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 初対面の人間に、一度で姓を「おちみず」と読んでもらえた試しがない。大抵はどうにか読もうとして、しかし字面から音を想像できず、困ったように首を傾げられるのみだった。

 であるから、小さい頃は自分の姓を好ましく思っていなかった。


 しかし、父の画家という職業を意識し、また自分も同じ道を志し始めてから気付いた。


 芸術において、名前というのは大きな印象を残す。


 例えばピカソと言われれば、私たちは幾人ものピカソさん達の中から「画家のパブロ・ピカソ」を思い浮かべるに違いない。


 著名な芸術家というのは、私たちの間では一般常識と言って差し支えない程度に名が知れている。


 なぜなら芸術とは、すなわち作品であるからだ。

 多くの人々が携わり普遍的な形にまとまった数式などとは違う。

 自分が創り出したものは、誰からの干渉も受け付けない。在るがまま、作者の人格、感情、描き方の癖ひとつに至るまで鮮明に映し出す。


 であればこそ、その個性でいかに印象を与えることが出来るのか。それが、名前ひとつで己の価値を証明してみせる、芸術家という人間のネームバリューの根底である。


 そしてそれは、画家である父にも──ひいては私にとっても、等しく与えられた。


 不落見という特異なこの名は、聞けばまず忘れまい。だからこれは、私の存在を証明する重要なピースなのである。


 父の名は暮人くれひとといった。


 この町で生まれ育ち、この町では名の知れた肖像画家だった。

 暮人は月にいくつかの依頼を受け、その度にこのアトリエに籠り、私は父の絵を見ていたのである。

 変若水暮人に依頼する人達は、年齢も性別も目的も、てんでバラバラだった。

 先祖代々の肖像と一緒に自分のものを並べたいと言うご老人。子供が生まれた記念に、と訪ねてくる若い夫婦。


 そして、遺影として描いて欲しいと頼みに来る人。


 遺影を描いているとき、父はどことなく寂しそうな目をしていた。けれどそうして出来上がった絵は、どんな肖像画よりあたたかく、美しく、私の目には映った。

 物心ついたときから、父の背を追っていた気がする。

 しかし私は、あの美しくあたたかな──父の描く遺影に、一等魅せられていた。

 知らぬ間に、画家として、遺影を描く画家として歩み出そうとしていたのだ。


 高校を卒業する時期になって、美術学校に進むべきかどうか迷って結局やめたのも、それゆえである。

 遺影画家に必要なものは、写実的に、無駄なく素早く対象をデッサンできる力であるから。学校で学べる専門知識や自分の個性を伸ばせる環境は、確かに魅力的だったが……しかし私には、却って邪魔になってしまうと思ったのだ。

 幸い私は、父から描画の基礎を教えられていた。あとは独学でも、どうにかなった。

 そうして今年の春から、この変若水暮人のアトリエは……変若水小夜のアトリエとなったわけである。


 画家としてはまだ一年目。私がどんなものを描き、どんな画家になるのか。


 それはきっと、私という画家に終わりが来るとき分かるのだろう。


 私は知りたいのだ。

 幼い私が──他のどんな肖像画より、遺影画に惹かれたわけを。

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