10.キャンプ二日目(莫迦な夢見て悪夢に嘆く)-1


 眞由梨と決着を付けた夜、龍治はまた幸子伯母へと電話をかけていた。

 理由は当然、本日あった事を報告する為だ。

 今回は消灯後のトイレではなく、柾輝に予め「伯母様に電話する」と告げて脱衣所にした。またトイレの前に正座待機されてたら怖いし、密談じみた事をしなくても良いからだ。


「――と云う訳で、一応、終わったと思います」

『そう……。龍ちゃん、お疲れ様』

「いえ。……お宅の娘さん、泣かせてすみません」

『いいのよ。これで目が覚めたでしょうし、あの子の為にもその方が良かったわ』


 幸子の声音はいつもより静かだ。それは怒っているとか悲しんでいるとかではなく、龍治を労わっているように聞こえた。思い込みではなく、そう感じる。伯母と自分は同士だからだ。

 龍治も幸子も、眞由梨が目を覚ます事を望んでいた。彼女が周りの大人の都合に振り回されず、現実を見てくれる事を願っていた。

 それは叶うと思われる。あそこまで追いつめられて泣いた以上、これまで通りでは居られない。居られたらそれはそれで凄いと思うが、眞由梨の性格と胆力上、あり得ないだろう。


「出先での事ですし、父の耳には入り難いと思います。一応、周りにも口止めしておきました」

『その辺りは私も根回し済みだから。気にしなくて大丈夫よ』

「そうですか。……その、学校側から連絡はありましたか?」

『今のところないわね。まぁ、あっちとしても云い辛いでしょ』

「それは……そう、ですね」

『来るとしたら、明日の朝一だと思うわ。そしたら、次男坊辺り迎えにやるから』

「伯母様はいらっしゃらないのですか?」

『私は待ってるわ。その方がいいと思うし。あの子も私の顔は見たくないでしょう』

「そんな事はないですよ」

『ふふ、ありがとう龍ちゃん』


 伯母の穏やかな笑い声が、少し胸に痛い。

 眞由梨の横っ面を叩いた事で龍治の周りは静かになるだろうが、幸子の周りはそうならない。むしろ過熱する可能性が高かった。


『ここまで御膳立てして貰ったんだから、後は伯母様のお仕事よ』

「何か出来る事、ありますか」

『これ以上龍ちゃんに何かして貰ったら、私の立つ瀬がないわねぇ』


 ケタケタ笑う幸子に、龍治は苦笑を漏らす。

 確かにその通りだ。客観的に見て、龍治は小学生の身分で出来る限りの事はやっただろう。後は親の仕事として幸子に任せるのが自然の流れであって、そこにまで龍治がしゃしゃり出たらそれはもう大きいどころか巨大なお世話である。眞由梨の母親としての幸子の立場がない。

