第3話 変わる過去

「話って?」


 阿曽媛と再び出逢ってから、三年後が経過した。その間、飛び飛びになる日々に温羅は戸惑うが、これも須佐男の力の影響かと納得した。


 五十狭斧彦いさせりひこは難しい顔をして、困惑を口にした。彼の目の前には、真剣な面持ちの温羅がいる。


「戸惑わせてすまない。だが、大切な話だ」

「お前最近変だからな。何かあるとは思ってたぜ」


 さあ話せ。そう言いたげに腕を組んで胡座をかく五十狭斧彦を見て、温羅は内心記憶と同じ展開にほっとしていた。同時に、悲しくもある。

 これから話すことで、温羅は仲間であった鬼たちの信頼を失うのだから。そして、やがて温羅自身が半身を失う。


 未来を変えてはならない。それによって起こる苦痛が、密かに温羅を苦しめた。


(それでも、進むしかない。あるべき未来へ向けて)


 温羅は悲しい決意を抱き、過去の自分として言葉を発した。


「今後一切、麓の村々を襲い奪うことは許さない。女子ども、男たちを含めて誰も傷付けるな」

「……温羅。お前さん、自分が何を言っているのかわかっているのか?」

「わかっている」

「いや、わかっていないだろうが!」


 バンッ、と五十狭斧彦が床を殴り付ける。振動が温羅の元まで伝わってきたが、温羅は動じない。真っ直ぐに五十狭斧彦の目を見詰める。


「……わかっているんだ。だからこそこれからのわたしたちの為に、村とは力を合わせて──」

「もういい。お前の心変わりはよくわかった」


 五十狭斧彦は温羅の説明を遮り、荒々しい動作で立ち上がる。そして、温羅を見ることなく背を向けた。


 温羅は無理だとわかっていながら、親友だった男に呼び掛ける。この後、何と言われるのかも思い出してわかっている。

 それでも、呼び掛けずにはいられなかった。


「五十狭斧彦、聞いてくれ! わたしは」

「聞きたくない。……もう、お前は仲間ではない。裏切り者は消えろ」

「……やはり、そうか。わかった」


 全ての掛け合いを思い出す。あの時も、同じ言葉の応酬があった。

 だから、温羅はわかりきった胸の痛みを抱えて立ち上がる。そっと五十狭斧彦の横をすり抜けて、鬼ノ城を後にする。

 五十狭斧彦はその場に立ち竦み、しばらくの間動かなかった。


「何故だ、温羅」


 五十狭斧彦の悲痛な声が、鬼ノ城に静かに響く。


「温羅。鬼とは、人をその力で捩じ伏せ支配し、導く存在だ。なのに、それらと我らを同等に扱う等と……承知出来るわけがないだろう!?」


 ひとしきり騒ぐと、五十狭斧彦は大きく息を吸い、吐く。そうすることでこころを落ち着け、次にすべきことへと頭を巡らせる。

 やるべきこと、それは仲間の鬼たちの召集だ。温羅を鬼の裏切り者として、殺す手筈を整える必要がある。

 五十狭斧彦はわずかな期待を寄せて温羅の去った方を見たが、温羅が戻ってくることはなかった。


 鬼ノ城を外から顧みた温羅は、ふと実際の過去との相違に気付く。


「待て。……わたしがここを出るのは、もう少し先ではなかったか?」


 本来の過去では、一度五十狭斧彦は温羅の提案を受け入れた。そして茨木いばらきたちと共に大人しく過ごしてくれていたはずだ。

 温羅が鬼の王でなくなるのは、阿曽媛と結ばれることを望まれなかった時。それに気付いてしまい、温羅の胸の奥が冷えた。


「……このまま進んで、わたしは元の時間に、彼らのもとへ戻れるのか?」


 まるで、首を絞められるような苦しさを伴う。しかし、もう戻ることは叶わない。

 温羅はため息を呑み込むと、夜闇の中へと足を踏み出す。行きたい場所は、一つしかなかった。


 温羅は、ただ一人であの池端に腰を下ろす。

 清い池は自然の結界でもあるのか、選んだ存在を周りから包み隠す。そんな特別な場所だと知る者は、鬼の中にも人の中にもいなかった。

 勿論、温羅も知らずにいる。


