6

 ワンルームの我が家は、ほのかに絵の具と紙の匂いがした。

 ベッドに寝そべって、渦巻くのは自己嫌悪と罪悪感である。

 あんなにも大層なことを言い出しておいて、ここで筆に迷いが出るなんて、不甲斐なし。まことに、情けない。

 どうしたらいいのだろう。こんなとき、父ならどうしただろう。


 ふと、壁にかかった父の絵を眺める。

 幼い私が描かれた絵は、父らしいあたたかい色味に彩られている。私はこの父の画風が好きだ。

 父は、人生の何気ない瞬間を、その幸せの温度を描くことを好む人だった。


 だけど、変若水暮人は。

 彼はきっと、描きたかったことだろう。

 鮮やかな終わりの、眩しさを。

 その人生の在り方を。


 彼が描いた遺影は、どうしようもなく美しくて、涙が出るようなあたたかさで、春の海みたいに優しかったけれど。そして私は、そんな父の絵が好きだったけれど。


 描けなかったのだ。きっと、どうしたって。


 彼に見えていたものは、極彩色に燃える輝きじゃなかった。静かでやわい、そのままの為人ひととなりだったのだから。依頼人がどう望もうが、見えているようにしか描けなかった。

 画家はまず、対象をあまりにも先入観なく、そして主観的に観察する。そうして自分の中でイメージを固定して、キャンバスに描いていくのだ。だから、一度根付いたイメージを覆すのは難しい。芸術家が頑固というのは、たぶんそういう性質がある故なのではなかろうか。


 そして今、私にもそれが起きている。


 蓮華さんの望む姿と、私に見えている姿とで、齟齬が生じている。


 ──もっと鮮やかに、こう在りたいっていう理想を反映したいわけ。家族にも友人にも、自分で演出した美しい終わりを遺したいし。


 彼女はそう言った。そして私は、その在り方に、かつて父が見え得なかった鮮やかさを見たのだ。だから、描けた。凛として儚く、強かでもろい、風前の灯の煌めき。そういったイメージを、たしかに描けたのだ。

 でも、昨日からの蓮華さんはどうだろう。

 初めて会ったときに感じた、白い翼の悪夢みたいで、清廉で、鋭い華やかさは……ブラックのスーツを着こなし、背筋を毅然と伸ばす姿は、昨日はなかった。

 病院特有の服を着た、か弱くたおやかな撫子桜。その差が、私の中のイメージを覆してしまったように思う。


 それでも描くならば、選択肢はふたつ。


 一つ目。このままのイメージで完成させること。

 不幸中の幸いというべきか、この数日で下描きは全て終わっていた。残る作業は着色と、細かい仕上げのみ。けれどやはり、彼女の理想とする姿を色で表せないかもしれない。望みに添えない可能性が高い。ただ、彼女の終わりが来る前には確実に完成させられるだろう。

 そして二つ目。 どうにかして最初のイメージを思い起こすこと。

 けれど、そのやり方がわからない。どのくらいかかるかも分からない。彼女の限界に、間に合わないのではないか。


 考えてみても、選べる道など二つに一つである気がした。

 いっそ、明日の蓮華さんがまたスーツでも着ていてくれないかな。


 そんな無茶を考えて、その夜は瞼を閉じた。



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