8.キャンプ二日目(和やかに見せかけて戦争勃発)-1


「―――と、云う事なんですけど。伯母様、どう思います?」

『我が娘ながら突きぬけたわねーって感じかしら?』


 規則正しい生活を心がけるようにと、消灯時間は九時であるのだが。

 綾小路龍治あやのこうじりゅうじは十時を回った頃、トイレにこもって頼りになる美貌の伯母・風祭かざまつり幸子ゆきこへ電話をかけていた。

 携帯は当然のようにスマートフォンの最新機種。「機能ありすぎて面倒くせーよアプリこんなにいらねーよ」が本音だが、父が大変珍しくも笑顔でくれた物なのでありがたく使わせて貰っている。慣れれば確かに便利だと思うが慣れるまでは大変だった。

 最も龍治の場合、頻繁に使用するのは通話・メール・アラームくらいなのだが。ツリッターとか一々呟く事もないし、巷で評判のREINはなんか面倒臭そうと云う、開発者泣かせの理由で使用しない。

 それを周りの人々は、「龍治様は古風な方」とか扱うので微妙な気持ちだ。いや多分これ、ゼンさんからの影響だ。あの人腐ってる癖に、この手のコミュニティツール「だるい」の一言でやらなかったから。

 腐ってるならツリッター辺りで妄想垂れ流せよ、と意味不明な罵倒が浮かび、ゼンさんの記憶が「めんどいモノはめんどい」とバッサリ切り捨ててきた気がする。

 ちなみにゼンさんは、妄想を垂れ流さないで全て作品に昇華していた。そっちの方が面倒が多いのではないだろうか。疑問である。


「俺、マジで記憶にないんですよ。記憶力には自信ある方なんですけど」

『赤ん坊の頃の記憶まであるもんねぇ、龍ちゃんって』

「えぇまぁ。少しですけど」


 着せられていた産着の柄だとか、初めて見た父がその時身に付けていた物だとか、上手なのか下手なのか分からない祖母自作の子守り歌だとか。そう云う乳児期の記憶が僅かながら龍治にはあった。

 自分の記憶と云うよりも、周りから取り込んだ情報を脳内で再構築させて、まるで在るかのように思えただけではないかと考えていたのだが。祖母の自作歌が決定打になった。

 祖母は龍治が二歳になる前に他界している上に、彼女の歌は独特すぎて誰にも復元出来なかったのだ。映像や音声記録にも残し損ねたと祖父が嘆いていた事も未だに覚えている。

 しかし龍治がふとした拍子にその歌を再現してしまい、他にもあれこれ覚えている事が芋蔓式に発覚し、記憶力の凄まじさが証明された、と云う経緯だ。

 ちなみに。

 祖母の歌を再現した時、父と祖父が泣き崩れたと云うとんでもエピソードがあったりするが、それは今は関係ないので語らないでおく。


『可能性として一番高いのは、うちの旦那かばーさん辺りが吹き込んだかなーって気がするけど』

「そう、なんですか? いくらなんでも……」

『嘘だって発覚した時の事は勿論考えてるだろうけど。大体の人間って悪い事や後ろ暗い事する時って、「自分は大丈夫だ」って思うものよ。眞由梨まゆりが本当に婚約者になればチャラとでも考えてやらかしてる可能性はやっぱり高いわよ』

「うーん……。眞由梨が思い違いをしている、と云うのもあり得ますよね。周りの態度から「自分はかつてこう云う事を云われたに違いない」、みたいな感じで」

『夢見がち女子の代表みたいな部分あるから、それも可能性としてはありね。後は……』


 少し唸る声がした後、幸子は「あっ」と声を上げた。


「どうしました?」

『うん、龍ちゃんは怒るかもしれないけど、本当に龍ちゃんが云った可能性もあったかな、って』

「えっ? 俺ですか? でも俺……」

『龍ちゃんの記憶力の良さは私もよぉっく知ってるわ。でもね、私も今思い出したんだけど……龍ちゃんって、五歳以前の記憶、曖昧な所が多いって前に云ってなかった?』


 今度は龍治が「あっ」と声を上げる番だった。

 乳児期の記憶が薄らあったり、普段は意識してなかったり、前世の記憶がやたら鮮明に思い出せるので忘れがちなのだが。龍治は、前世の記憶有と自覚した五歳以前の記憶が虫食いまみれなのだった。

 それが、膨大な容量の記憶を得たせいなのか、それとも熱を出したせいなのかはわからない。しかし、覚えていてもよさそうな幼児期の記憶にたくさんの穴があるのは事実だった。周りは後者――熱のせいで忘れたのだろうと思っていて敢えて話題に出さないので、龍治の中でどうでもいい事にカテゴライズされている。大事なのは今だ。

 そう云う思考回路なので、伯母から云われるまですっかり忘れていた。


「五歳前の俺が云った可能性ですか。……あると思います?」

『ない、とは断言しないわね。龍ちゃん、小さい頃からませてたし』

「ませてました?」

『一歳の時点で大人と会話が成立してたからねー。割としっかり』

「我が幼児期ながら気持ち悪いんですが」


 幼児なんてものは、わーきゃーと歓声をあげつつ駆け回り、大人を振り回すものだろう。それがしっかり大人と会話が成立するとか、凄いを通り越して気持ち悪いと龍治は思った。自分なら全力で避けるぞそんな幼児。ゼンさんの記憶すらノーコメントだった。酷い。

