序章3 ライバルキャラクター・東堂院花蓮


 龍治には同い年の婚約者もいる。

 名前は東堂院花蓮とうどういん かれん

 綾小路家に並ぶ大財閥東堂院家のご令嬢だ。

 蝶よ花よと育てられた彼女は、乙女ゲーム『世界の全ては君のモノ』の中でも龍治の婚約者であり、ヒロインの恋路を攻略対象達とは別の方向から徹底的に邪魔しまくる、ライバルキャラクターだった。



 花蓮との出会いは、柾輝より少しばかり後。龍治達が幼稚園を卒園し、『瑛光学園』初等科へ入学する前のパーティーだった。

 卒園及び入学を祝うパーティーであったが、その本質は子供達への祝いではなく、『瑛光学園』に入る綾小路家関係者の顔見せだ。社交界デビューの練習でもあったと思われる。規模としてはショボい部類に入るが、それでもほとんどの子供にとっては親を伴っての初社交。多くの子供は緊張に顔を強ばらせていた。

 その中で龍治はと云えば、「どうせ入学してからも会うのに、かったるいな」と云う気持ちを隠して、おすまし顔を維持した。わざわざ子供のためにパーティーを開いて顔合わせをさせる意味が分からないと云うか、怖かったのかも知れない。顔合わせとは云っても、一番の目的は龍治に顔と名前を覚えて貰う事だと云うのが、親たちからの熱意で伝わってくるのだ。庶民精神が怯えるのも無理はないと思う。


 見覚えがある大人達に、「大きくおなりになって」とか「お母様に似てお美しいこと」とか「将来が楽しみな利発ぶりだそうで」と、ありがちな美辞麗句を受け取りがてら、彼らの子供達を紹介された。

 ゼンさん的庶民感覚が挨拶を無下にする事を許さず、逐一丁寧に相手をした龍治は自分で自分を褒めてやりたかった。

 どいつもこいつも、息子ならば未来の部下に、娘ならば妻にと云う野望を滲ませているのだ。嫌気も差す。さらに云えば、ずっと側に居る柾輝へ、あからさまに敵意を向けられたりもしたのだ。こちらからだって威嚇し返すのは当然だろう。人の友達になんか文句でもあるのか、と犬歯の一つも剥いて当然だ。

 ただ、龍治の機嫌を損ねたと気付くや否や、ものすごい勢いで謝罪されるものだから、それはそれで困った。他人の人生を狂わす気はない。無いが、龍治の機嫌を損ねるイコールバッドエンドな人が多いのも事実だった。

 幸いだったのは両親が相手へ怒りを向ける事無く、「龍治は本当に柾輝がお気に入りだねぇ」「仲が良くて微笑ましいわ」と謎のほのぼのムーブをしてくれた事だろうか。我が両親ながら沸点が理解出来ない。


 似たり寄ったりな挨拶、緊張しまくる子供達、野心を滲ませる大人達、よく分からない両親に囲まれて、なんだか龍治は疲れてしまった。顔を覚えるどころじゃない。誰にも興味がわかない。

 とてもよくない傾向だが、そもそも龍治は他者への関心が薄いのだ。ゼンさんのお陰で多少はマシになった程度。パーティーの前に見せられた関係者各位の写真とプロフィールは覚えていても、思い出すのが億劫になってしまった。集中力が切れたとも云う。

 そうして段々とうんざりして来た中、一人だけ、龍治の目を惹いた子がいた。


 ――それが、東堂院花蓮だった。


 彼女は、はっきりした目鼻立ちをした、ぱっと見キツい印象を与える美少女だ。

 乙女ゲーに出るヒロインのライバルキャラ、その中でも縦ロールのお嬢様系統だと云えばいいのか。割とそのままな気がする。

 雪と云うより陶磁器のような白く滑らかな肌と、バラ色の頬と唇。つり目気味に大きな目は、ともすれば睨まれると勘違いしそうなほど眼力が強く、バサバサの睫はその印象を増幅させていた。腰まで伸びた黒髪は丁寧にセットされ、見事で頑丈な縦ロール。

 フリルとリボンがたっぷり付いた水色のドレスを見事に着こなして、花蓮は強い眼差しをこちらに注ぎながら、龍治の前に立った。

 喧嘩でも売られるのか、と思った龍治が首を傾げると同時に、花蓮はボッと顔を赤くした。手袋に包まれた小さな手を、もじもじと組み合わせ、俯きがちになったかと思うと、チラチラと龍治の顔を窺ってくる。


