第34話 教皇スーリュカ・モルゲン 〔教皇・聖騎士side〕



 人族と魔族が住まう広大な大陸アレクサンドロス。魔族領より遥か北方に位置するルガロ帝国において最大権力を持つのは当然、皇帝である。その下に皇帝から爵位や官職、領地などを与えられた特権階級を持つ貴族と呼ばれる存在や、上級国民がいる。



 しかしここで、皇帝と同等とも言われる権力を持つ者が一人、存在する。



 それこそ正に、国教である『聖リィファ教会』の頂点であり〝神の代弁者〟と呼ばれる〝教皇〟に他ならない。

 王族が社会的に『高貴なる一族』と認識される反面、世代を超えて継続的に『聖者』と認められるリィファ教会の教皇及び上位聖騎士の一部は国家権力すら凌駕する発言力を持つ。


 国家の政務、財務にはほぼ関わらない反面、国にとって重要な魔族討伐に従事するのが主とされる『聖リィファ教会聖騎士団』は軍務にも従事する。

 皇帝の所有する近衛騎士団や国軍に加わり、大なり小なり指揮権を与えられ、魔族領に侵攻する為の駐屯地とされる辺境を担当する聖騎士団もある。



 その聖騎士の頂点に立つスーリュカ・モルゲンはリィファ教会教皇『聖スーリュカ』と呼ばれ、崇められていた。




 ◇




 時はロイヤルアークナイツ聖騎士団長ハンスとジョンソンがセルセレムから聖リィファ教会大聖堂本殿に舞い戻るところへと遡り──



「よく降る雨じゃの……」



 その白髪髭の老人はリィファ教会大聖堂の執務室の窓から空を見上げ呟いた。二つの聖騎士団に任務を与え見送った日から数日、連日の悪天候にため息を一つ吐く。


 分厚く重たい黒々とした雲には時々稲光が空を走る。次第に風も強くなり硝子窓を軋ませていた。

 その部屋の内装は大聖堂にも負けず劣らず。創造神リィファを描いた絵画や神像が飾られている。



「不吉の前触れでなければ良いのじゃがな……」



 そんな行末を察知するように呟いたその時である。大聖堂執務室の扉が開いて二人の聖騎士が歩み寄り、教皇と距離が近くなったところで膝をついて報告の言葉を並べ出す。


「スーリュカ教皇猊下、魔族領セルセレムよりただいま戻りました」

「おぉジョンソンではないか、任務ご苦労じゃった」


「……猊下、同じく……」

「ウム、ハンスもよく帰ったの……ん? 貴公ずいぶん見窄らしい姿ではないか? それに……貴公に与えた聖剣フラガラッハが見当たらぬがどうしたのじゃ……?」


「……」


 白髪髭を撫で下ろしながら逆毛の騎士……『ハンス』と呼ばれた聖騎士から報告を受ける前に尋ねていく。


「黙しておってはわからぬ。答えるのじゃ聖騎士ハンス……ワシが貴公らに与えた任務は全うしたのであろうな? そして聖剣フラガラッハをどうしたのか答えよ」



 二つの聖剣を用いて新たに魔王の座についた者の結界を破り、セルセレム侵攻を速やかに遂行したかどうかの確認と聖剣の在処を──



 だが。



「畏れ多くも猊下……実は……」


 ハンスの回答を遮るかのようにジョンソンが開口すると。


「……大変申し訳ございません。堕天使族討伐は失敗に終わり……ハンスが持つ聖剣フラガラッハは魔族により打ち折られてしまったのです……」



「なんじゃと!!!! 貴公らそれでおめおめと帰って来たと、そう申すのじゃな?!」


「「申し訳ございません……」」


 いずれも怯えるように震えた物言いで告げる聖騎士の報告から望んでいた報告を受け取れず、スーリュカは苛立ちを募らせ表情を険しくし、叱責の声を響かせる。


「一体貴公らは何をやっているのだ! それでも上位聖騎士を取り纏めるロイヤルアークナイツの団長かッ! 情け無いッ」


「「申し訳ございません……ッ」」

「謝って済む問題ではなかろうッ!!」


「それで? 聖剣フラガラッハを折ったという汚らわしくも忌々しい魔族は何者ぞッ!? まったく聖剣が折られるなど前代未聞……恥を知るがいいぞハンスッ!!」


「も、申し訳ありません……実は俺の……私が持つ聖剣を打ち砕いたのは銀髪碧眼のダークエルフのクソガキ……いや少年でして……」

「猊下、ハンスの報告通りです。聖剣を折ったのは漆黒の剣でした……そしてそれを振るって我らに挑んだ者はロクスと名乗っておりました……」



「な、なんと!? ……ロ、ロクスじゃと!? 銀髪碧眼の少年だったじゃとぉ!? それは真かッ」



 湧き上がる怒りに身を任せ、机を老人ながらの細い手ではあるが力いっぱいに叩き突ける。静まり返る執務室にその音が響き渡り、朗報を持ち返れずに戻ってきた聖騎士をより一層怯えさせる。

 そしてスーリュカ教皇の怒声に、聖騎士二人は深々と頭を下げて任務失敗と聖剣を打ち砕かれたことについてを謝罪。ひとしきり教皇の怒りを一身に浴びて、彼の溜飲が若干の下がりを見せたのを機にジョンソンが切り出した。



「し、しかし猊下! 討伐こそ失敗はしましたが、人間型の魔族を捉えましてございます!! 

