでも思っていたんだが。俺はそいつから離れようと背を向けた。
「……やっぱり、死のうかな」
えっ。……こいつ今、なんて言った? びっくりして振り返る。おいおい、死ぬってどういうことだ?! なんで自分で死ぬことを選ぼうとしてんだこいつは?!
なんで、泣いてるんだよ、お前。
「なぁ、何があったんだよ」
「あはは、お前はやっぱり優しい子だね。……戻ってきてくれたんだ」
「うるせぇやい! デケェくせにメソメソ泣くな! 俺はそういう奴が大嫌いなんだよ!」
「僕を慰めようとしてるの? ……ありがとうね」
だーっ! 馬鹿! こっちの声は聞こえねぇんだよ俺! あぁもう、勝手に自己解釈して陶酔してんじゃねぇこのジメジメしたクソドブネズミ野郎! 俺がいくら喚いたところで、奴は嬉しそうに笑うだけ。こん畜生……!
「僕、もう今年で32なんだけどさ。……仕事も上手くいってないし、彼女もいないし。仕事で怒られても、慰めてくれる人なんて誰もいないんだ。毎日これの繰り返しでさ……この先もずっとこうなのかなって思うと何だか惨めに感じて……」
なんだよ、それ。そんなの俺だって同じだ。毎日適当なネズミ狩って食って、どっか温かいとこ探して寝る。それの繰り返しだ。野良猫なんてそんなもんだ。死んだって誰も泣いてやくれねぇし、どっかに適当に捨てられちまうだけ。
家猫になれば、今度は自由が奪われる。人間に頼らないと生きていけなくなる。エサには困らねぇ代わりに、カワイイメス猫との甘いランデブーも子ども作ることもできねぇ。町を好きに歩くこともできねぇし、最悪捨てられちまう奴もいる。死んでもしばらくは悲しんでくれるだろうが、新しい猫を飼われちゃ終いだ。俺のことなんて忘れ去られる。
猫ってのはな、そういうもんだ。飼い猫でも野良猫でも、毎日適当に飯食って寝て、愛想振りまいて、死んで忘れられる。……そういうもんなんだ。
「……お前はいいな。悩みなんてなさそうで」
「はぁ? ふざけんじゃねぇぞ、このクソ野郎! 猫が気楽な人生ってのはてめぇら人間の思い込みだ! こんな退屈で無味乾燥な猫生が欲しけりゃくれてやるよ! とっとと持ってけ、メンヘラ野郎!」
べしん! とあいつの横っ面を殴ってやった。頬に刻まれる爪の跡。へへへ、ざまーみろってんだ。奴さん、泣きそうな顔でベンチから立ち上がって、何も言わずに行っちまった。あー、スッキリした。やっぱ、こういう辛気臭い奴はダメだな。いいや、もう帰ろう。眠みぃし。
夜の闇に消えていく奴の背に砂をかけて、俺は今日の寝床はどうすっかなと飛び上がった。
「あ、猫だ。カワイイ~」
「触るな!」
女の手を尻尾ではたいて、登りかけた月をバックに塀から飛び降りた。ったく、邪魔すんじゃねぇよ。見てくる人間どもそっちのけで、いつも通る公園に向かう。流石の俺でも、やばいと感じていた。
「やっぱり今日もいねぇ。もうしばらく姿見てねぇぞ、あのメンヘラ野郎……」
公園を通った奥、住宅地の路地にたむろする野良猫連中に声をかける。
「なぁ、いつも公園に来る男を見なかったか? スーツ着てて、赤いネクタイしててよ、いっつも辛気臭い顔してベンチに座ってる奴」
「あぁ、そいつなら大分前にこの奥の通りに入ってくのを見たことあるぜ」
「本当か?!」
あれから奴はここに来なくなった。別に男のケツ追っかける趣味なんぞねぇし、面倒事に首突っ込むなんざゴメンだってのに。どうしてか俺の足が勝手に動いていた。
通りの奥、猫的には結構歩いた先に、でっけぇマンションがあった。塀を伝って上へと上っていく。しかしデケェなこりゃ……どこがあいつの家なんだかわかりゃしねぇ。
ひょいひょいと上へと飛び上がっていくうちに、俺の鼻に妙な臭いが飛び込んできた。あ? なんだこのくせー臭いは。導かれるように俺は臭いのする階へと降り立った。
その瞬間、俺の髭がビリッとした。ゾワッと全身の毛が逆立つ。開いたままのベランダの扉をくぐり、中に前足を踏み入れた。明かりの消えたリビング。……なんだよ、留守かよと思って顔を上げたその視線の先には。
「……嘘、だろ?」
あいつが、いた。天井から垂れ下がったロープに首を括って、ぶら下がっていた。こいつ、死んでる。猫の俺でもはっきり分かった。この臭いはこいつからするものだって。こいつ、死んじまったんだって。
全身の毛が逆立ったまま、一目散にドアに向かって爪を引っ掻く。誰か! 誰か気づけよ! 中で人が死んでるんだよ、なぁ! いくら必死にドアを叩いても、引っ掻いても、金属でできたドアには爪痕すらつきゃしない。辺りには夜の静けさが漂っているだけ。
引っ掻くのに疲れて、だらりと前足を下げた。……俺は誰かの死を伝えることもできねぇのかよ。ひどい無力感が俺の体にのしかかってくる。
なんであいつ死んじまったんだろう。人間はもっと自由でやりたいことがなんでもできると思っていたのに。そういや、あいつも悩んでいたな。あの時それを聞いたけど、俺はそれを突っぱねて――――待てよ。
まさか、俺のせいで……?
