絶滅危惧Ⅰ類:サキュバス

鼓ブリキ

「夜分遅くにごめんなさぁい? ね、ボク、お姉さんとイイコトし・ま・しょ(はあと)」

 夜中にふと目を覚ましたとして、およそ衣服とは呼べない表面積のボンデージを纏った女性がこんな事をのたまいながら自分にまたがっていたら貴方はどう思うだろうか。

 僕は寝ぼけていたのでつい突き飛ばしてしまった。非人間的な軽さで女性は吹っ飛ぶ。

「ちょ、ちょっとぉ! 何も乱暴する事ないじゃない!」

「いや、あなたは僕に乱暴する気満々でしたよね」

「しないわよ! だからこうして挨拶したんじゃないの!」

「とりあえず警察呼びますね。どう見ても不法侵入なんで」僕は充電中のスマホからケーブルを引っこ抜いた。

「あいや待たれい」そんな言葉と共に突然窓が開いた。赤い外套の、恐らく僕と年の近い青年が転がり込んできた。

「……鍵、締め忘れたっけ?」

「強化ガラスでもなければ開ける方法は山ほどあるぜ」よく見れば窓ガラスは丸くくり抜いたように穴が開いていた。スパイものとかでよく見る手口だろうか。

「まあまあ、ひとまず通報はよしたまえ。君は今、絶滅危惧種の保護に携わるチャンスなんだぜ」

「ちょっと何言ってるか分からないです」

「見ろ、彼女を」そう言って青年は不機嫌そうな顔をした女性を指差した。「絶滅危惧Ⅰ類、サキュバス。しかも純血種。世界全体で見ても個体数は三桁いくかどうかだ」

「コスプレじゃないんですか」

「違うわよお!」女性が声を上げる。それに合わせて側頭部から天を衝くように伸びる一対の角は赤黒く発光し、腰のあたりから生えた黒い尻尾がピンと伸びて怒りを表現した。極めて露出の多い彼女の衣装では、角の発光はともかく尻尾を動かすギミックらしきものは見当たらない。「混じりっけなしの本物なんだから」

「はあ。じゃあ、サキュバスが絶滅危惧種っていうのは? それに、何故僕を? 納得のいく説明が出来なかったら警察を呼びますから」

「ちょっと長くなるな。まあそこに腰かけたまえよ」青年はベッドを指した。

「なんで偉そうなんですか、ここ僕の部屋ですよ」

「相手に言う事を聞かせるコツは色々ある。尊大にふんぞり返り、人の話を聞かない事もその一つだ」そう言いながら彼は僕の机に備え付けの椅子に座る。

「一生役に立たないライフハックをどうも」

「さて、まず確認しておきたいが、君はサキュバスについてどのくらい知識がある?」

「えー……」ちょっと迷う。「そのー、男性の精気を吸う、とか?」

「そうだ、精気、すなわち精液だな。雄型インキュバスはまたちょっと違うが、おおむねその通りだ。精液には子供をつくる魔力がある、故にそれが彼女らサキュバスの養分になる。ここで、何か思い出す事はないか?」

 今の会話から何を連想しろというのか。「えっと、ないです」

「察しの悪いヤツだなあ。精液しか摂取出来ない、つまり彼女らは笹しか食べられないパンダと同じなんだよ!」

「その連想は無理がありますよ」

「それは君の主観だろう。とにかくサキュバスは精液に含まれる魔力しか吸収出来ない。しかし、近年は精液に含まれる魔力がどんどん減っているのだ」

「もしかして、無精子症とかそういう話をしてますか?」

「人間における呼び方はこの際どうでもいいが、まあそうだな。あとは神や悪魔の存在を信じなくなってきたりだとか、の問題もある」

「精液以外のものを摂取出来るようにしたらいいじゃないですか。魔法とかでこう、ぱぱっと」

「君は食糧問題を抱えたアフリカの子供達に『光合成すればいいじゃないですか』とかほざくのか? 魔術だって万能じゃない。男から精気を搾り取る事に特化した彼女らは、外見を好みに変化させられても体の本質的構造まで変化させるなんて無理だ」サキュバスの彼女も青年の傍でうんうんと頷いている。

