第3話 新米の新妹は掃除が出来ない
「ふんふん、なるほどー! 分かりました、やってみます!」
俺のスマホを耳に当て、何やら海凪は母さんと話をしている。母さんの声は良く響くから、音は聞こえてくるのだけれど、流石になんと言っているのかまでは分からない。
だからまあ、話を理解することはできなくて。
「あ、そうですね! 聞いておきます! ──はい、おやすみなさい~」
話が終わったらしく、海凪は『通話終了』と書かれた画面のままスマホを手渡してくれる。
「何を話してたんだ?」
「妹とはなんたるか、です」
「妹ってのはそんな学問的なものなのかよ」
「あたりまえです。妹の道は険しいんです」
ちなみに妹とはなんたるか、を教えてたらしい母さんは三人姉妹の長女だけどな。
妹の道が険しいというのなら、まず師匠を変えたほうがいい。
「あたしはまだまだ新米ですけど、やる気だけはあります!」
「そうだな、本当にやる気だけはあるみたいだな。だったら後学のためにも、よく目に焼き付けたほうがいいぞ、この悲惨な部屋を」
『妹力』なるものの力で掃除をしてくれるというから、家主である俺がわざわざクソ狭いトイレにまで追いやられてやったというのに、部屋は全然片付いてなかった。
いや、それはエロゲを物色してる海凪の姿をみたときには気づいていたのだけど、如何せん指摘する暇がなかったからこのタイミングになってしまったわけで。
ただ、片付いてなかったのはまだいいんだ。掃除してもらえるのならしてもらおうという楽観的な考えなだけだったから。
問題はというと──、
「なあ、これ。綺麗になるどころか、余計に汚くなってるよな?」
脱衣所に脱ぎ捨てたはずのシャツが、テーブルの上を陣取っていたり。
ハンガーにかけておいた高校のブレザーが、パソコンのモニターに引っ掛かっていたり。
食いっぱなしにしていたカップヌードルの容器が倒れて、床が汁まみれになっていたり。
それに、俺のパンツが。俺のパンツが──、
「俺のパンツがおまえの手に握りしめられていたりなあ!」
「ほえ?」
「ほえ? じゃねえんだよ。ずっと気になってたんだよ。なんであなた様は私目のパンティーを手にしながら、嬉々として妹道とやらの授業を受けていたんですのかしらと聞いてるんだよ」
意味わかんなすぎて俺の言葉も意味わかんなくなったじゃねえか。
「あ、ほんとだ」
気づいてなかったのかよ。男のパンツを手にしながら、電話していたというのに気づいてなかったっていうのかよ。それはそれですごいな。
すると、海凪は俺の顔と俺のパンツを交互に見て、
「履きますか?」
「履かねえよ」
どこの世界に年下の女の子の手で暖められたパンツを履く変態がいるんだよ。お隣のロリコンでもしねえよそんなこと。……いやするかもな。
「そですか」
結局、二十分くらいかけて俺は部屋を元通りにした。
掃除能力は持ち合わせていないので、海凪が来る前の状態に戻っただけだが。
物を整理整頓するのが基本的に苦手なのだ。
そう思うと、エロゲやらエロ本やらをよくまとめられたなと我をほめたくもなってくる。
あのエロい品々は、ほぼほぼお隣さんに借りたものだから、いい機会だし明日にでも返しに行こう。
ふと壁にかかった時計を見やると、長針が十に差し掛かろうとしていた。
もうこんな時間だし、そろそろシャワーでも浴びるかと思いたったとき、
──くぅぅう。
と、可愛らしい空腹のサイレンが鳴る。
「腹減ったのか?」
「はい……。実はお昼から何も食べてなくて」
恐らく俺の実家から来たのだろうが、その間何も食べてないのなら確かに腹が減るのも仕方がない。
実家からこの家までは相当距離があるし、ただでさえ世間一般の夕飯の時間はとうに過ぎているのだから。
もっとも、俺個人の夕食はこのあとシャワーを浴びてからのつもりだったのだが。
まあ、順番が前後したところでなんの支障もきたさないので、先に飯にするかと、
「カップヌードルしかないけどいいか?」
「え……」
「いやか?」
「いえ、そんなことは……」
なんだか煮え切らない様子の海凪。
まあでも確かに、この時間にカップヌードルというのも不健康かもしれない。
俺は別に気にしないが、年頃の女の子であればまた話は別だろう。