いやいやいや、あいつは俺の声を聞き取れねぇし、分かってもいねぇ。それなのに俺の言葉を聞いて死ぬわけがない! 俺は背を丸めながら、ビリビリが収まった髭を前足で整えた。
あぁ、でも俺、あいつのこと、引っ掻いたな。前足を見下ろす。帰れって言っちまったな。メソメソした奴は嫌いだって言ってよ、引っ掻いちまった。……もしかしたら、あいつの最後の頼みの綱、だったのかもしれないのに。
誰もいなくなった部屋の隅、急に目元が熱くなって、俺は冷たい金属のドアに頭をこすりつけた。
あぁ、雨の日の後の石畳なんぞ、歩きたくねぇ道第3位に入るんだよな、畜生。石階段をぴょんぴょん登っていく。俺は自分のナワバリからちょっと離れた場所に前足を伸ばしていた。登っていくと、そこにはデカい賽銭箱がある。
……神頼み、なんてガラじゃねぇんだけどよ。
賽銭箱の上に、今日仕留めたばかりのスズメを放り投げた。
「狩りたてのスズメだぞ、おら、丸々太った一級品だ。それをてめぇにくれてやるんだ、神っていうんなら、俺の声に答えやがれ!」
あまりにもデブなスズメだったせいか、箱の中に落ちることなく、穴の隙間に挟まったまま、動きゃしねぇ。死んだスズメの目と見つめ合っていると、頭上から声が聞こえてきた。
「騒々しい猫だこと。……随分憔悴しているようだけど、何か御用?」
社の中、衝立の向こうに、扇子で顔を隠し、羽衣を纏った神々しい女の姿が現れた。
「あ……あんたが、神様だな? 頼む、俺の願いを聞いてくれ!」
俺は思わず箱の上に飛び乗って訴えた。そのまま彼女の方へ行こうとすると、やんわりと止められる。
「そのスズメは供物のつもりかしら?」
「そうだ。……猫にとってはこれが精一杯なんだよ。これでもマジなんだ。縋れるのは神様くらいなんだよ。お願いだ、神様、せめて話を聞いてくれないか?」
神様はじっと俺を見つめると、扇子を畳んだ。
「いいわ。何が望みかしら?」
「……あいつを、生き返らせてくれ」
その両目がきゅっと細くなる。
「……あの、貴方がよく行く公園に来ていた男の人ね? ええ、できるわ」
俺は目をかっぴらいて神様に詰め寄った。
「本当か?!」
「ええ。けれど、死んだ人間を生き返らせるのは神といえど難しい技。それに、願いを叶えるには代償が必要よ――――もちろん、そのスズメよりもずっと大きなものが、ね。願いが大きければ大きいほど、代償もまた大きくなる。
……彼のために、貴方は何をかけるのかしら?」
「それなら――――俺の命でどうだ?」
彼女は俺の言葉にとても驚いて、口元を押さえた。
「……本気なの?」
「あぁ、本気さ。俺の猫生とあいつの人生を取りかえてくれ。俺を人間に、あいつを猫にして転生させて欲しいんだ。……できる、か?」
「……貴方はそれでいいの?」
俺は尻尾を何度も大きく振ると、頷いた。
「猫でも人間でも生きるってのはめんどくせぇことだ。大変なことしかねぇ。でも、猫には猫だけの、人間には人間だけのできることってのがある。人間は世界を変えるようなことができる。猫ってのは自由気ままに生きることができる。どっちも悪くねぇ生き方だ。どっちが良いとか、そういうんじゃねぇんだ。
でも、たまたま俺は人間の生き方の方が楽しそうに見えた。あいつは猫の生き方の方が楽しそうに見えた。それだけなんだよな。
人間になっても大変なのは分かってる。猫になったから楽になるわけでもないことは、きっとあいつにも分かる。それでもよ、自分の手で命を絶つような生き方を、俺はもうあいつにして欲しくないんだ。
