本文藝部に於ける『上手い文章』について

//talk{うちの部では、何ができるようになると思う?}


蹊は何だか|毒々しい緑色をした背中や首の箇所に謎のクッションが座り心地の良い椅子ゲーミングチェアに座らされていた。全体的には落ち着いたレトロな雰囲気の部屋であるのに、真鍮色の輝きを放つパイプであったり細長い電球のような謎のガラス管の生えたな小物などが渾然として不思議な空気の漂う部室の中で、場違い感のあるワンツーが融合している。取り敢えず言葉を繋ごうとした所で、眼鏡の君から「えーと」と洩れる。蹊はそこで初めて、「ふ」と息を吐けた。


//talk{蹊です。……文藝部ですから、やっぱり文章が上手くなってバーンと人を感動させたりできるようになる?}


//talk{バーンと感動するってどんなのかは兎も角、まあ想定範囲の解答かな。ああ、それが悪いとかではなくね}


「うーん」と唸った後、入り口からみて右奥のハンドルだらけの壁へ向かう。あるハンドルを回し始めたと思ったら壁が動いたので吃驚して身動ぎをした蹊に背を向けたまま、「書庫だよ」という。そのまま話を続けるらしい。


//talk{『上手い文章だから感動してしまう』ということも実際にはあるのだけれど、それは『良い内容が上手く伝えられた』結果であるというのが望ましい、というのは同意できる? 悪い感じに『内容はどうでも可いけれど文章が上手いから感動させられた、というのは不快に感じる人が多いのではないか』と言い換えても可い}


//talk{あーそれはそう、そうかもです。あのでも、文章が上手いって言ったときには内容も含めた話なのではないかと}


//talk{読者からすると、与えられた文章が唯一だからそう思ってしまうかもしれないし、最終的にはそうなのかもしれないけれど。書いている途中ではそうでないときがあるってこと。あ、あった}


そうして持って来たのは角張った大型の本。白黒の色と文字だけで構成された装丁。題名は——


//talk{Emil Ruder『Typographie』これは翻訳版だね。そして——}


先頭近くのページが開く。


> タイポグラフィには文字によって情報を伝達するという明白な義務がある。いかなる議論や考察も、タイポグラフィをこの義務から解放することはできない。読むことができない印刷物は、目的を失った制作物である。


@fn[^typographie]


//talk{——。*タイポグラフィ*は、まあ文字を介した表現全般と取り敢えず考えて。*情報の伝達*、これは小説で話を続けると逆にややこしいけれども、まあゼネラルな話としては『意図したところが伝わるようになっているか』と解釈しても可いと思う。これが十全に果たせるのが**上手い文章**、と今は考えてね}


初対面の印象からは連想できない程ふわり、とした笑顔を向けられた蹊は


//think{そのためにハンドル回して本を取って来たのかー}


などと、ズレた尊敬を覚えていた。


//note[^typographie]{Emil Ruder『タイポグラフィ:タイポグラフィ的造形の手引き』 株式会社ボーンデジタル 2019年10月25日初版 ISBN978-4-86246-447-7

//note}

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