 容姿もなかなかでございまして……大人から子供まで幅広くご用意致しました!! 皇帝陛下には問題なく報告ができるかと!!」


「手土産があればスーリュカ教皇のお顔も立ちましょう……それについては任務成功と言えます……ハンスもこの様に反省を……」


「ええい黙れ!! 皇帝の下衆な趣味などどうでもいいわい!! そんな事よりリィファより授かりし聖剣が折られたなどと民に知れてみよ! 聖騎士はもとよりリィファ教会の信仰は失墜、地に落ちてしまうぞ!! 貴公らそれを理解しておるのかッ」



 烈火の如く怒る教皇に対して焦ったジョンソンは提案するも、火に油を注いでしまう。

 そして〝ロクス〟という少年について話題を移していく。


「──それで貴公らはたしかにその魔族が〝ロクス〟と己を名乗ったのは間違いないのじゃな?」


 怪訝そうな声を上げ話すスーリュカ教皇の眼は見開くと鋭く切れ上がっており、厳しさと気の強さ、抜け目なさが窺える。



「は。仰る通りでございます……ジョンソンもしかとその名を確認しております」


「ふむ、ハンスの言うことに間違いはないな? ジョンソンよ」

「は。間違いございません」


「ぬうぅ……まさか〝アンソル〟の第四聖騎士団が勇者の兄の始末を失敗した訳ではあるまいな……しかしアレが生きていたとするならば忌々しい限りよ……」


 苛立ちの言葉を吐いたものの、スーリュカ教皇は冷静さを取り戻し始める。教皇になるべくして汚職に手を染めていた彼にとって、こういった意外性のある事例は初めてではない。



「その魔族の容姿は細かに説明できるのじゃろうな」

「は。ロイヤルアークナイツの名にかけて」



「うむ……ではハンスよ、場所を変えて話す……ジョンソン、貴公の沙汰は追って通達するッ」



 そう言って、教皇と聖騎士ハンスは執務室から出ていくのだった。




 ◇



 同日、リィファ教会の拷問部屋にて。


 数人の聖騎士に囲まれた二人の騎士が拷問官により鞭を振るわれていた。




「──ッ!!」

「御慈悲を! どうか御慈悲を!! スーリュカ教皇猊下ぁっ!」


 髪を逆立てた聖騎士の青年、ハンス・マーフリーは拷問に耐え、その横には勇者エイナの兄抹殺の任務を失敗した〝ライモン〟が悲痛を帯びた情けない声を響かせていた。


 しかし、何故か隊長を務めていた者の姿はない。


「黙るがよい聖騎士ライモン。ワシは貴公に口答えを許してはおらぬ」


 そしてライモンの声を断ち切るのは、権力を振り翳しながらもどこか不機嫌そうな声。


「ライモンよ、ワシは勇者の兄を殺せと命じたはずじゃ」


「ひ、ひぃッ!」


「そしてハンスよ、ワシは堕天使族の都を滅ぼせと貴公らに命じ、それを成すに十分な戦力も、そして〝聖剣〟を与えたはずじゃが?」


「……ッ」


「なのになんじゃ?! それを上位聖騎士たる……それも第二聖騎士団の長たる貴公は下賤な魔族に……邪魔されて失敗した、じゃと?」


 声の威圧にハンスは耐え忍び、副長ライモンは押し負けて言葉を失い縮こまる。

 正しく言うならば殺しきれず、そして邪魔されたのは下賤な魔族ではない。紛れもなく聖印の勇者エイナの兄だった半人半魔の少年だと予想がつく。


「ロクスと名乗った少年は間違いなくこの国に災いをもたらす害悪となるのじゃ!! あれを生かしておけば、間違いなく〝聖印の勇者エイナ〟にとって邪魔になろうことじゃて……だから殺せと命じたのじゃ!

 本来ならばアンソルの責任じゃとワシも思うが……聖母ソニアの血族に鞭を振るうのは罰当たりと言わざるを得ぬ! 罪に問うことができぬとはアンソルめ……」


「げ、猊下!! そ、その通りでございますッ。わ、私はアンソル団長の命令のもと──」


 この威圧の中の無言に耐えきれず、ライモンが叫ぶ。


「口を開くなと言ったじゃろうがッ」


 だが、それも不機嫌そうに一蹴し。


「……ふん、まあ罰はこれくらいにしてやるかの……! これは創造神リィファよりワシに与えられた試練やも知れぬ。愚鈍な者どもの失敗を許容する愛を試されているのじゃろうて」


 平謝りするライモンと、一声も上げぬハンスを一瞥しスーリュカは背を向ける。


「堕天使族討伐は一先ず置いておくとして……貴公らにもう一度チャンスをやる! 勇者の兄を殺し、その首を持ってくるのじゃ!!」


「はっ……はッ!」

「──ッ!」


 声の主──聖スーリュカ・モルゲンは悠然とした足取りで拷問部屋を去るのだった。


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