第4話 新米の新妹は俺と同じミスをする

 四月に入って初めての朝六時。

 アラームの音に慌てふためいて支度をするタイプの俺が、こんな時間に目を開けようとしているのには理由があって。

 そもそも今日はまだ休みで、惰眠を貪るのが許されている日なのに目を開けようとしているのには理由があって。


「──大河さん、朝です。起きてくださいー」


 という、エロゲ主人公をお世話する、サブルートが用意されている妹キャラが言うようなセリフとともに体を揺らされてしまったからで。


 床で寝転んでしまったせいか、体の節々に痛みを感じていると、


「おはようございます」

「……ん、おはよ」

「朝ごはん作ったので、一緒に食べましょう」

「……ああ、ありがとう。とりあえず顔を洗ってくる」


 そう言って俺は、重い足取りで洗面台に向かうと、眠気をとる目的も兼ねて、あえて冷たい水で顔を擦った。

 三回も冷たい水を浴びれば十分意識はハッキリとし、起きたばかりのときとは打って変わった軽い足取りで六畳の狭い居間に戻る。


 そういえば、何で俺は床で寝転んでしまっていたのだろうか。

 いつもなら普通にベッドで寝るか、パソコンでエロゲとかしながら椅子に座ったまま寝落ちするかの二択なのに。

 それに服も着替えてないし。


 釈然としない自分の行動に首を傾げていると、


「どうしたんですか? そんなところで立ち尽くして。ささっ、早く座ってください」

「……だれだおまえ」

「? 海凪ですけど」

「海凪……?」

「はい、大河さんの妹です」

「妹……? あっ」


 思い出したよ。

 昨日まで一人暮らししていた俺のもとに、妹になりにきたという女の子のことを。


 どうやら眠っている間に脳が、昨日の非日常的な出来事をエロゲのワンシーンとして処理してしまっていたらしい。

 主人公の名前を決められるタイプのエロゲだったら、迷わず自分の名前でプレイするタイプの俺だからかは分からないけど、妹キャラに起こしてもらっていると勘違いしていたみたいだ。


「まだ寝ぼけてるんじゃないですか? もう一回顔を洗ってきてもいいですよ?」

「いや、大丈夫だ」

「そですか。じゃあ朝ごはん食べましょう。今運んできます」




 ──でだ。


 今度こそ意識をハッキリさせたから思い出せるが、確かに昨日俺は「明日作ってくれればいいから」と言った。

「いいから」というのは、あんなに眠そうな顔を見せられたら当たり前のことで。

 でも、長らく手料理というものを食べていなかったから、願わくば「明日作ってくれれば」と付け足したのだけど、まさかこうなるとは思ってもいなかった。


 ──朝から五人前くらいの巨大オムライスが出てくるとは。


「どうしたんですか?」

「どうしたんですか? じゃなくてだな」

「え、でも昨日あたしが眠りそうなとき、明日作ってくれればって……」

「いや、そうなんだけどな」

「……はっ! もしかしてオムライスにされてしまう悪夢を見てしまったとか……」

「そんな夢は見ていない」


 どういうことだよ、オムライスにされる悪夢って。とろとろの卵の波に溺れてしまうのか? チキンライスの肉になってしまうのか? それとも俺自身がオムライスになって食われてしまうのか?

 ちょっと面白そうじゃねえか。


「だったらどうして……?」

「どう考えてもサイズだろ!」

「えー? 大河さんはいつでもどこでもオムライスなら無限に食べられるって聞きましたよ?」

「……誰に」

「美和さんです」

「だろうな!」


 生まれてこの方彼女なんていたことのない俺の胃袋を掴んでるのは、母さんしかいないと分かっていて聞いたのだけど。

 なんだよ、いつでもどこでもオムライスなら無限に食べられるって。

 母さんはいつから俺のことを、オムライス部門最強フードファイターになったと勘違いしてたんだ?

 確かに中学の頃であれば、運動部だったから、夕食にならなんとか食べられたかもしれないけど、生憎今は寝起きだし、何より一年以上まともに体を動かしてない帰宅部の自称エースだ。


「むー、じゃあ食べてくれないんですか?」

「いや、食べるけど」

「もー、なんなんですかー」


 せっかくの手作りなのに食べないわけないだろ。全部は無理だけど。

 朝食にいきなりドデカいオムライスが出てきたから、突っこまずにはいられなかっただけで。

 それに、サイズはともかく結構美味そうだ。卵とチキンライスのいい匂いがする。

 掃除はてんでダメだったが、料理はできるらしい。


「それじゃあどうぞ、召し上がってください」

「ああ、いただきます」


 そう言って俺は、ドデカいオムライスに、ドデカくケチャップで描かれたハートマークをスプーンで崩して一口目を口に入れる。

 女の子がオムライスにケチャップで描くものといったらハートが定番だよな。他には犬とか猫とかの動物系がメジャーか。ちなみに俺が小学生のときによく描いてたのはうんこだ。当時の友達に描き方を教わった巻きぐそを、ゲラゲラ笑いながら好物というキャンバスに描いていた。我ながらしょうもなくて罰当たりな餓鬼だったと思う。


