7.キャンプ一日目(医務室で恐怖体験)-3

 医務室は学校の保健室と似た雰囲気だった。全体的に白く、消毒液の匂いが強い。

 傷の手当てをする為の簡易なテーブルセットと薬品棚、デスクがあり、奥にはベッドを隠すクリーム色のカーテンが引かれていた。

 詰めていた保健医に声をかけ、眞由梨が寝ているベッドを教えて貰った。カーテンの前に立ち一度深呼吸。開けないまま中へ呼びかけた。


「眞由梨、大丈夫か?」

「まぁ、龍治様!」

(具合悪いんじゃないんかいっ)


 明るい声に龍治の眉間へグッとしわが寄った。保健医が苦笑している気配がする。

 溜め息を一つ軽くついた。カーテンを少し開いて、滑り込むように中へ入る。


「元気そうだな」

「龍治様のお顔を見れたからですわっ」

「そうか」


 好意を持った相手の顔を見て元気になる、と云う理屈は確かにあると思う。少なくとも、嫌いな奴の顔を見るよりは元気になれるだろう。人によっては嫌いな相手の方がやる気が出る事もあるかも知れないが。

 眞由梨はいそいそと起きあがって龍治を迎えた。ブレザーを脱いだ制服の上にガウンをはおり、にこにこと笑顔を浮かべている。顔色を見ると、確かにいつもより白いような気がした。具合が悪かったのは本当なのかも知れない。


「……急にどうした。朝会った時は元気そうだったじゃないか」


 軽く探るつもりで問いかける。すると眞由梨は、大きな黒い瞳にじわりと涙を浮かべた。涙に濡れる瞳は客観的に見て美しいのだろうが、龍治からすると「またか」と云う感想がわき上がる。

 何かあるとすぐ泣くのが、眞由梨の“武器”なのだ。


「お聞き下さいまし、龍治様。花蓮さんったら、本当に酷い方ですのよ」

「へぇ」

「あまり丈夫でないわたくしが、龍治様のお側に居たくて、周りが止めるのを振り切りハイキングをすると決めましたのに……」

(自分で云っちゃうなよ……)

「それを、愚かな行いだと莫迦にしたのですわっ」

(俺も脆弱さんは散歩から始めろと云うよ)

「わたくしは龍治様のお側に居る為に……龍治様の為に覚悟を決めたと云うのにっ」

「いや、たかがハイキングでそんな悲壮な決意をされてもだな」

「龍治様、わたくしが居なくて大丈夫でしたか? 花蓮さんに酷い事されてません? 柾輝さんはお役に立ちましたの?」

「花蓮は俺に優しいし、柾輝が居ないと俺は困るよ」


 ぽろりぽろりと涙を零しながら云う花蓮の言葉に、龍治は真実のみを口にする。どうにも眞由梨の二人に対する印象は、最悪を極めているようだ。

 花蓮とはよく口喧嘩をするので分からないでもないが、柾輝の何を指して役立たず扱いするのかはよく分からない。学園でも常に龍治の世話を焼いている姿ばかり見せていると思うのだが。

 柾輝がいないと龍治の日常生活は非常に不便だ。一人でも出来るし気恥かしさはまだまだ消えないが、それでも楽な事は事実である。


「龍治様はお優しいですわ……。あのお二人の事もそのように気遣って」

「限りなく本音だが……?」


 その後も眞由梨は、いかに花蓮が自分に対して酷かったかを切々と語った。しかし、どの言葉も龍治には響かない。ピンと来ないと云うか。

 普段から一緒に居る花蓮と、眞由梨の語る花蓮がどうしても一致しないのだ。

 無論龍治は、ゼンさんの記憶から人間が持つ二面性を学んでいる。天使のような優しい顔の裏で、悪魔の如き憎悪を募らせる人間が居る事だって知ってる――あくまで知ってるだけだが。人によって態度を変えるのはおかしな事ではなく、むしろ感情ある人として当然の事ではないかな、程度には思っているのだ。

 だから眞由梨の抱く花蓮の印象が悪いのは仕方ない。二人は龍治を巡って争うライバルなのだから。

 それは分かっているのだが――それでもやはり、花蓮を悪く云われるのは、


(気分悪いよな)


 花蓮は大事な婚約者で、可愛い初恋の君である。悪く云われれば、当然気分は悪い。

 龍治の眉間にくっきりと刻まれた皺に気付かないのか、眞由梨は絶好調で花蓮を悪し様に罵った。少しでも龍治の中の花蓮への株が下がればよい、と思っているのか、単純に花蓮の悪口を云いたいだけなのかは判断できない。

 例えどんな理由であろうと――眞由梨への好感度は急降下の一途だけれど。


「話はわかった」


 そろそろ厭になってきたので、低い声で話を遮る。

 眞由梨は「そうですか?」などと云いながら、まだ云い足りないような顔をしていた。もっと聞いて欲しいのに、と云わんばかりの眼である。


(こいつってこんな莫迦だったかな。それとも、俺の勘違いか?)


 龍治は彼女の事を賢い女だと思っていた。云い換えれば、小賢しいと。

 少なくとも龍治が花蓮へ好意を向けている事くらいは理解しているだろうと、普段の行動から計っていたのだ。それが今日はどうもおかしい。


(まさか眞由梨も、親元離れてハイテンションとか云わないだろうな……)


 ない、とは云い切れない所である。保護者かんししゃが側にいなくて暴走するのは、子供にありがちな事である。一般家庭の子供より高等な教育と躾を受け、精神的に大人びたものが多いとは云え、あくまで自分達は小学生だ。自制など、あってないようなもの。

 そう考えて、とにかく面倒だから話を切り上げようとした龍治に、眞由梨が爆弾発言をかました。


「ところで龍治様は、いつ花蓮さんとの婚約を解消なさるのです?」

「―――……は?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る