欠落少女

@ajisawa-0410

第1話

彼女は落とし物をしている。


遠い、何処かに。


 僕は、見つけたい。


 彼女の落とし物を。




「ねえ、今、悲しいの?わたし、『かなし』くないの。ねえ、私は落とし物をしたのかな。ねえ、教えて」


 僕の肩を揺さぶる彼女を、僕は虚ろな瞳で見つめた。


「落とし物、したのかな……」


「僕が、見つけるから……君に泣いてほしくない」




 涙でぼやける視界の中に彼女を捉える。


 僕達の前には、黒で縁取られた、彼女の両親の写真が置かれていた。


 もう会うことはない、もう会えない、彼女の両親の写真が。




「雅弓。学校、遅れるよ」


「うん、ごめん、待たせて。今行くから!」




 インターホンのスピーカー部分から、聞きなれた幼馴染の声がする。


「お待たせ」


「遅刻ぎりぎり。今日確か、門に川合先生立ってる日だよ」


「そうだっけ。川合先生怖いもんね。急ごう」






 扉を勢いよく開けて出てきた蓮井はすい雅ま弓ゆみは、僕を追い越して走り出した。


「そうそう、あのね。昨日、お婆ちゃんが死んだの。でね、親戚の人、泣いてた……。ねえ、なんで皆、泣いていたの」


「……………………………うん」


 彼女は、落し物をしている。


 彼女は、落し物を探さない。


 探すのは、落としていることに気付かないと、出来ないことだから。


「雅弓、それは、悲しいから。大切な人が亡くなって、悲しいから」


「かなしい…………かなしいって、なに?」






 僕にとって、蓮池雅弓という人物はいつまでも変わらない、


 小さい頃は何処でも一緒に来て迷惑だったけど、しかし、手間は掛からない幼馴染だった。


 今はもう、諦め、というのだろうか。


 どうしようもない、しょうがないという感覚がある。


 本当に、どうしようもない。それこそ、僕が死ななくちゃ行けないくらいには……




「高校も卒業かぁ……進路というか……、イマイチやりたいこと、見つかんねぇんだよなぁ」


「だな。ま、俺は就職だし、進路はある程度決まってるけどな」


 親友の、章あき宏ひろがぶつぶつ呟く。


「葬儀屋だっけか。変わってるよなぁ」


「るせ。別にいいだろーが!」


 笑いながら、章宏に飛びかかる。


 高校三年、最後の三学期。


 僕達は、未来を見据え、歩きだす。


 間もなく訪れる別れと、訪れるはずの出会いのために。






「雅弓、話があるんだけど」


「いいよ。それとコウちゃん、外、雨降ってる。傘、入れて」


「分かったよ……でも、コウちゃんゆーなよな」


 雅弓は昔からぼくのことを、コウちゃん、と言う。


 恥ずかしい、本当やめてほしい。


 只、当人やめる気ないので、これまた致し方ない。


「そういえば、なんか近くで殺人事件あったって。怨恨だって。怖いよな」


「………………気持ちで動いてるんだもん。怖くない。良いことじゃ、ないけれど」


「…………そうかな」


 こういう時、雅弓と話すと無性にいらいらする。


 話の論点が噛み合わない。


「もう、いいから先帰る。傘、いいから」


 雅弓の手に傘を押し付け、雨の中へ飛び出す。


 体に雨粒が辺り、少し肌寒い。


 雅弓は分かっていない。


 今も、むかしも。




 ピンポーン


 玄関のチャイムが鳴った。


「お待ちください、今行きます!」




 外には、雅弓が暗い顔で立っていた。


「まゆみ……」


「コウちゃん………………私、私ね、泣きたい」


 今にも泣きそうな顔で、雅弓は、そう言った。




「雅弓…………えっと…………ふっ、布団がふっとんだ!」




 ……………………。


 …………………………。




「えっと、コウちゃん?」


「その、つまり!確かに僕は哀しみ、悲しみをしってほしいって、言った、けど!泣いてほしくない!泣くのは、心が痛いし、辛いし、だからっ!泣いて、ほし、く、ない」


 我ながら、何言ってんだろ……


「………………コウちゃん」


「…………なに」