「は、はじめ、まして。東堂院、花蓮、ですわ。どう、どうか、お見知りおき、ください、まし……!」


 さっきまでの感じ悪いお澄ましお嬢様、どこへ行った。自分は白昼夢でも見てたのか。

 そう思ってしまうくらい、花蓮の態度がガラリと変わったのだ。

 龍治の気を惹く演技ではなく本気で泡を食っているらしき彼女を、龍治はついまじまじと見てしまった。さきほどの態度はもしかして、喧嘩を売っていたのでは無くて単に緊張していたのか、と考えてしまう。そう思うとなんだか可愛く見えて来た。

 あまりにも龍治がジロジロ見たせいか、花蓮はさらに顔を赤くすると、母親の影にピャッと隠れてしまった。

 花蓮のご母堂が「申し訳ありません。龍治様を前にして、娘は緊張しているようですわ」とフォローしてくれたのだが、龍治はあまり聞いていなかった。どうして隠れるのか、こっちの挨拶は聞いてくれないのかと、今まで動かず立っていた場所から移動してまで花蓮の顔を見ようとしてしまった。

 花蓮はますます隠れてしまい、龍治はもう一回顔見せてと追いかける。その光景に周りは驚いていたが、一番驚嘆していたのは龍治の両親だった。


「龍治……。君が女の子に興味を示すとは、珍しいね?」

「花蓮さんがどうかなさったの? いつも柾輝さん以外には近寄らない龍治さんが、珍しいこと」


 実の息子に対してなんつー云い草なのか。その云い方では女の子に興味がなく、同性の柾輝にのみべったりみたいではないか。

 そう考えてムッとした龍治だったが、思い返してみれば間違えていなかった。とにかく龍治は柾輝が離れる事に恐怖していたし――彼の将来的な意味で――、他の「お友達」はいらないと意地を張っていた。

 友達を作ろうとしない息子を、両親は心配していたのかも知れない。そう思うと申し訳ない気持ちが僅かとは云え沸いてしまう。

 だから龍治は、正直に云った。


「別に……可愛かったから、気になっただけです」


 ――そのたった一言で、とんでもない騒ぎになった。


 両親は「柾輝以外に興味を持たなかった龍治が!」と大喜び。花蓮の両親は「うちの子の可愛さが分かるなんて、流石は龍治様!」と大はしゃぎ。周りの人達は「綾小路龍治が初恋をした!」と騒ぎに騒ぎ立てた。

 そして花蓮は、完熟トマトより真っ赤になって、スカートを握りしめながらぷるぷる震えていた。


 あまりの大騒ぎにドン引きした龍治を、柾輝が手を引いて会場から連れ出してくれた事には感謝しかない。いや、渦中の花蓮を置き去り案件な訳だが、それより何より、自分が他者に興味を持っただけでここまで騒ぎ立てられた事に、龍治は本気で引いたのだ。

 確かに、柾輝しか側へいる事を許さなかったのは事実。他にも何人か紹介されそうになったが、自分が柾輝以外へ興味を持ったら、また最初みたいに引き離されるかも知れないと云うトラウマから、会う前に断っていた。つまり父親のせいでは? と、龍治は責任転嫁する事にした。

 連れ出された先で、柾輝に「ご自分の影響力に自覚をお持ち下さい」と云われた。頭痛を抑えるように、額へ手をあてながら、げんなりと。

 龍治はまず、六歳の柾輝が影響力と云う言葉と意味を正しく解している事に感心した。そして岡崎家と綾小路家の従者教育、ヤバいのでは、と恐怖した。六歳児が大人みたいな言動を取ってる。それすなわち、両家の教育の成果だろう。

 自分の周り、怖い事ばっかりだ。

 何より怖かったのは、その後である。


 当人としてはドン引き案件扱いだった「綾小路龍治、初恋騒動」はその後、龍治の預かり知らぬ所でトントン拍子に話が進んだようで。

 パーティーから半月後、入学前に花蓮と再会する事となった。

 綾小路家のだだっ広い豪奢なリビングルームにて。パーティーの時より控えめで、それでも充分にめかし込んだ花蓮は、正装をした笑顔のご両親に連れられて来た。

 頬をバラ色に染め、色素薄めな茶色の目をキラキラ輝かせて。この世界で一番幸せなのは自分だと主張するような、眩しい笑顔を龍治へ向けていた。

 父に呼ばれ、柾輝と一緒にのこのこリビングへ来た龍治は、ぽかんと呆ける。「ほどほどに整えた格好で来なさい」とは云われていたが、人に――花蓮に会わせるとは聞かされていなかった。


