10.キャンプ二日目(莫迦な夢見て悪夢に嘆く)-2


 消灯時間通りにベッドへ入った龍治は、すぐ眠りについた。

 そうして今、夢を見ている。

 龍治が見る夢は、ほとんどが明晰夢と呼ばれるものだった。自分が夢を見ていると自覚している夢。自分の頭の中で繰り広げられている世界なのに、他人ごとのように思えるソレ。一歩下がった場所から、透明で分厚い壁を一枚挟んで見ているような感覚。

 ――前世の記憶を垣間見る時と、よく似ていた。



 僅かにノイズが走る世界は、太陽に照らされていて明るかった。けれど室外ではない。ガラス張りなのか、ビニールなのか――周囲がキラキラ光るように見えるから、恐らくガラスだろう。

 花の香りが漂う。温室と云う単語が浮かんだ。花ばかりの温室。それも薔薇が多い。薔薇園と云うべきか。多分、そう云う建物だ。

 人がたくさんいる。顔はわからない。ノイズが掛かっている。あぁ多分、“興味がなかったのだ”。だから、くしゃくしゃに潰してあるのだ。どうでもよかったから、どうでもいい扱いなんだ。

 龍治はその中に立っている。くしゃくしゃの何かが話かけて来るけれど、気味が悪くてプイとそっぽを向いて駆け出してしまう。笑い声がする。穏やかな笑い声。仕方ないねとでも云わんばかりの、胸糞悪くなる優しい笑い声。

 気持ちが悪い。気味が悪い。なんだろう、此処は。

 走ってもそこから出れない。薔薇に囲まれた世界から、抜け出せない。どこにも行けない。

 薔薇が揺れる。真っ赤な薔薇だ。大きくて、色が濃くて、見ていると怖くなった。


 ――りゅうちゃん――


 幼い、少女の声がした。振り返る。黒髪の少女――童女がいた。薔薇と同じ真っ赤な振袖を着た、人形のような童女だ。

 黒髪は肩のあたりで切り揃えられていて、髪と同じ色の大きな瞳は長い睫毛に彩られている。肌は白くて雪のよう。

 白と赤の対比が美しいはずなのに、龍治には気味が悪い。人間ではないようだ。怖気おぞけがするほど美しい童女からも、プイと顔を逸らす。

 歩き出すと、童女もぽてぽてと軽い足音を立ててついて来た。顔をしかめる。


 ――ついてくるな――

 ――やだ。いっしょに、いるの――

 ――うるさい――


 龍治が喋っているはずなのに、自分の声ではないようだ。勝手に喋っている、喋らされている感覚がする。冷たい声だ。底冷えする、厭な声。

 罵られた童女は黙り込むが、それでもついてきた。莫迦だな、と思う。放っておけばいい、こんな奴なんて。


 ――りゅうちゃん――

 ――うるさい――

 ――やだ、まって。ねぇ――

 ――うるさいっ――


 振り返って童女を突き飛ばす。酷い事をするものだ。不快気に顔を顰めると、夢の中の龍治も同じ顔をしたようだった。

 尻もちをついた童女の瞳が揺れる。泣くのだろうか。泣いたら鬱陶うっとうしそうだ。酷い事を考えて、また顔を逸らす。

 童女は泣かなかった。黙って立ち上がり、まだついて来る。莫迦なんだろう、きっと。

 薔薇は続く。延々と続いている。永劫に続いている。きっと外の世界なんてない。ここは薔薇だけの世界なのだ。

 気持ち悪い。

 気持ちが悪い。

 気味が悪い。

 吐き気がする。

 寒気がする。

 でも出口はない。

 ここには、薔薇と、龍治と、童女しかいない。

 ああ――悪夢のようだ。


 ――りゅうちゃん――

 ――……なんだよ、もう――

 ――あのね、ずっといっしょだよ――

 ――うるさいな……――

 ――“まゆり”ね、りゅうちゃんとけっこんするの――


 眞由梨。

 眞由梨?

 あぁそうか。この童女は、眞由梨だったのか。そうか。考えれば当たり前の事だと、龍治は何故か笑えて来た。

 黒い髪、黒い瞳、白い肌、赤い振袖。眞由梨を構成する全てが、そこにあるではないか。

 眞由梨の言葉を、夢の中の龍治は鼻で嗤った。


 ――バカ云うな。おまえなんて、いらない――

 ――やだ、けっこん、するの――

 ――なくなよ。めんどうくさいな――

 ――なかないよ。りゅうちゃんが、いるもん――

 ――ああ、そう――

 ――りゅうちゃんの、およめさんに、なるんだもん――


 今にも泣きそうな顔をしながら、眞由梨は云う。こんな糞野郎の嫁に、なんでそんななりたがっているのか。理解が出来ない。この世界には龍治以外に人がいないからだろうか。それにしたって、莫迦な選択をするものだ。


 ――りゅうちゃんと、いっしょにいるの――

 ――いらないってば――

 ――りゅうちゃんがないたら、まゆりがだきしめるの――

 ――……――

 ――まゆりだけは、りゅうちゃんと、ずっといっしょなんだよ――


 それは、恋なのだろうか。愛なのだろうか。執着か、慈愛か、妄執か、哀れみか。

 あまりに純粋な思慕は、狂気と隣り合わせのようだった。

 薔薇と同じ赤い童女が気味悪く思えて、龍治は近寄るなと睨み付ける。それでも童女は必死に手を伸ばして来た。泣いてはいない。泣きそうに顔を歪めているのに、涙の雫は零れない。


