第5話 新米の新妹を受け入れる腹は決まった
朝食の後、一人暮らしを始めてからは週一刻みで沸かすか沸かさないかの風呂に湯を張ると、先に海凪を入れてやる。
なんだかとぼとぼした足取りで風呂場に向かった海凪だったが、眠っただけでは疲れが取れなかったのだろう。
ならば、思う存分湯船から生気を分けてもらってほしいと思う。狭いけどな。
とはいえ、風呂とトイレ、洗面台が全て別なだけ一人暮らしの家にしてはマシってもんだ。家賃も抑えめだし。
結局、三分の一くらいしか食べられなかった巨大オムライスはラップをして冷蔵庫で冷やしておく。
海凪は「美味しくないですし、何より体に悪いですから捨ててください」と言っていたが、せっかく作ってくれたのを捨てるのはなんだか気が引けるし、まずいとはいえ吐くほどではなかったので腹に入れば同じだろうと、昼にも食べることにしたのだ。
「さて、この時間なら起きてるだろ」
ベッドに腰かけ、スマホを開き、ラインアプリのアイコンをタッチして通話をかけた相手は母さんだ。
なし崩し的にずるずると海凪を家に置きっぱなしにしてしまっているわけだが、ちゃんと確認しておかなければならないことが山ほどある。
だってそうだろ?
常識的に考えて、母さんが昨日送ってきたメッセージの通りだったとしても、海凪のような小さな女の子が社会的に責任を持てない俺のような男子高校生と二人で暮らすなんて不健全極まりないのだから。
十八禁ゲームを借りてやってる分際で、というのなら確かに返す言葉もないけれど、それでも海凪をこのまま俺の家に住まわす理由にはならない。
丁度掛け時計の長針が八と重なったとき、三コール目にして母さんは眠たそうな声で電話に出てくれた。
『ふわぁ~、どしたの~こんな朝早くに』
「聞いておきたいことがあってな」
『海凪ちゃんのこと~?』
「そうだ」
『ちょっと待ってね、今トイレから出るから』
「トイレで電話に出るなよ。汚らしい」
数分の間、トイレットペーパーをガラガラっと回したり、水を排水管に流したりという相手が息子とはいえ流石に気にしてほしい音を聞かされた後、再びスマホから母さんの声がする。
『ごめんごめん。それで? 聞きたいことってどんなこと?』
俺が朝に弱いのは母さんからの遺伝なのか、母さんは朝なら割と普通のテンションだ。
これならまともに話が通じそうである。
好機とばかりに俺は、直球で、
「本当に海凪を俺の家に住まわせる気か?」
母さんはねじの数本は外れてるかもしれないが、それでもやっていいことと悪いことの分別など当たり前についているはずだ。なにせ、立派……とは言えないが、一人息子の俺をここまで育ててくれたのだから。
これでも感謝はしているのだ。あんな性格だからなかなか伝える機会はないけど。
だから、そんな母さんが大した事情もなく思い付きで海凪のような小さな女の子を俺に家に住まわせようとしているとは思ってなくて。
「理由はなんだ? 法律上はどうとか言ってたが、海凪はどういう子なんだ?」
しばしの静寂の後、母さんは、
『……そうだよね。意外と真面目な大河ならそう言うよね』
どう考えても意外とは余計だろ。
『とりあえず、海凪ちゃんを大河の家に住まわせる気か、という質問の答えは本当に住まわせる気だよ』
「なんでだ? 海凪がどういう経緯でやってきたのかは知らんが、家族になるというのなら住むのは別に実家だっていいはずだ。 ラインではあんまり構ってあげられないからとかどうとかぬかしてたけど、まさかあんな小さい子を放ってイチャイチャするような母さんと親父じゃないだろ?」
あの二股ストローの画像の後に送られてきた、突飛な長文のメッセージに含まれた一文が、適当なことを言っているのは分かっていた。
だって母さんと親父があんなにもイチャイチャし始めたのは、俺が中学に入ってからくらいのことで。およそ手のかかるくらいの歳を過ぎる前までは、一人息子に愛情を捧げることを優先してくれていたのだから。
それ以降も、悪いことをしてしまえば叱ってくれたし、テストでいい点を取れば褒めてくれた。加えて、あること……今は言いたくないのだけれど、そのあることで絶望に陥ってしまったとき、やはり両親だけは傍にいてくれたのだ。
だから、海凪のような女の子を責任も持たず、一人暮らしの俺に家に送り出すなんてことは考えられなくて。
それに対して母さんは、
『大河が言いたいことは分かってる。だけどね、私は海凪ちゃんとある約束をしたの』
「約束?」
『そう、大事な約束。誰にも話してはいけない、とっても大事な約束。だからそれを大河に教えてあげることはできない。海凪ちゃんの正体も含めて』
一体どんな約束だというのか。俺には想像もつかない。
『でもね、これだけは教えてあげられる。海凪ちゃんは確かに私たちの家族で、確かに大河の妹で、あの子が望んで大河の家に向かったってことは』
「そうか……」
腑には落ちてない。だが、ちゃんとした何かしらの理由があって俺の家に海凪がやってきたというのはなんとなく察した。
だったら腹をくくらなければならない。
新しい家族と、一人っ子だった俺に突然できた妹と暮らすことを。
「本当に大丈夫なんだよな? 実は知らないうちの子でしたとかやめてくれよ? 俺の将来に関わってくるんだからな?」
『もうー信用ないなー。大丈夫だって。妹免許、持ってたでしょ?』
「いや、あんなデタラメなもんを免罪符にされてもな……」
もう決意が揺らぎそうになってきた。やめてくれよ、そういう不安の煽り方は。息子がお縄に繋がれるかもしれないんだぞ?
