9.キャンプ二日目(戦争終結これでおしまい?)-3


 龍治が云う前に柾輝が云ってしまった。

 別に黙っていろとあえて命令はしていなかったが、まさか横から口を挟むとは思っていなかったので龍治は驚いてしまう。

 眞由梨がキリキリとまなじりを釣り上げた。


(うわぁ)

「どう云う意味ですの、柾輝さん」

「僕は五歳の時から龍治様のお側にいます。その時ですら、旦那様から片時も離れるなと命じられていましたし、ばあやさんを始め数名の使用人が常にお側へ侍っていました。龍治様が一人きりになる時間は就寝の時くらいで、それでも度々ご無事かどうか確かめていたくらいです」


 柾輝の云う通りである。ゼンさん的一般人感覚で云うと、とんだストレスマッハ生活だ。

 常に他人が側にいると云うのは、気が張り詰めるものだ。家族とだって適切な距離感が必要になると云うのに、赤の他人が声が届く範囲に常時いる。ストレスがガンガン溜まってもおかしくない環境だ。

 ゼンさんの記憶から云わせると「ないわー」なのだが、龍治たちの間では当たり前のことである。

 流石に中高くらいになれば、一人の時間を多く持たせてくれる可能性はあるが、幼児、児童の年頃ではまずありえない。

 つまりだ。


「三歳の頃の龍治様と眞由梨様が二人きりになるのは、室内ならともかくとして、野外ではまず不可能です。旦那様がお許しになりません」


 柾輝のキッパリとした宣言に、自信満々だった眞由梨が僅かに動揺した。しかしそれは直ぐに消え、彼女はまた自信ありげな表情になる。


「龍治様がわたくしの手を取って、抜け出して下さったのです。そして、二人だけの秘密だと――」

「でも龍治様は覚えていらっしゃいませんよね?」

「わざとそのように仰っているだけですわ。綾小路の叔父様が怖いからって」

「それだ」

「え?」


 ピッと人差し指を立て、龍治は眞由梨の弁舌を止める。眞由梨はきょとんとした顔で龍治を見た。


「お前の中で決定事項のようだが――俺は親父が怖くて逆らえないから、仕方なく花蓮を婚約者にしてるって云うんだな?」

「そうですわ。だってそうでなければおかしいではありませんか。わたくしを嫁にして下さると云ったのに、いつまでもその厚かましい女を婚約者に据えているだなんて、それ以外考えられません!」


 花蓮の顔が盛大に歪んだ。膝の上で握られた拳は、指先が白くなるほど力が込められている。横目で眞由梨を睨み付ける眼差しは、轟々ごうごうと怒りの炎を燃やしていた。

 それは、自分を厚かましいと罵られたからでも、仮の婚約者扱いされたからでもないだろう。

 優しい花蓮が怒るのは、いつだって、龍治の為だった。


「つまりお前は―――」


 龍治は、強く、意識して、


「――俺の事を、親父に逆らえない腰抜けだと云うのだな」


 顔から感情を消した。

 龍治はよくよく知っていた。理解していた。

 母によく似た冷たい美貌。この顔が最も恐ろしく見えるのは、怒りに歪めた顔でも、相手を鋭く睨み付けるさまでも、徹底的に軽蔑し見下すものでもない。

 感情が一切そぎ落とされた無表情こそ、相手に最上の恐怖を抱かせるのだと。

 真正面からその顔を見た眞由梨が「ひっ」と息を飲む。得意げな顔は吹き飛んだ。口元に手をやり、蒼い顔色で龍治の顔を凝視していた。

 ――龍治の母・竜貴たつきは「一歩下がって夫の影を踏まず」と云う因習に未だ傾倒している人だった。夫である治之に逆らう事はなく、苦言も云わず、愚痴も零さず、ただ従う人だった。

 それでも譲れない最後の一線に父が触れた時、母の顔からは全ての感情が抜け落ちるのだ。その顔はよく出来た人形そのもので、自分の姉以外に怖いものはないような父ですら腰が引ける。そわそわし始め、いつの間にか謝っている。そうしてにこりと微笑んだ母に、ほっと安堵の息をつく。

 あの父がそうなるくらい、この顔の無表情は怖いのだ。


「なぁ眞由梨。お前はそう云うんだな。俺を、腰抜けの弱虫だ、と」

「い、云ってません! わたくし、そんなっ!」

「云ったじゃないか。俺が花蓮を婚約者にしているのは、父に逆らうのが怖いからだって。――恐怖程度で委縮するようなカス呼ばわりされて、俺は不愉快だ」


 悲鳴のような声で眞由梨は「違いますッ!」と訴えた。

 それはそうなのだろう。眞由梨は別に、これまでの言動で龍治を侮辱したつもりなどないのだ。

 ただ彼女は――自分を、“可哀想なヒロイン”に据えていただけの事で。

 つまりだ。

 眞由梨の世界では彼女こそが主人公で――それは頭ごなしに否定しない。誰だって自分の人生の主人公は多くの場合自分だろう――愛しい龍治と結ばれる運命にあった。

 彼女が云う「三歳の時のプロポーズ」を盲信して、今龍治が花蓮を婚約者にしているのは「父親が怖くて逆らえないからだ」と自分を納得させて、いつかはその恐怖を克服して「眞由梨こそが真の婚約者だ」と云って手を差し伸べてくれると。

 そう信じ切っているだけなのだ。


(……哀れと云えば、哀れだ)


 眞由梨はまだ小学生で、周りの血縁から「お前こそが龍治の真の婚約者だ」と唆されて、現にとても近い位置に龍治が存在していて、手を伸ばせば届く距離に好きな相手がいる。

 そんな中で彼女が愚鈍な莫迦者だったなどと、龍治は云いたくはなかった。

“まるで自分を見ているようだ”。自分とてゼンさんの記憶がなかったら、どうなっていた?