「ありがとね……じゃあ、また明日。コウちゃん、明日から困らせないから」


 一瞬なんのことか分からなかったが、すぐ遅刻のことを思いだし、ああ、と頷いた。




「………………結局、来てない」




 朝は玄関から外を眺め雅弓がそとにいるか確認する。


 来ていないので仕方なく、ゴミだしをしている雅弓の伯母さんに声を掛ける。


「おばさん。雅弓、まだですか」


「おはよう。雅弓なら、朝早くから学校に行ったわよ。部活、入っていたのね、ご免なさいね、先行っちゃって明日からちゃんと言うように言っておくから」


「部活……教えてくれて有り難うございます」


 伯母さんに頭を下げ、学校へむかう。


雅弓は、部活なんてやってない……万年帰宅部だって、自虐的に笑っていたのを覚えている。いつも、帰宅部の僕と一緒に帰っているから……






「はよーっす」


 教室へ入った途端、章宏が話掛けてくる。


「あれっ、雅弓ちゃんと一緒じゃねぇの」


「…………雅弓、来てないのか」


「おう。あれ、本当に一緒じゃねぇんだ」


 にやけながらこちらを見る章宏。くそ、ムカツク。


「雅弓、どこだ………………?」


 どれだけ鬱陶しくても、幼馴染。


 授業中も気が気でなかった。


 結局雅弓はその日、学校に来なかった。






 家に帰って、すぐ。


 電話が鳴った。


 プツ――――――着信音の後に……


 留守電だ。


 番号は、雅弓の個人携帯。


『もしもし、コウちゃん。今日1日、迷惑かけてごめんね。コウちゃん、気付いてるよね……私が、落とし物、してること』


 落とし、物。


 僕は、目を見開いた。


 雅弓が、気づいていた……


『私、両親がなくなった時から気付いてた。でも、言えなかった……悲しくないって。


 私今なら、落とし物のためなら、何だって出来ちゃうと思うの……それが、怖い、とても、とても…………


 私から、逃げて。ごめんね、コウちゃん。さようなら。


 でも、本当に私、コウちゃんのこと』


 そこで留守電の時間がなくなったのか、続きはなかった。


 雅弓は、雅弓は。




「雅弓は、悲しめないことに、気付いてた」


 口に出した瞬間、現実味を帯びて、僕を襲いにきた。


 嘘だろう。


 嘘じゃない。


 これは、現実。


 だが現実問題として、それほどの時間はない。




 雅弓を連れ戻す。ずっと、僕に迷惑を掛ける手の掛かる幼馴染だったじゃないか。




 お気に入りの鞄に絆創膏とお菓子その他諸々を入れて、立ち上がった。




「雅弓…………」


 鍵を閉め、僕はある場所へ向かう。




『ここね、私の大好きな場所……!ここにいると、なんとなく、私を私たらしめるようで』


 僕はその言葉を思い出す。


 バスに乗り込み、僕はひたすらに頼りない幼馴染を思った。






 僕はバスから降りた。


 そこは、辺りに数件の家しかない田舎。


 巨大な大樹。


 樹のてっぺんは雲に隠れ、今一視認することができない。




「ここに、雅弓がいる…………」


 証拠はなかったけれど、確かに自信があった。心が、直感がそう告げていた。


「待ってろ、雅弓!」


 僕はひたすらに樹に向かって走り出した。


 樹は遠いけれど、すぐに行けるような気がする。だって、雅弓が呼んでるんだから……






『わたし、まゆみ!よろしくね、こーちゃん』


 にこっと、可愛らしく笑った彼女は、僕の手を掴んだ。


『ぼくは、――』


『ねえ、わたしのひみつのばしょにおいでよっ!こうちゃん!』


『わ、わわ』


 驚きながらも、僕は彼女についていった。


 小さい頃の、幼い記憶だ。出会った時は真逆で、僕が雅弓に引っ張られていたんだっけ。




「っは、あ、は、は、は」


 息は切れ切れで、苦しいし喉が痛い。


 喉があまりの冷たさにじんじんする。風がひりひりと痛い。




「ま、ゆみ」


 幼馴染の名前を呼ぶ。


「まゆみ、まゆみ、ま、ゆみ」


 雅弓。


 返事はかえってこない。


 辺りは一面緑で、小鳥のチチチ、という小さな囀さえずりが聞こえるだけ。


