7.キャンプ一日目(医務室で恐怖体験)-4


 まったく想定していなかった言葉を云われ、頭の中が真っ白になった。

 ゼンさん記憶すら「はい?」と呆気に取られてる気配がする。


(いつ解消なさるのです――って、何だそれ、婚約解消が確定事項になってないか?)


 思わず眞由梨の頭を疑ったが、表情にも目の色にも狂気の色は見えない。

 よもや自分がゼンさん記憶にある数多の恋愛ゲームで云う、ヤンデレルートにでも入ってしまったのかと思ったが違うようだ。ゲーム脳乙。

 眞由梨は心底、ただ純粋に、龍治がいつ婚約を解消してくれるのか疑問に思っている顔だった。

 龍治の背筋に悪寒が走る。伯母と最後に会った時の記憶がよみがえった。


 ――それで、まあ、私と龍ちゃん仲いいじゃない? 眞由梨もそれは知ってるから、それも誤解と思い込みに拍車をかけてる気がするのよね――


(……甘く見てた、のかな)


 女だろうが男だろうが、とかく人間の思い込みとは恐ろしい。それをゼンさんの記憶から学んでいたはずなのに。

 それでも見誤った。所詮は知識と云う事だ。薄っぺらな、経験を伴わない前世の記憶。活用出来るかどうかは、龍治次第の莫大な遺産きろく

 眞由梨の眼は、狂気も哀願も縋る色すら見せず、ただ真っ直ぐに疑問をぶつけてくる。

 いつ貴方は、私を婚約者にしてくれるのですか、と。

 自分が婚約者になる事に一切疑問はなく、ただ、それが“いつなのか”とだけ、聞いて来る。


「……眞由梨」

「はい、龍治様」


 眞由梨が目を輝かせた。明確な答えを貰えると信じて疑ってない。

 さてここで龍治はどうするべきか。曖昧に濁すか、きっぱり拒絶するか。――例え間違いであっても、失敗しても、龍治には一つしか選べないが。


(花蓮を裏切る事はしない)


 言葉だけであっても、その場凌ぎであろうとも。裏切り行為だけは決してしないと、誓っているのだ。

 ゼンさんならどうするかな、と考えて、彼女の記憶が「好きにしなさい」と囁いてきた気がした。

 じっと眞由梨を見る。眞由梨も龍治を見つめ返して来た。


「俺の婚約者は花蓮だけだ。お前が選ばれる事は、決してない」


 断言する。誤魔化しもお愛想も何も含めない。

 眞由梨に許された武器が涙なら、龍治に許された武器は正直である事だ。

 途方も無く巨大な家を背負った龍治が己を嘘で塗り固めたら、誰も近寄って来なくなる。嘘にまみれた強大な力ほど、恐ろしくて信じられないものはないのだ。怯えられるだけの力には何の意味も無い。そんなものは物語の中の魔王や悪役だけが持っていればよいモノだ。

 だから龍治は正直を選ぶ。正直を尊ぶ。世辞や方便として言葉を弄する事はあっても、それは場の流れをスムーズにするため、他者のためだ。自分の為の嘘ほど、龍治に不必要なものはない。

 故のきっぱりとした拒絶だが、何故か眞由梨は――龍治を哀れむ目で見て来た。


(ん?)

「お可哀想に龍治様……。お家の為に、そのような嘘を……」

「えっ、ちょ、」


 人の決意の言葉を嘘とか、どう云う事だ。決めた覚悟を返して欲しい。


「わたくしには、そのような嘘をつかなくとも宜しいのですわ。正直に仰って下さいまし」

「いやいやいや、マジで正直に云ってるぞ俺。未来の妻は花蓮一択だからな?」


 言葉遣いが崩れたがそれを気にする余裕も無い。

 何故に眞由梨は、こんなに頑ななのだ?


「まぁ……そんな意地を張って……。それほどまでに綾小路の叔父様が怖いのですか?」

「父さんは色んな意味で怖いが、今は関係ないぞ」

「ですが花蓮さんを妻になさると仰ったではないですか。叔父様がお決めになった、あの女を」

「いや、決定したのは父だが、そもそもは俺が選んだ相手だぞ。俺は花蓮が好きだ」


 正確に云えば、“選んだようなもの”に分類されるだろうが、ここで曖昧な言葉は自殺行為である。父に決められた事は確かだが、自分で選んだと云うのも事実だ。嘘ではない。


「叔父様に逆らうのが怖いから、そのように虚偽の愛を掲げるのでしょう?」

「はぁ?」


 どうにも噛み合わない。

 確かに龍治は色々な意味で自分の父・治之はるゆきが怖いとは思っている。しかしそれは、「何をしでかすかわからんビックリ箱のような人」故の恐怖で、逆らえない訳ではない。確かに真っ向から逆らうのは得策でない場合が多いので、言葉を弄しての事が多いが、己の意向に沿わない場合は拒否・拒絶はきっちりしてるのだ。場合によっては蹴りだって入れる。

 なのに眞由梨は、治之が怖いから花蓮を婚約者にしている、と云う。

 何だそれは、と龍治が思うのは当然だった。


「わたくしはちゃんと分かっておりますのよ? 龍治様が真に愛しているのは――わたくしだって」

「待て、その自信の根拠はなんだ。証拠を示せ!」

「だって龍治様、仰ったではありませんか」


 うっとり、眞由梨は瞳を細め、夢見るようなトロけた表情になる。

 再び悪寒が龍治の背中を撫でまくった。


「今より小さい頃に――わたくしを、嫁にして下さるって」


「……云ってねぇー! 覚えがねぇよ! どこで記憶改竄かいざんしたよお前ッ!」


 どこぞのチート能力でも使われたのかと喚く龍治を、眞由梨は心底不思議そうな顔で見て来る。龍治の否定の言葉すら、「またそんな事を仰って。困った方」とでも云わんばかりだ。

 どうすりゃいいんだコレ、と龍治は頭を抱え、呻くのであった。


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