新米の章
第1話 新米の新妹がやってきた
──ピンポーン♪
三月も今日で終わりのゴールデンタイム。
隣人に借りたエロゲを起動しようとすると、今どき古臭い、カメラモニターもついていないインターホンが鳴る。
せっかくティッシュも用意して、準備万端だというのに一体誰がこんな時間に。
ウーバーを頼んだ覚えはないし、家賃なら払ってあるはずだぞ、と嘆息して俺は玄関に赴いた。
「えー、どちら様ですかー?」
ボロッちい部屋の扉を開けると、住人の俺を待ち構えていたのは、月明かりに照らされた小学生くらいの女の子。
背丈は俺の胸より少し下に頭があるくらいで、茶色がかったショートカットの可愛らしい女の子だ。前髪をイルカのヘアピンで留めているのが、幼さを演出している。
「こんばんは。妹です」
「……は?」
俺には妹なんていない。
漫画を貸してくれたり、一緒に遊んでくれたりする兄もいなければ、辛いことがあったときに慰めてくれるような姉もいない。
家では一人でポケ○ンとかモ○ハンとかやっていた、根っからの一人っ子だ。
だから、妹なんていうのは俺とは縁もゆかりもない存在なのだけど。
「妹になりにきました」
「いや、は?」
「妹になりにきた」とかいう、親が再婚したときに相手の親が子持ちだったときに聞くか聞かないか、九対一くらいのセリフ。
仮に親が再婚して、その相手方に年下の女の子がいたとしても、「妹になりにきた」なんて挨拶をされることはそうそうないだろう。
それに、生憎俺の両親は、今も仲良く小突き合っているはずだ。
今日の昼にも、ハート型になった二股のストローでクリームソーダを飲んでいる写真が送られてきたのがいい証拠である。
五十後半のいい歳こいたおっさんおばさんがよくやるわと呆れもするが、家で口も利かない冷え切った夫婦と比べれば行き過ぎてても円満な方がいい。
そんなわけで、二股のストローの写真が送られてきた午後二時三十分。この時間から今現在に至るまでに、両親のどちらかの浮気がバレて、即刻離婚して即刻再婚でもしない限り俺に妹ができるなんてことはあり得なくて。
「人違いじゃないか?」
「あれ? ここ、『コーポみどりの』の二〇二号室ですよね?」
「ああ、それは間違ってないけど」
女の子は右肩に紐をかけた、ピンク色のショルダーバッグから一枚のメモ用紙を取り出して手書きの地図のようなものを確認し始める。
「『コーポみどりの』……。合ってるはず……。すみません、このあたりにもう一つ『コーポみどりの』っておうちがあったりしませんか? 同じ名前じゃなくても似てるおうちとか」
「いや、多分ないと思うけど」
俺は結構なウーバーヘビーユーザーだが、配達員が道に迷ったりして電話がかかってきたりしたことは一度もない。
ボロい建物だが、割と大きい道路に面していて目印にもなるコンビニが近くにあるし、周りに似通った建物もないから比較的分かりやすい立地のはずなのだけど。
一体この子はどこの家と間違っているのか。
可能性としては、
「部屋番号を見間違えてるとかは? それかそもそも教えてもらった部屋番号が間違ってるとか」
「うーん、わかんないです。間違ってたとしても確認できないですし……」
「それは困ったな……」
正直このまま相手を続けるのは面倒くさいことこの上ないのだが、だからといってこの時間に行き先が分からない小さな女の子を追い返すのも気が揉めるようで。
どうしたものかと頭を悩ましていると、なにやら隣の部屋から男の声が聞こえてくる。
ボロい建物故に、防音もへったくれもなくて、
「あのー、まだ女の子こないんですけどどうなってるんですかねえ?」
まるで筒抜けな苦情電話だったが、それを聞いて俺はハッとした。
隣の部屋──二〇一号室の住人は俺にエロゲを貸してくれる年上の大学生で、そういえば今日呼ぶと言っていたなと思い出したのだ。
──デリヘルを。
いやあ、でもさすがにこの子は犯罪級だろう。
隣人がロリコンなのは知っていたけど、さすがにこの子とヤってるのを想像するのはエロゲで耐性ついてる俺でも興奮より先にためらいを覚えるレベル。
だがまあ、この子も仕事なのだろう。幼い容姿を活かして、そういう設定の注文なのか、部屋に入る前から妹っぽく振舞って。
この子この子と言ってるが、そういう仕事をしてるのなら、四月から高二の俺からすれば確実に年上のお姉さんで。
だから俺は、
「デリヘルのお姉さん、あなたの今夜は隣の二〇一号室ですよ」
と、体を張った仕事をするお姉さんに敬意を込めた眼差しを送りながら言うのだけど。
しかし、お姉さんは首を傾げて、
「でりへる、ってなんですか? それにあたしは妹です」
「あれ? エロいお仕事しに来たんじゃ……」
すると、コンコンコンと錆びた鉄骨階段を、濃いめの化粧をしたお姉さんが耳にスマホを当てながら上がってきて、俺たちの前を会釈し通り過ぎていく。
「すいませーん、今着いたので開けてくださーい」
その数秒後、二〇一号室の部屋から顔を出す隣人は、
「あっ、紗栄子さん遅いですよ~。もう俺の息子は臨戦態勢なんですから~」
「あら、ほんとうに。これはたっぷりお世話してあげなきゃね」