 すると口の中には、とろとろの卵と香ばしいチキンライスのハーモニーが──、


「どうですか?」


 海凪は「美味しい」という感想を待ち望んでいるかのように、両手を合わせ、愛らしい目を光らせている。

 さぞかし、自信があったのだろう。


 しかし、現実は残酷だ。


 俺は正直な感想を言ってやることにする。

 あとから嘘だと気づくより、その場その時に本心を言ってもらえた方がダメージは少ないから。


「うん、クソまずいわ」

「えー!?」


 まずいどころの話ではなかった。とろとろの卵と香ばしいチキンライスのハーモニーなんて、これっぽっちも奏でられてなくて。

 食感は普通によかった。卵はふわふわしていたように思う。


 ように思う、なんて曖昧な表現なのは、それを上書きしてしまうほどの存在がいたからで。

 すなわち、味が最悪だったのだ。


 どんな風に最悪だったのかというと、せっかくの卵とチキンライスの味を何者かが邪魔してくるような感じ。

 噛めば噛むほど、その邪魔者は存在を激しく主張してきて、ついにはオムライスの味は邪魔者に支配されていた。


 俺はこの邪魔者の正体を知っている。

 それは、一度同じ失敗をしたことがあるから。


 


 俺がまだ実家にいた頃、丁度一年前のこと。

 一人暮らしを始めるというのに、何一つ家事ができない、というかしたことがなかった俺は、せめて好物のオムライスくらいは作れるようにならねばと、初めて料理をするために台所に立った。


 母さんがノートに記してくれたレシピを頼りに、慣れない手つきで卵を割ったり、チキンライスを炒めたりした。


 俺の初めて作ったオムライスは、形は汚いけれど色合いは良かったし、卵も母さんのものとまではいかずともふんわりと作れたので、これは成功なんじゃないかと思ったのだけど。

 料理は面倒くさそう……というイメージが強かったのだが、オムライスくらいなら時間もかからず作れると分かったので、一人暮らしを始めても気が向いたら作ってみようと思ったのだけど。


 いざ食べてみると、とても食えたもんじゃなかった。

 何がいけなかったのだろうと振り返ってみても、こんな石鹸みたいな味がする理由が分からなかった俺は、母さんに味見してもらうと、


「大河これ、油と洗剤間違えたでしょー! 母さんも昔、大河が生まれる前、よくパパに怒られたからすぐわかったよ!」


 ということだった。

 そうして当時の俺は、およそ間違えようのないミスをしでかし、初料理を大失敗の幕で閉じたのだ。


 それ以来俺は、一切料理をしていない。


 


「海凪も食ってみろ」

「むー、何も間違ってなかったはずなのに……はむっ」


 海凪は未だに疑いの目をしながら、スプーンでオムライスをすくい、口に入れる。

 俺はその何度か咀嚼した口から出る言葉を知っていて、


「……苦っ」


 そりゃそうだ。人間が口にしてはいけないようなものが入ってるのだから。


 いやしかし、まさかあんなアホみたいなミスをするやつが他にもいたとはな~。

 でも、気持ちは分かるぞ。家の油と洗剤、実家から送られてきたやつと同じだけど、かなり似てるよな。間違っても仕方ないって。うんうん。


「……、なんで仲間を見つけたような目をしてるんですかー」

「してないぞ」

「してますってー」

「してないしてない……ふっ」

「今笑いましたよね!?」


 いやいや、笑ってないって……というのは無理があるか。


「海凪が使ったあれ、油じゃなくて洗剤だからな」


 俺は台所の方を見やって、使われたばかりの痕跡があるボトルを指さす。

 俺の指先を見るようにつられた海凪は苦い顔をして、


「……え」

「だからそんな体に悪そうな味がするんだ」

「そんなぁー。でも確かにおかしいと思ったんですよう、美和さんにもお墨付きをもらったオムライスだったのにおいしくないわけないって」

「母さんに教わったのか?」

「はい。ここに来る前にみっちりと」

「そうか……みっちりと……」


 思えば、洗剤じゃなくてちゃんと油を敷いていたら、母さんのオムライスと遜色なく出来上がってたかもしれない。

 卵はふっくらしてて、でも割ってしまえばとろとろもしてて。しっかりとチキンライスとも融和して。俺が一番好きなオムライスが、再現されていたかもしれない。


 どのくらいみっちりだったのかは想像もつかないけど、俺が一番好きな味をと頑張ってくれたのだとしたら、それだけで俺は……まあちょっと嬉しかった。ちょっとな。


 だから、いくらまずいといえども飯を作ってくれた人には感謝すべきで。

 人に美味しいものをと努力してくれた人には感謝すべきで。

 その感謝を表すには、残さず食べるのが一番だと思うから、俺は一度置いたスプーンを再び手に取るのだ。


 なんてカッコつけすぎか?


 でもいいんだ。目の前で俯いてる女の子が顔を上げてくれるならそれで。

 だから俺は──、


「そんな泣きそうにするんじゃねえよ。また作る機会なんていくらでもあるだろ?」


 その声かけに海凪は──、


「いえ、ちょっと目が痒くて」


 ですよねー! 昨日シャワー浴びそびれましたもんねー! ちょっとむずむずし始めちゃう時間ですもんねー!


 まぶたを擦りながら顔を上げる海凪は首を傾げた。


 カッコつけた俺がバカだったよ。


 そうして俺は、一年ぶりに洗剤味のオムライスを食べ進めた。


 やっぱり苦いな、二つの意味で。

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