そもそも、俺が海凪くらいの歳のときの午後十時というのは、既に歯を磨いてベッドにダイブしている時間だ。
俺の家だからといって、俺と同じ生活を海凪にも強いるのは流石に忍びない。
なので俺は、
「なんか食いたいもんあるならコンビニで買ってくるけど」
近くにコンビニがあるというのは便利なもので、ふとスナック菓子を食べたくなったときとかでも困らない。
それに、今のコンビニは案外ヘルシーで美味い食事が売られてたりするものだ。トマトスープとか、豚しゃぶサラダとか。
カップヌードルよりかはマシだと思うのだけど、海凪は、
「そうではなく、作ろうかと思っていたんです」
「作る?」
「はい」
そう言って海凪は、ピンクのショルダーバッグから買い物袋を取り出す。
……これはいつ言おうかと迷っていたのだけど、そのショルダーバッグ、見た目より収容量が多すぎやしないだろうか。もはや四次元ポケットなんだが……。
未来からいらっしゃったのなら、とっておきの道具で飯をパッと出してくれれば手っ取り早いと思うのだけど、当然そんなわけにはいかなくて。
と、海凪が買ってきていたのは一パック十二個入りの卵だった。
「オムライス、作ろうと思って」
オムライス。それは俺の好物で。
恐らく母さんがあらかじめ伝えていたのだろう。
だから、それを作ってくれようとするのは嬉しいのだけど、
「でも、今から作るのか? 海凪も腹減ってるんだろ?」
「んー……」
なんだか部屋に押しかけてきたときより反応が鈍い。
まあ、それはやはりというか。海凪のまぶたは重そうだ。
「眠いか?」
「はい……。ちょっと疲れちゃって」
そりゃそうだ。長旅をしたあとで、お世辞にも出来ていたとは言えないが、掃除もしてくれたのだから。
俺の体より、一回りも二回りも小さなその体で。
「だったら今日はもう寝ろ」
「でも、オムライス……」
「オムライスは明日作ってくれればいいから。空腹がしんどいなら何か買ってくるけど、そんな眠そうにしてて食えるか?」
「んー……、今日は寝ます……」
「それがいい。待ってろ、ポカリ持ってきてやるから。家に来てからなんも飲んでないんだから、少しは水分補給してから寝たほうがいい」
「ありがとー、ございます……」
次第にまぶたを閉ざしていく海凪。
そのまぶたが閉じきる前にと、海凪が買ってきた卵を冷蔵庫に入れ、いつ熱が出てもいいようにと冷やしてあるポカリを持って戻ってくると、
──すぴー、
と海凪は、愛らしい寝息をたてて眠ってしまっていた。
そんな硬い床の上じゃ体痛くするぞ、と俺は小さな体を抱き上げて普段は俺が寝ているベッドに横にしてやる。
「俺の汗の匂いが染みついてて臭いかもしれないけど、我慢してくれ」
聞こえていない体でそう言葉をかけたのだが、
「あいあとーおあいあふ……」
と、お礼を返してくれた。
にしても、本当に幸せそうな寝顔だなと、頬を軽くつついてやりたくなる。
つつくまでもなく、ふにふにしてるというのは分かるけれど。
だからこそ思わず触れたくなってしまう、天使のような寝顔だ。
別に年下に、それも小さな女の子には大した興味はなくて。
俺のタイプの女性は年上のお姉さんで。
それなのに、寝顔を見るだけでこんなにも愛しく思うのはなぜなんだろうな。
俺は風邪を引かないようにと、一枚の毛布をかけてやると、すっかり眠ったまま海凪は、
「──おにいちゃん……がんばれぇ~」
頑張れって、一体どんな夢を見ているのだろうか。
俺が悪事を働く敵を成敗しているところだろうか、俺が囚われのお姫様でも助けようとしているところだろうか。
──それとも、俺が部活の大会か何かで活躍してるところだろうか。
……どれも想像つかないな。だって俺には、ヒーローになる資格なんかないのだから。
それにしても、
「おにいちゃん、か。そう呼ばれるのも悪くないな」
せっかくぐっすり眠ってるのを、音をたてたりして起こしちゃ悪いと、俺も今日は寝ることにした。
テーブルの隣に一枚布を敷いて、その上で横になる。
シャワーは起きたら浴びることにしよう。
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