「お願いしますね~……ってあれ、
隣人は俺の存在に気が付くと、名前を呼んでくる。
「いや、別に……」
そう返すと隣人は、目線を下に下げていき、また俺の方を見ると、犯罪者を見るような目で、
「大河……、さすがにその子はアウトだと思うぞ……」
あらぬ誤解をしたまま、息子のお世話係を部屋に入れた隣人。
いや、もっとも、誤解をしていたのは俺の方らしくて。
「
「そうだけど……」
見上げて俺の名前を口にする女の子は、なんだか呆れ交じりに、
「もー、全然間違ってないじゃないですかー。春とはいえそろそろ冷えてきたので入れてください」
「いやいや、まてまてまて」
あたかも自分の家のように上がろうとする女の子に侵入されかけたが、すんでのところで制する。
「なんですか?」
「なんですか? じゃねーよ。一体君は何者なんだ」
当たり前の反応をしていると思うのだが、女の子は訝し気で、
「最初に言ったじゃないですか。妹ですって」
「それがおかしいんだよ。俺には妹なんかいない」
「えー? 妹になりにきました、とも言ったじゃないですか」
「いやいや、それもおかしいだろ?」
「むー、何が不満なんですか?」
小さな唇を尖らせる女の子。
どう考えてもおかしいのはそっちだろ? それとも何か? 俺がこの春休み、世間に触れない間に、「はい、私あんたの妹~」とか、鬼ごっこでタッチ返ししたときみたいな卑怯なノリの感じで宣言すれば妹になれるようになったとでもいうのか?
そんなのまずいだろ。全国の小さい女の子大好きな、おっきいお兄ちゃん達がよからぬことをしでかすに違いない。
だから俺は、
「家に帰るんだ。送ってやるから」
「もー、言っときますけど、さっきからおかしいのは大河さんですからね?」
「俺のなにがおかしいんだよ」
「だって、お伝えしてあるはずです。美和さんからライン、きてませんか?」
「ライン?」
美和というのは、母さんの名前で。
でも、俺に届いた母さんからの最後のラインは、親父と仲睦まじく二股のストローを吸ってる写真のはずで。
ただ母さんからのラインなんて、適当にしか確認しないからもしかしたら何か見落としたメッセージがあるかもと、部屋着のズボンのポケットに入れっぱだったスマホを取り出そうとすると、
──ピロン♪
いや、まさかな。
確かに母さんはどうでもいいことはすぐさまラインしてきて、大事なことはギリギリになって送ってきたりするけど。
でも、まさかこんなぴったりのタイミングで、意味わからないほど大事なことを送ってきたりするわけないよな。
恐る恐るスマホのパスコードを打ち込むと、『♡美和♡さんから一件のメッセージ』との通知が。
いやいや、まさかな。
震える手で母さんとのトーク画面を開くと、
<♡美和♡:どんどんぱふぱふー! 今日で一人暮らし一周年の大河君に重大発表があります! なんと! 私たち家族に新たな仲間が増えました! といっても、私のお腹から生まれた子じゃないんだけどね(爆笑)。ただ困ったことに、私もパパもこんなんだからあんまり構ってあげられないでしょう? だから、大河と一緒に住んでもらうことになりましたー! 可愛い子だからって襲ったりしちゃダメだぞ? メッ。じゃ、そういうわけだから、あとはよろしくねーん>
──……。
爆笑じゃねえんだよ。今どき語尾に(爆笑)なんかつけねえんだよ。それに、仮につける時代だったとしてもつけるとこおかしいだろ。全然笑えねえよ。
それに……って、ダメだ。ツッコミどころしかない。なげえし。
俺はハァーと、盛大なため息をつくと、またピロン♪とスマホが鳴る。
<♡美和♡:PS。その子、妹免許持ってるから安心していいよ♪>
「なんだよ妹免許って。とうとう頭おかしくなったのか?」
生まれて初めて聞く資格の名前に、ついつい毒を吐いてしまうのだが、
「これのことです」
「は?」
女の子はショルダーバッグから、スイカとか入ってそうなパスケースを取り出すと、それをずいっと見せてきた。
「なんだこれは」
ラミネート加工されたその紙には、運転免許っぽく、
氏名:圷 海凪 平成二十一年十二月二十日生
交付:昨日 永遠に有効♡
免許の条件:大河に限る♡
と、母さんの字で書かれていた。
いや、適当すぎだろ。後半とか面倒になってるだろ。
「これがあればだいじょうぶと言われました」
「何が大丈夫なんだよ……」
とりあえず、これ以上振り回されればこっちまでおかしくなりそうなので、女の子にこの謎免許証は返す。
しかし、俺が苦り切った表情をしてしまったせいか、
「あの……、あたしじゃ妹にはなれませんか……?」
「うぐっ……」
それはずるいだろ。その哀し気な懇願は。
そんな目をされてもなお、追い返しでもしたら、良心が痛むどころの騒ぎではない。
「ダメ、ですか?」
……。
「だー! もう分かった! とりあえず入れ! 話はその後だ!」
「やたー!」
こうして俺は訴えるような、引き込まれるような上目遣いに負けて、女の子──妹……を部屋に上げてしまったのだ。
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