「どうするか、だな……」


 正直、自分一人なら何処へだって行くことが出来る。宛もなく放浪の旅をしてみるのも悪くない。

 しかし、温羅には離れたくない理由があった。心を通わせる阿曽媛の存在である。

 過去の温羅もまた、悩み苦しんだ。いっそ別れを告げて行方を眩まそうかとも考えたが、出来なかった。


「温羅、さま……?」

「阿曽媛」

「よかった、いて下さいましたね」


 胸を撫で下ろした阿曽媛が、温羅の隣に腰を下ろす。衣が汚れることも厭わない彼女は、最初に出逢った時に一人だけ布を敷くことを拒んだ。


 いつしか傍にいることが当たり前になった二人の距離は、近い。それでも肩が触れ合わないのは、最後の壁が心にあるからだろうか。

 温羅はただ黙って寄り添ってくれる阿曽媛のぬくもりを感じ、自分の状況の変化を告げるべきか迷った。過去の自分はどうしたかを考えるが、こんな時に限って浮かばない。

 仕方なく、温羅は月を見上げた。


「阿曽媛、毎晩のように邸を抜け出して叱られないのかい?」

「ふふっ。皆が寝静まってから抜け出していますから、大丈夫です」

「そういうものなのか……?」


 若干、阿曽媛の自宅の守りの弱さを不安に思うが、その分は自分が補えば良いと思い直す。これからは、時だけは充分に与えられている。

 勿論、須佐男の力の限界までという期限はあるが、それが過去のいつを指すのかはわからない。であるならば、今の自分に出来ることをするしかないではないか。

 過去の自分を思い返しても、同じように行動したし考えたはずだ。


「……冷えないか、媛」

「大丈夫です」


 何を言うべきかわからず、温羅は隣の阿曽媛に問う。気丈にも媛は寒くないと言うが、わずかに彼女の手が震えていることに、温羅は気付く。


「強がりを言わなくて良い」

「……!」


 温羅がそっと阿曽媛の両手を自分のそれで包み込むと、媛の顔が真っ赤に染まった。何か言わなければと口を開くが、声にならない。

 温羅は気付かず、媛の手を暖めようと握り続けた。


「あ、あの。温羅さま……わ、たしっ」

「───えっ」


 どれだけの時間が経っただろうか。これからのことについてつらつらと考えを巡らせていた温羅は、蚊の鳴くような阿曽媛の声で我に返った。


 温羅が顔を上げれば、目の前には真っ赤な顔をして瞳を潤ませる阿曽媛の姿がある。そして彼女の両手は、自分がしっかりと握り締めていた。

 その現実を直視し、温羅は「ごめんっ」と叫んで手を離した。胸の奥が高鳴り始め、頬が熱い。


「……そ、そろそろ媛は戻らないと。帰らなければ、ご両親が驚かれる」


 恥ずかしさがまさって媛に背を向け、温羅は努めて明るく言う。そんな彼の衣が、くいっと引かれる。

 驚いて振り返ると、俯き気味の阿曽媛が温羅の衣の端を掴んでいた。細く白い指が、何かを訴えるように衣を握る。


「…………は、……めですか?」

「媛?」


 何と言ったのか、聞こえない。温羅はもう一度言ってくれるよう頼むために阿曽媛の名を呼ぶ。

 すると媛は「しまった」という風に自分の口を両手で塞ぐと、一歩退いた。


「阿曽媛……? どうし」

「ごめんなさいっ」


 阿曽媛は頭を下げると、踵を返した。走り出そうとする媛の背に手を伸ばすが、温羅の手は届かない。


「媛……」


 切なく響く温羅の声が届いたのか、媛は山を下りる途中で立ち止まる。そして、振り返ることなく言い残した。


「また、明日っ」

「あ……。ここに、いるから」


 遠ざかる媛の背に、温羅の声がぶつかる。彼の声が後押しとなり、阿曽媛は滑りそうな足に力をいれた。


 少しずつ変容する過去。温羅は二度目の過去の変化に戸惑いながら、ただその場に立ち尽くした。

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