だからよ、神様。もう1度、俺とあいつにチャンスをくれ。楽しく生きていくチャンスってのを、よ」
意を決して、俺は神様の方を見上げた。怖くて、苦しい沈黙。小さな胸の中で俺の心臓が大きく膨れ上がって、破裂しちまいそうな気分だった。
「……分かったわ。貴方自身の命、そして今までの記憶全てを代償にできるなら、その願い、叶えましょう。それでも、いいかしら?」
「代償は俺自身の全てってか。……へっ、いいぜ。どうせ安い命だ。……くれてやるよ」
「いいでしょう。……こちらに来なさい」
神様が一歩下がり、その衝立の奥に手招きする。その眩しい光目がけて体を縮め、俺は大きく大きく飛び上がった。
「この前の案件、上手くいって何よりです。今後とも是非弊社をよろしくお願いします。……ええ、ええ。ありがとうございました。では」
クライアントからの電話を切って、首元の赤いネクタイを緩め、小走りに駅に向かう。まだ瞼が重いけど、今日も重要な会議が入ってんだ、さっさといかねぇとな。
公園の脇道を走っていると、不意に視界の隅に何かが見えて急ブレーキをかけた。
「んおっ?! な、なんだよ、猫かよ……」
俺の目の前にはあんまりカワイくねぇ、茶色のぶち猫が佇んでいた。不思議そうに俺を見つめて首を傾げる。
「あ? なんだよ、お前。俺はネズミもスズメも持ってねぇぞ」
そいつは俺の言葉を知ってか知らずか、ゆっくりとこっちにやってくると、俺の足に頬を摺り寄せた。……み、見た目によらず、妙にカワイイことしやがるな! でも俺はそんなんに騙されねぇからな!
「だーっ! 俺は付きまとわれるのが苦手なんだよ、放せよ!」
走ってそいつを振り切ろうとするが、あいつは悲しそうな顔でこちらを追いかけてきた。
「なんだよ、お前! 来るなって言ってんだろ! ……って、猫にいっても分かんねぇか。あぁ、もう……!」
立ち止まって、わしゃわしゃと、あいつの頭を撫でてやった。荒っぽく撫でているというのに、奴さん、嬉しそうに目を細めていやがる。
「変な奴だなぁ、お前。……俺の何が気に入ったんだか」
普段猫に構うことなんてしない癖に、あんまりにも嬉しそうにするもんだから、ちょっと気を許してしばらく撫でちまった。朝の喧噪から離れた、穏やかな時間が道端に流れる。ぼんやり撫で続けていた俺だが、ハッとして時計を見た。うお、こんなに時間たってたのかよ!?
「やべぇ、もう行かねぇと会議に間に合わなくなるな」
俺は立ち上がって、駅の方へ足を向けた。背にあの猫の視線が突き刺さる。別に無視すりゃいいのに、なぜか無下にできなくて、俺はそいつの方へ振り返った。
「俺の何が気に入ったのかは知らねぇけどよ、俺もう行かないといけねぇから、今日はここでサヨナラだ。俺毎日ここ通るし、帰りもここ通るからよ。
……また会えっから、心配すんな」
そう言うと、今までが嘘みたいにそのぶち猫はピタッと動きを止め、その場に座った。
「よし、いい子だ。……またな」
駅に走っていく中で、あの猫を思い出すとふと懐かしい思いがした。
そういや、あの猫、どこかで見たような――――まぁ、いいか。
去っていく俺の後ろで、あのぶち猫が、俺の姿を見送りながら、満足そうに尻尾を動かした、ような気がした。
めでたしめでたし。
ないものねだり 三上優記 @Canopus1776
★で称える
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