というか、かもじゃなくて繋がれるな。全国放送で少女を誘拐した男子高校生(十六)のテロップが流れるな。
そんなのは本当にごめんだからな?
『それで? 海凪ちゃんはどうしてる?』
「今風呂に入らせてる。昨日の母さんとの電話の後すぐ寝ちゃったからな」
『長旅だっただろうしそうだよね。もうすぐ中学生とはいえ、こないだまで小学生だったんだもん』
「は? 中学生?」
『そうだよ? 免許にも生年月日、書いてあるでしょ?』
まだ小学四年生くらいかと思っていた……。俺の直感は少し幼く見積もっていたらしい。いや、二、三年くらいの誤認がどうかしたかと言われれば特にはないのだけど。
海凪のショルダーバックからはみ出した妹免許なるものを取り出してみると、書かれていた生年月日は「平成二十一年十二月二十日生」だったので、確かにもうすぐ中学生だ。
……待てよ?
春から中学生ということは当然中学校に通うということで。
このあたりには、中学校という存在は一つしかなくて。
その中学校というのは、俺が通う高校とエスカレーター式になっていて。
……いや、まさかな。
『それで、大河。どう?』
「どうって何が」
『海凪ちゃんの『妹力』だよ』
容易に想像は出来ていたが、やはり『妹力』とやらを海凪に吹き込んでいたのは母さんだったらしい。
「どうって言われてもな……。掃除をしてもらったんだけど、ありゃ酷かったぞ?」
『あれ~? 海凪ちゃんお掃除しちゃったの?』
「しちゃったのってどういうことだ?」
『いやー、一回こっちの家でもお掃除してもらったことがあるんだけど、どうやったらそんなものがこんなとこにー! って感じで散々なことになっちゃったからお掃除は禁止にしたんだよ』
どうやら海凪の掃除の才は、神様からの意地の悪い贈り物だったようだ。
「そういうことは早く言って欲しかったんだけど?」
『ごめんごめん。あとでこっちの大河の部屋も片付けておくから許してよ』
「いや、なんで実家の俺の部屋が片付けなきゃならない状況になってるんだよ。ほとんどこっちに持ってきただろ」
『それが倉庫になっちゃってるんだよねー。海凪ちゃんが家を散らかしちゃったときに片付けるの面倒だったものとか放り込んじゃってるし』
「さいですか……」
俺の帰省は望まれていないらしい。まあ、帰るつもりなど毛頭なかったからいいんだけど。でもそれはそれで、ちょっと寂しくは思う。
『オムライスは作ってもらえなかったの? 私、オムライスの作り方は完璧に教えたはずだったんだけど』
「いや、作ってもらった。ついさっきだけどな」
『えー!? 朝から!? 太るよ!?』
母さんにとっても朝からオムライスはあり得ないらしい。
まあでも、朝からたこ焼きとかラーメンとか食べる人はいるだろうし、そこはただの価値観の相違だろう。
『でも美味しかったでしょ? 海凪ちゃん、「絶対美味しいって言ってもらいます!」って意気込んでたんだから』
俺は迷った。
本当は俺と同じ、油と洗剤を間違えるなんてアホなミスをしちゃって……なんて事実を告げるか、海凪は湯船に浸かっているだろうから、適当にごまかしといてやるかを。
別に本当の事を言ったところで、母さんのことだから「似たもの同士ねー!」なんてセリフで流してくれるに違いない。
また海凪と話す機会があったときに、笑い話にしてくれるに違いない。
でも、海凪としては、みっちり教えてくれたという母さんには嬉しい報告をしたいはずで。
母さんと喜びを分け合いたかったはずで。
海凪のオムライスをまずいと正直に言ったことを間違ってるとは思わないけれど、失敗を受け入れることは大事だと思うけれど。
失敗したことが伝わっていくのは辛いだけだから。
だから俺は、海凪が聞いていないのをいいことに、
「美味かったよ。もしかしたら母さんのより美味かったかもな」
『えー!? それはちょっと悔しいんだけど!』
「せいぜい腕を磨いておくんだな」
『大河何様!?』
「俺様だ」
『つまんなー』
うるさいわ。んなこと分かってて言ってるんだ。
すると母さんは、
『それじゃあ、私はそろそろパパの朝ごはん作らないといけないから』
「ああ、分かった」
『それと、海凪ちゃんの荷物今日届くと思うから受け取りよろしくね』
「ああ」
『それと……』
「まだあんのかよ」
『海凪ちゃんと仲良く、ね。一線は越えちゃダメだよ。なにかあったらまた電話して。じゃあまたね』
また、と返す前に電話は切れてしまった。
スマホの画面を見れば、通話時間三十分との表記。
結構長い間話したもんだな、とこれから海凪と暮らすことになる六畳の狭い居間を見渡していると、
──ピンポーン♪
と、狙いすましたかのようなタイミングで古臭いインターホンが鳴る。
「お届け物でーす」
壁が薄いからか、容易に聞き取れる宅急便のお兄さんの声。
俺はただでさえ狭いこの部屋で二人で暮らせるのか、などと今更のちょっとした心配を抱えながら玄関に向かおうとしたのだが、
「あれ、開けっ放しにしてたっけか」
居間と廊下を隔てる扉は、すーっと吹いてくる風を防ぐためにこの季節はいつも閉めているはずなのだけど、なぜだか今は開いていたのだ。
まあでも、ただの閉め忘れだろうと大して気にもせず俺は、「今出まーす」と荷物を受け取りに行くことにした。
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