 周りは甘く優しく自分を持てはやし、己の持つ容姿や才能モノはどれも優れていて、願いは何でも叶って――

 眞由梨と自分の差など、“前世の記憶の有無だけではないか”。

 胸が鉛を飲んだように重くなる。

 ここで同情するのは簡単だ。しかしそれでは何も変わらない。これまでの状態が続いて、龍治は悩んで、柾輝と花蓮は傷付いて。

 ――そんなものに、何の価値があるのか。二人を苦しませて悲しませてまで守りたいほど、龍治にとって眞由梨の存在は重いのか?

 答えは、いなだ。


(決めただろう。ちゃんと)


 この世界が『せかきみ』に酷似していると――あのゲームの世界シナリオを辿るのではないかと危惧した時から。

 二人の手を放さないで守ろうと、決めていた。


「眞由梨、聞かせてくれ」

「あ、あの、わた、わた、くし」

「お前の中の俺は、見下げ果てたクズ野郎か?」

「わた、し――」

「それとも、お前が焦がれるほどに、強い人間か?」

「あ――」

「なぁ、教えてくれないか」


 うっそりと、微笑んでみせる。優しいものではなく、かと云って恐ろしいものではないように。

“ただの笑顔”を、作ってみせる。


「お前にとって俺は―――“なんなんだ?”」


 耐えかねたように、眞由梨がワッと泣き出した。違う違うと狂ったように繰り返し、そんなつもりじゃないと悲鳴を上げて、龍治の名を呼んで泣き喚く。

 花蓮が恐れたように立ちあがったので、その手を掴んで引き寄せた。

 眞由梨の取り巻きの一人が泣きながら彼女に駆け寄って、崩れた少女を抱きしめる。その子は先ほど眞由梨の言葉に口元を引きつらせていた少女だった。眞由梨を想うその姿に、龍治は勝手ながら少しだけホッとする。

 だから続く言葉は飲みこんだ。これ以上甚振っても、何もならないと。

 俺を見ないお前を好きになる事はない――そんな言葉とどめを、龍治は云えなかった。


 ――ゼンさんの記憶は、何も云わなかった。



 *** ***



 泣き叫ぶ眞由梨は、取り巻きの少女たちと共に教師の手で医務室へ連れて行かれた。

 眞由梨が泣いた時点で、剣ヶ峰と一部の女子が率先して野次馬を散らしたらしい。廊下に人はなく、眞由梨の搬送はスムーズに行ったようだ。気が効く同輩へ龍治はこっそり感謝した。

 そうして今花蓮たちの部屋には、龍治一班メンバーと先生が一人居る。先生はこのキャンプの間ずっと一班を引率していた先生だ。

 外に控えていたコンシェルジュにお茶を淹れて貰い、皆でホッと一息つく。

 ベッドに座る龍治の右には柾輝が、左には花蓮がいる。他の三人はソファセットに座っていて、先生は一人立っていた。曰く、「役に立てなかったから自主反省」との事だ。


「……色々悪かったな、みんな」

「いえそんな……」

「龍治様が謝る事ではないですよ」

「そうだよー。むしろ龍治君、お疲れ様って感じ?」

「……悪い」


 気を使われて、謝罪の言葉しか出ない。

 結局、眞由梨との事は身内の問題だったのだ。それをこんな学校行事で、花蓮たちを巻き込んで大事にしてしまった。謝る以外の選択肢がない。

 それでも彼らは、龍治を悪くないと云うのだ。甘やかされているなと自覚して、少し溜め息を漏らす。


「俺、かっこ悪いなぁ」

「えっ」

「な、なんでですか」


 周りが驚くが、何で驚くのか龍治にはわからない。

 何故って、かっこ悪いだろうに。


「花蓮への愛を示して眞由梨を黙らせたならまだしも、言葉の裏をついて泣かせてんだぞ? かっこ悪すぎて自分にうんざりする」


 これが漫画やドラマの世界なら、真の愛を示す事で相手を黙らせて、愛しい人と手を取り合ってハッピーエンド的な展開なのだろうが。

 生憎と、ここは現実なので。やった事は女の子いじめだ。かっこ悪くてダサいにも程がある。

 はぁ……と今度は少しばかり大きな溜め息が出た。そしてふと、周りが静まり返っている事に気付いた。

 顔を上げ視線を巡らせると。


「……おい、どうしたみんな」


 柾輝も花蓮も、玲二も恵理香も莉々依も、先生すら。

 耳まで真っ赤になって、若干俯いていた。


「いやー……」

「あの、あの、わたくし……」

「その……」

「龍治様って……」

「まぁ、えっと……」

「今時の小学生どうなってんだマジで……」

「どう云う意味ですか先生」


 片手で頭を押さえてぶつぶつ云う先生に問うが、「言葉のままの意味だ」と返されて龍治は首を傾げた。


「龍治様……」

「なんだ、莉々依」

「あの、本当に……花蓮様の事が、お好き、ですね?」

「あぁ、好きだぞ。それがどうかしたか?」

「いえ……」


 莉々依から云い出したのに、ふと視線を外して、誤魔化す様に茶を啜っている。

 本当に何なんだと首を傾げる龍治に、ゼンさんの記憶が「りあじゅうばくはつ」と呟いたような気がした。意味がわからない。

 隣の花蓮が茹でダコより赤くなっている事に気付くのは、五秒ほどあとの事である。


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