 だから龍治は、電話越しであったけれど頭を下げて、云った。


「後はお願いします」

『はい、任されました。……ところで龍ちゃん』

「はい?」


 幸子の声音が変わった事に、龍治は首を傾げた。

 ところで、と話題転換されたが、今これ以上に話さなければいけない事はあっただろうか。


『伯母様に云いたい事って、なぁい?』

「云いたい事、ですか?」

『云わないといけない事、でもいいんだけど』

「いえ、眞由梨の事以外では特には……」


 本気で龍治は彼女が何を求めているのかわからない。現状、眞由梨の事以外で話さねばいけない事はないはずだ。


『ふぅん。なら、いいんだけど』

「あの、何かありましたか? それとも俺、何かしましたっけ」

『ううん。そうじゃなくってね。ほら、眞由梨が云ってた事が本当かどうか確認してた時に、ちょっとね』

「あ、そう云えばどうでしたか。じいやさん、何か知ってました?」


 例の眞由梨が云った、「三歳の時に龍治からプロポーズされた」件である。

 龍治の記憶にはさっぱりないし、眞由梨から得られた情報はむしろ否定材料になってしまったが、念の為確認しておいた方がいいだろう。

 龍治の問いかけに、幸子は溜め息混じりに話し始めた。


『じいや達は黙秘権行使してきたわ。多分、ばーさんから口止めね』

「口止めですか? 何でわざわざ……って、あぁー……」

『あぁうん、龍ちゃんが思った通りだと思うわ』


 はぁ、とお互いに溜め息をつく。

 眞由梨の側に控える使用人たちは、今より幼い頃からずっと一緒に居た訳で。今回の件について、真相を知っている可能性が一番高い人たちだ。

 その彼らが口を割らない、口止めをされていると云う事は。


「風祭のおばあ様から吹き込まれた、と考えていいんでしょうか……」

『いいと思うわよ。あのばーさんもよくやるわホントに……』

「お、お疲れ様です……」


 珍しくうんざりとした陰鬱な声に、龍治は心底同情した。

 嫁姑問題と云うのはどこの時代どの家庭にもあるそうだが、幸子と云えど苦労しているのだと察してしまった。

 ゼンさんはどうだったっけと記憶を漁る。旦那さんが天涯孤独だった情報が出てきて別の意味でへこんだ。基本穏やかで明るく腐ってるものが多いのに、たまにこうして胸を抉る記憶が出てくるので自分の前世、油断ならない。


『それでね、使用人の一人と思い出話をしててふと思ったのよね』

「はぁ、何かありましたか」

『龍ちゃん、性格変わったわよね』

「はい?」

『五歳の発熱前と後だと、性格変わったと思うの』

「え」


 真剣になった幸子の声と言葉に、龍治はギクリとした。

 やましい事ではないのに――いや、やましい事、なのか。


(そりゃ、変わりもするさ。前世の記憶があるなんて、自覚もすれば)


 しかもそれが、自分とは似ても似つかないどころか、真逆の存在の記憶であれば尚の事。脳内をかなりの容量で占拠する記憶から影響を受けないなど、その方がおかしいだろう。

 だが、それを口に出せば、龍治は「頭のおかしい奴」認定を受ける。ゼンさんの記憶でも、龍治を取り巻く常識でも、「前世と云うものは存在しない」もしくは「前世の記憶を持つ者はいない」が共通認識であった。あくまで「前世」と云うものは、宗教上の建て前か、架空の物語を楽しむ要素にしかなりえない。

 龍治が、「前世の記憶を得たので、性格が変わりました」などと伯母に云えばどうなるか。想像するしかないが、頭を疑われるか、冗談を云われたと思われるかのどちらかではないだろうか。素直に「へぇそうなんだ」と云われるとは思えない。信じて貰えるなんて、考えられない。


『龍ちゃんは自覚ある? 自分の性格変わったって』

「さ、ぁ。特には。発熱前の事は、曖昧、ですし」


 声は震えていないだろうか。自信がない。妙な発言は、していないと思うが。


『そっか。……そうよね、自分の事なんて、よくわからないし』

「……伯母様は、」

『うん?』

「俺が変わったって、思い、ますか?」

『えぇ、思うわ』


 心臓が軋む。何故だろうか。そんなに、怖いのか、自分は。

 けれど。


(何が、怖いのだろう)


 頭がおかしいと思われる事か。

 事実ある前世の記憶を、あり得ないと否定される事か。

 それとも――


(そもそも、そんなに怖い事か?)


 例え否定されて頭を疑われようが、その後に「冗談です」の一言でも云えば済む話だ。今の龍治ならその弁解が通じると思う。別に今の立場を脅かされる事態にはならないだろう。

 ならば、恐れる事はないと思う。試しに云ってみるのもありかも知れない。

 けれど心臓が落ち着かない。引きつるようだ。何かに怯えるように、本能がよせ、やめろと叫んでいる気がした。


「……」


 龍治は目を細めて、幸子にばれないように深呼吸をした。肺腑に新鮮な空気を送り込めば、それが脳に巡り思考もクリアになる。

 気を落ち着かせろ。慌てて混乱したところで、事態が好転する事などないのだから。そう自分に云い聞かせた。


「俺には、わかりません。俺は――俺のままだと思います」

『……そうね。ごめんね、伯母様、変な事云っちゃったわ』

「いえ」


 龍治の短い返答に、伯母は僅かに苦笑したようだった。

 ――大事な伯母に嘘をつくのは心苦しいが、仕方がない。嘘も方便と云う便利な言葉が日本にはあるのだ。誰も幸せになれない真実より、誰かが幸せになる嘘の方がいいと云う考え方は、龍治も肯定する。

 本当の事を云っても仕方がないなら、罪のない嘘をつくだけだ。


『でもね、龍ちゃん』

「はい?」

『もし本当に……何かあった時はね、誰にも云えない事でも、私にだけは話してね』


 そう云う伯母の声は透き通っていた。電話越しでは見えない彼女の笑顔が、見えた気がする。


『どんな事があっても、私、龍ちゃんの味方でいるから』


 その言葉に龍治は目を伏せて、「はい」と返事をした。

 嘘に嘘を重ねると罪悪感がマヒして行くのだなと云う事実を、深く感じながら。

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