「次の策として、魔界は他種族との交配を考えた。要するに、自分達の体は変えられないならせめて次代の子供達は食うに困らない体にしてあげよう、とまあ、こんな具合にな」彼はそこで言葉を切り、僕の目をじっと見た。

「――駄目、だったんですか」二人の暗い表情が、その結果を物語っていた。

「サキュバスはその食性の都合上、異種との交配が難しくてな。どうにか見つかった相手は吸血鬼ヴァンパイアだけだった。人間の体液を主食にしている同士、相性が良かったんだろう。しかしここでも問題があった。精液だけならまあ余程の量でない限り誤魔化しが利くのに対し、吸血鬼は中空の牙で噛みついて血を吸い上げるもんだから襲った跡がばっちり残る。激増した混血児に対してそこらじゅうで悪魔祓いエクソシストやら吸血鬼狩りヴァンパイアハンターが大活躍、吸血鬼さんサイドは今まで自治的に節制して種の保存に勤めてきた労苦を台無しにされて大激怒。金輪際淫魔サキュバスどもに手は貸さん、と言った所でもう純血の淫魔は数える程しか残っていない。混血児は吸血鬼と間違われて狩られたり、吸血鬼からの恨みを買って殺されたりした。魔界はここにきてサキュバスの保護を通達した――と、いうわけ」

「さっきから当たり前のように『魔界』とか出て来ましたけど、やっぱり魔王とかいるんですか?」

「いるけど、人間みたいに統治とかはしてないわね」と答えたのはサキュバス。「地獄の最下層で氷漬けになってるし。利他的で力の強い連中が勝手に集まってあれこれ決めてるだけよ」

「ああ、魔王サタンってそういう」

「そんなわけで、もうイギリスと周辺国には淫魔は生息していない。上手い事吸血鬼に取り入ったサキュバスやインキュバスがルーマニアあたりでひっそり……、おっといけない、これはオフレコだったな」

「え、何してるんですか」

「人間の法律だと国際法に引っ掛かる、とだけ言っておこう。この先が聞きたければ文字通り悪魔に魂を売る事だ」

「はあ。で、サキュバスについては分かりました。でも、何故僕が彼女に助力しなければならないんですか? あと、あなたは何者なんですか?」

「何故君なのか、については彼女の口から説明してもらうとして、おれはただの人間だよ。ただちょっと」

「ちょっと?」

「……地球本来のものでない吸血鬼を養ってるせいで魔界から危険人物としてマークされてるだけで」

「お偉方の小間使いをして、侵略者じゃありませんよー、ってアピールしてるんですって。私を助けてくれるのもその一環」コズミックにヤバい話をしているはずなのだが、サキュバスはその事に興味がないのかはたまたヤバさを理解出来ないのか、のんびりした口調で事もなげにそう言った。

「そっちの方がよっぽどすごいじゃないですか。そっちもちゃんと聞かせてくださいよ」

「いやいや駄目なんだって。そのいきさつは話の本筋から外れるし、全部話してたら余白がいくらあっても足りないし」

「警察呼びますよ?」

 ふいに青年が不適な笑みを浮かべた。「……出来るかね、に」

 手が、動かない。首を回してスマホを持つ手を見遣れば、青白い光を放つ鎖が手首に巻き付いている。まるで目に見えない壁に固定でもされたように、僕は腕を挙げる事も下ろす事も出来なくなっていた。

 鎖は僕の四肢全てを縛めていた。

「君が好奇心旺盛で助かったよ。おかげで時間がたっぷり稼げて、しかも夜明けにはまだまだ余裕がある、ときた」

「誰でもいいわけじゃないのよ?」サキュバスが舌なめずりをしながらこちらへゆっくりと歩み寄る。「今時珍しいのよ。自分の貞操をしっかり守って、それでいて精液に魔力のある子って。ここ何日かゆっくり観察させてもらったの。半年ぶりかしら、もうお腹ぺこぺこ」僕の思い通りにならない体を、彼女は易々とベッドに寝かせる。  

 淫魔の笑みは美しく、そしてあまりにも人間離れした悪意に満ちていた。

「あなたはこう言えばいいの。僕は何も悪くない、悪魔の仕業だ、って」

 それは中世の修道士の言い訳そのものだった。

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