 そんな龍治の思いを、幸子はケラケラと笑い飛ばした。


竜貴たつきさんや使用人たちは手が掛からないって喜んでたわよー。我が侭してたけど、度は越してなかったしねぇ』

「はぁ……」


 世間知らずの母は当てにならん、と思うので、曖昧な返事しか出来なかった。

 綾小路視点の度は越してない我が侭は、世間一般にすればとんでもないレベルの糞ガキ様だと思うのだが。


『同じ子供なんて、みーんな幼稚すぎて相手にしてなかったわねぇ。眞由梨だけは従姉妹ってのもあって、一緒にいる事多かったけど』

「そうでした?」

『一緒に居るって云っても、今みたいに眞由梨が追いかけ回してたんだけどね。それでもあの頃の眞由梨は大人しかったから、龍ちゃんはさほど鬱陶しがってなかったみたいで、あえて追っ払ったりはしてなかったわねぇ』

「うーん……」


 云われ思い出そうとするが、やはり記憶にない。そう云えば眞由梨っぽい子がいたかな、程度だ。

 幸子の話で多少肉付けはされたが、鮮明にはならなかった。


『だからね、可能性としてはその頃だと思うのよ』

「伯母様的にはどうです? 俺って云いそうでした?」

『そうねぇ……、そこまで眞由梨を気に入ってるようには思えなかったわ。うるさくないから側にいても許す、みたいな』

「とんだ傲慢幼児ですね俺……すいません」

『あら、別にいいわよ。どう考えても時効だもの』

「……時効ですよね?」

『時効ね』


 仮に、当時の龍治が幸子の見立て違いで眞由梨を気に入っていたとして、「嫁にこい」的な事を云っていたとしてもだ。そんな幼い頃の口約束、どう考えても無効である。例えばそこに保護者なり誰なり居て、その言葉を聞いて眞由梨を正式な婚約者としていたら話は別だが、そんな事実はない。

 あくまで龍治の婚約者は東堂院とうどういん花蓮かれんで、眞由梨は従姉妹だ。それ以上でもそれ以下でもない。

 五歳以前の結婚の口約束。恐らく、誰にでも有り得る事だろう。異性の幼馴染がいたら、そこそこの確率で云うのではないだろうか。しかしそれを現実にする者は少ないだろうし、相手が別の誰かを選んだ際に「幼児の時に結婚の約束したんだから、自分と結婚するべき!」などと云って非難したら確実に痛い人扱いだ。それ以前に怖い。ストーカーとヤンデレの香りがする。


『とりあえず、私の方で眞由梨の話が本当かどうか、探ってみるわね』

「いいんですか? ……と云うか、大丈夫ですか?」

『ばーさん達はスルーして、使用人達に聞いてみるわ。じいや辺りなら何か知ってるかもだし』

「すみません、お手間おかけします」

『可愛い甥と大事な娘のためなら手間じゃないわよー。っと、つい話込んじゃったわね。もう遅いから龍ちゃんは寝なさい』

「はい、ありがとうございました伯母様。おやすみなさい」

『はーい、おやすみー。いい夢見るのよー』


 通話を終了し、龍治は一つ溜め息をついた。


(俺が本当に云った可能性か……。確かに、ないって断言出来ないよなぁ)


 なにせ記憶がないのだ。云った証拠もないが、云わなかったと云う証拠も無い。

 ただ可能性があるだけで、低い気はするのだが。


(本当に云ってたら、眞由梨は風祭のおばあ様には確実に報告してたんじゃないかなぁ。そんでそこから話が大きくなってた気がするけど……)


 しかしそんな話は聞いた事がない。だから龍治はキャラを忘れ、眞由梨の前で「云ってねぇよ!」と喚いてしまった訳である。

 敢えて黙っていると云う可能性はあるか。あり得るかな、と云う気もした。眞由梨ががっちり龍治を射止めてから、「幼い頃約束していた二人が本当に結ばれる」とかブチ上げる気だったとか。

 考えたら寒かった。どこの少女漫画かと。


(……まぁとにかく、結論は変わらないよな)


 自分の嫁は花蓮一択な事に変更はないので、あれこれ思考を巡らせていても仕方がないだろう。結論は出ている。後はどう誘導りょうりするかが問題だ。


(あいつの思い込みを論破するの、結構楽に出来るしな)


 あの時は思いもよらない発言に頭を抱えたが、後から考えればかなり楽に論破出来る事に気付いた。まぁそれをやるには、かなり自分を性格悪しに演出しないといけないが。自分の将来を考えれば、嫌われ役どんとこい。予行練習だと思えと云う所だろうか。後は周りをフォロー出来れば完璧パーフェクトだと思う。多分。

 そこまで考えて、幸子に云われた通り、今日はもう寝るかと用を足してトイレを出た。

 ドアを開けると正座待機状態の岡崎柾輝おかざきまさきが真正面に居たので、夜にも関わらず最大音量の悲鳴を上げそうになったのは余談である。心臓が止まるところだった。


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