 ひたすら急な山道を登る。


 死にそうだ………………


 どさっ、と音がした。


「…………………ぼ、く」


 僕が、倒れた音だ。


 まるで頭の中では他人事のようだった。




「まゆみを、たすけないと」


 ゆっくり立ち上がる。


 でも、また体勢が崩れてしまう。


「まゆみ………… 」


 瞼が、おもい……


 ああ、なんか、これじゃ死ぬみたいじゃん。


 そう思うのに、思うのに…………


 僕の意識は、遠い何処かへと消えていった。






『わあ、すごい!』


『でしょう?わたしのひみつのばしょだもんっ!』


 雅弓は、僕に向かって笑い掛けた。


 雅弓は幼い。


 ああ、そうか。こういうの、走馬灯って言うのかな。それでもいいか。楽しい記憶だし。




『わたしねえ、こうちゃんとけっこんするんだ、ぜったい』


『けっこんのいみ、わかってるのか?ずっと、いっしょにいるんだぞ』


『じゃあ、一緒にいよう、ずっと』


 もう中学生になる直前頃だった。




『わたし、しあわせ…………幸福なんだね』


 彼女はいつも、しきりにそう言っていた。


 悲しみを知らないから幸せとか、なんて単純思考だ。




 ――――――『悲しいって、なに』。




 悲しみを知らない彼女がとても悲しそうだった、というのは鮮明に覚えている。






「ここは」


 僕は、死んだんじゃないのか。


 いや、そもそも死んだのかすら分からない。


 僕は辺りを見渡す。




「――――――――雅弓…………?」


 そこには、危うげな幼馴染が一人で佇んでいた。


 足下は、まとわりつくような霧で、脚が物凄く重い。


「雅弓……!」


「こ、ちゃ、で、ここに」


 雅弓の言葉はとぎれとぎれで、よく分からない。


「雅弓、お前」


 彼女の頬は静かに湿っていた。


 瞳の光はゆれている。


「わたし、しんっ、でっ、こうちゃ、ん、に、会いたいって、ねが、て」


「雅弓」


 話は要領を得ない。




「わたし、ないてる」




「――――――うん」


 悲しいのに、かなしいのに嬉しそうに笑う雅弓。


「こうちゃん、でも、わたし」


「――――――うん」


 探してたんだ、雅弓。


「でも、わたしたち、どうなってるの?」


 瞳の滴を拭いながら、雅弓は問うた。


「雅弓、足下」


「え……?……!足が、透けてる」


「うん」


 と、いうことは。




「本当に、死んだんだ」




「う、うん…… 」


 雅弓も戸惑うように俯いた。


 そう簡単に納得出来る話ではない、当然の反応だろう。僕もそうだ。


「でも、ね、こうちゃん。わたし。わたし」






「死んだってこうちゃんと、会って話したかったの。だって、そうじゃないと、悲しいから」






 彼女は泣きながら、笑いながらそう言った。


「まゆ、み」


 僕は目を擦り、口元を綻ばせた。


 僕は強く目を瞑り、また開いた。




「待って………………………………雅弓、さっきよりも、透けて…… 」


 雅弓は、先ほど見たよりも更に薄くなっていた。 


 足下のみ、奥の景色が見えていたのが、胸辺りからも奥の景色が透けている。




「あ……僕もだ――――」


 自身の体を見ると、己の身も透けていることに気付いた。


 雅弓の方を見れば更に薄くなり、腰辺りまでは既にほぼ姿はなくなっていた。




「わたしね、私ね、幸せだった。悲しかった。苦しかった……こうちゃんと会えて、幸せだったんだ」






 ――――そう言った時には、雅弓の姿は既に見えなくなっていた。






「僕も、すぐに行くよ」


 追い付いて、雅弓の涙を拭ってあげるよ。


 この悲しみの音の響く世界で。


 この幸せを望む世界で。


 君の悲しみを、祈るよ――――




 空から、優しい日の光が降り注ぐ。


 涙に濡れた頬を優しく風が撫ぜる。


 それは、雲一つ無い、眩しい快晴の日だった――――


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