 ――りゅうちゃん。だいすき――

 ――……――

 ――まゆりは、りゅうちゃんの、みかただよ――


 そう云って一所懸命に笑うイキモノに、龍治は皮肉な笑みを浮かべた。

 嗚呼――今から、酷い事を云うに、違いない。


 ――そうか。いいぞ、結婚してやっても――

 ――ほんとう?!――

 ――おれが、――


 ザリザリザリザリ―――激しいノイズが、頭を削る。痛くないはずなのに、脳を直接削られているかのような激痛を覚えた。そんな訳が、ない、のに。

 こちらの痛みなど知らないかのように、夢の中の龍治は告げる。


 ――おれが、いつか結婚するとき、ちょうどいい相手がいなかったら、おまえを嫁にしてやるよ――


 ――怖気が、した。


(……なん、だ、この糞野郎はッッッ!)


 夢の中の自分に殺意を覚える。

 あぁ確かに鬱陶しい相手だった。追い払うほどでもなかったが、いつもいつも後ろをついて来て、にこにこしていて、目をキラキラさせて、何か素晴らしいものを見るような目で自分りゅうじを見てきて!


(なんでこんな奴がいいんだよ?! 何がいいんだよ?! なんでそんなに好きなんだ?!)


 まるで、擦り込みのようだ。

 インプリンティング。初めて見た動くものを、親と思い込むもの。鳥類によくみられる現象。

 本人ではどうしようもない、呪いのような――


(――呪い?)


 何かの真実に触れた気がする。

 呪い。

 何が。

 眞由梨が、龍治を好きになる事が?


 夢の中で、童女がはしゃぐ。約束ね、と舌ったらずに云いながら、頬を紅潮させて喜んでいる。これ以上幸せな事はないとでも云わんばかりに。

 莫迦。莫迦だ。どうしようもない――莫迦だ。


 ザリザリ、ザリザリ、ザザザザザ、―――ノイズが激しくなる。世界も歪む。薔薇と龍治と眞由梨だけの世界が崩れて行く。



 カチリと――スイッチを切り替えるかの如き容易さで、世界が変わった。


 今度は、薔薇だけの世界ではない。狭い部屋だ。いや、多分、世間一般的に云えば、狭いと云う程ではないかも知れない。龍治の感覚で云えば狭い。九畳か十畳くらいの広さの部屋だ。

 カーテンは明るいオレンジ。壁紙は白い。至る所にアニメや漫画のポスターが貼られている。可愛い洋服ダンスの上には美少女フィギュアと男性フィギュアが並んでいた。テレビの下の棚にはアニメDVDとゲームのハードとソフトが収められている。何と云う分かりやすいオタク部屋か。


 その部屋の中で、龍治はベッドに膝を立てて座っている。膝の上には、――『せかきみ』の設定資料集。多くのページに付箋ふせんが貼ってある。どんだけ好きなのか。

 確かめなくてもわかる。ゼンさんの記憶だ。彼女の記憶は頻繁に見ている。けれど、こんなに臨場感を覚えるのは初めてだった。

 一人暮らしを始めたばかりの頃だ。弟も自立して、一人になって。憧れていた一人暮らしだけれど、部屋に帰っても誰もいない、自分以外誰も帰って来ないココは、結構寂しかったのだ。

 ならば弟とずっと一緒に暮らしていればよかったのに。莫迦だなぁと思う。

 彼女はそんな部屋で、ラジオを聞くのが好きだった。テレビではなく、敢えてラジオ。しかも、アニメやらゲームやらの声優がパーソナリティをしているようなのが好きだったのだ。分かりやすい人である。


 今日は――ああ、『せかきみ』のラジオだ。『ヒロイン』役の人と『綾小路龍治』役の人がパーソナリティで、ゲストに他の声優を一人二人呼んで、ゲームについて喋る感じの奴。

 それで、凄く楽しみにしていたんだ、今日のは。だってゲストが、『岡崎柾輝』役と『東堂院花蓮』役の人達だったから、すごく、すごく、楽しみで。仲良くしてる四人を妄想出来るから、本当に楽しみで。

 だってリアルだと、『ヒロイン』役と『東堂院花蓮』役はとても仲が良いのだ。親友です、なんて云えるくらい仲良しで、別のゲームではキャラソンデュエットCDだって出てるんだ。どうして『せかきみ』だと出ないのかな、残念だ。インタビューでも仲がいいんだよ、本当なんだ。一緒に遊びにだって行ってるんだよ。お揃いの服とかアクセサリーとか持っててさ。だから、ゲームの二人が幸せになる百合本出したんだよ。好評だったんだ。アンチ的な批判も来たけど、面白かった、また作ってって声もいっぱい貰ったんだよ、本当に。嬉しかったなぁ。

 あぁ、楽しみだな。今日は四人が仲良く喋ってくれるんだよ。嬉しいなぁ―――……



 ――そうして見た前世の記憶に、絶叫して飛び起きなかったのは、奇跡だと云うしかなかった。

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