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 それから数日経ったある日のバイト帰り、何となく本屋に寄りたくて、家に帰る方向のバスではなく電車に乗った。


 依頼されたものを描くときはアトリエに向かう私だが、普段は生活拠点である都心近くの下町で一人暮らしをしている。絵の依頼は今のところ蓮華さんのみなので(あまり数が多いと描けないし)、収入源としてバイトをしているのである。


 車窓から見えるのは、青ではなく灰色のコンクリート。朝日ではなく、暮れ泥む橙だ。


 もちろん、この景色だって愛着があることに変わりはない。しかし私の思考は、どこまでも広い青の世界へと繋がってしまうのだった。


 バイト先の最寄り駅から二駅の学区街は、下校する中高生でそれなりに賑わっていた。大通りへ出れば大きな書店のビルが見えて、道路を挟んだ向こう側は私立大学のキャンパスである古いアール・デコ調の建物がまばらに広がっている。


 歩道の端っこをちんたらと歩いていたが、ふいに後ろから来た救急車が私を追い越した。

 ドップラー効果でサイレンの音が遠ざかっていく。

 見ていると、真っ赤なサイレンはそのまま真っ直ぐ進んで──目の前の私立大学の正門を潜って行った。


 ダン、と踏み荒らされたように心臓が音を立てる。


 喉から細く息が漏れた。



 ……いやまさか、と首を振る。

 大学なんて東京にはいくらでもある。事故も救急の案件も、毎日山ほどどこかしらで起こっているじゃないか。

 それに彼女は……蓮華さんには、きっと大学に勤務できるほどの体力は残っていないだろうから。家で静かに過ごしているのではあるまいか。

 そう思って、先日のようにゆったりとアフタヌーンティーでも楽しむ様子を想像してみたが、いまいちシックリとはこなかった。会話をしてみて分かったことだが、あの花のような傾国は、ジッと引きこもっている性分ではないだろうと思ってしまったのだ。

 かと言って、どうすることも出来やしないが。だってあくまでも蓮華さんは顧客であって、私は依頼された絵を描くだけ。プライベートに立ち入るべき人間ではないし、その資格を持ち合わせていない。


 ……けれど。


 けれど、どうしてか、やけに胸騒ぎがした。


 スマホで地図を起動して、ここから1番近くの大きな病院を検索する。

 少し遠くて、ここからはバスで20分。電車なら10分かからないから……そこから徒歩だ。

 来た道を駅まで戻り、エスカレーターでのんびり登っていく時間すら惜しくて階段を駆け上ってホームへ。

 丁度やってきた電車に身を滑り込ませ、ハ、と息をついた。

 妙に頭が冷静になって、感覚が全て鋭くて、鬱陶しいほどに耳鳴りがする。


 行ったところで、どうしようというのだろう。


 私はあとひとの友人でも教え子でもない。だというのに押しかけて、それでどうしたいのだろ。

 そう思って……グッと唇を噛んだ。


 でも、どうしても行かなくちゃいけない気がしたのだ。

 走ったせいで汗の滲んだシャツを握りしめ、長く息をつく。

 会える状態かはわからないけれど……そもそもこの病院で合っているのかも分からないけれど、それならばそれまでということだ。

 目的の駅を示すアナウンスに、冷静になったはずの頭がまた忙しなく思考を巡らせてしまう。


 ただの思い違いであってくれればいいけれど。

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