「龍治、改めて紹介しよう。君の婚約者になった、東堂院花蓮さんだよ」


 ――いらんサプライズをするな、親父。

 龍治が真っ先に思った事はそれだった。

 婚約は相手あっての話である。そのように大切な話をするなら、龍治だってもっとおめかしした。相手の為にブローチとかリボンタイなどの装飾品でかっこ付けて、花束を用意するくらいの甲斐性はあるのに。

 龍治はとりあえず、父の膝裏へ「報連相ちゃんとしろ」と蹴りを入れて、部屋に飾られたピンクのバラを花瓶から抜き取った。


 たった一言。

 龍治が「かわいい」と評価しただけで、この少女の将来が決まってしまった。


 かなりのホラー体験をさせられている。まだ春先なのに。夏じゃ無いのに。正直な話、背中を鳥肌が覆っているし、頭の隅でゼンさんの庶民精神が悲鳴をあげている。

 それでも龍治は、柾輝の時のようなヘマはしなかった。慌てず、騒がず、咳き込まず。何より優先すべきは、「龍治の婚約者になれた事」を笑顔で喜んでくれている女の子へ、誠意を見せる事だ。

 柾輝が花切りバサミで茎を丁度良い長さに切断し、どこからか出したパステルピンクのリボンで飾ってくれた。親友が出来る男過ぎて辛い。


「……婚約者になってくれた君に。次は花束を用意して、こちらから挨拶に行くよ」


 部屋に飾られていただけの一輪のバラを、花蓮は両手で受け取ってくれた。まるで初めて目にする奇跡の花を見るような瞳で、ピンクのバラをまじまじと眺めていた。


「よろしくね、花蓮さん」

「は、い……こちらこそ、龍治さま……」


 花蓮はまた顔をトマトにして、目に涙をため、震えた声で応えた。

 あれは今にして思うと喜んでくれていたと分かるのだが、当時は「あれ、スベった? 流石にキザだった? 寒い? 俺寒い?」と焦ったものである。

 それを柾輝に云ったら、ものすごい生暖かい笑みを浮かべられた。「龍治様は頭が善いのに、人の事になると察しが良くないですね」と、割とストレートに貶された気がする。それって対人関係ではIQ溶けてるって意味?


 ちなみにその時、蹴りを入れられた父親はショックから床へ倒れ、花蓮の父君は「治之はるゆきくん、しっかり!」と親切に慰めてくれていて、ご母堂は「花蓮……よかったわね花蓮……」と泣きながら動画を撮っていた。我らが親ながら、カオスである。



 その数日後に龍治は改めて、正装をし、赤色多めのポピーの花束を持って東堂院家へ挨拶に行った。

 ポピーにしたのは、共通の花言葉に「思いやり」と「恋の予感」が入っていたからである。赤色を多めにしたのは婚約者になってくれた「感謝」の気持ちを込めて。ゼンさんの記憶を引っ張りだし、母と柾輝に相談して決めた。

 ありがたい事に、花蓮とご両親はそれはそれは喜んでくれた。ただし花蓮の兄からは「キザ。十点」と辛口評価を貰ったが。

 ポピーの花束を抱きしめたまま、花蓮が自身の兄へ蹴りを入れる姿に、「まぁ家族相手ってそうなるよね」と思ったものだ。庶民だろうと金持ちだろうと、そう云う感覚は変わらないものなのかも知れない。


(婚約者が元気な子でなによりだ)


 そうして決まった婚約関係であったが、龍治としては文句はない。いや、勝手に決めて勝手に進めていらんサプライズかましてきた父親には、未だに弁慶の泣き所蹴り上げてやろうか的な気持ちも強いが。

 十歳になった今、自分の隣りであの時と変わらず嬉しそうに笑っている花蓮を見ていると、「婚約者になって善かった」としみじみ思うわけだ。

 父親への怒りと急展開に、感情が中々追いつかなかっただけの話。龍治は初めて会ったあの時、花蓮にしっかり初恋をしていたと思うのだ。

 そうでなくては、彼女の一挙一動を可愛いと感じ、ほっこり癒やされる事もなく、「なんで勝手に決めたんだ」といつまでも苛立っていた可能性が高い。それがゲームの『綾小路龍治』だったのではなかろうかと、悲しい想像もしてしまったが、それは置いといて。

 ゲームと違って龍治は、花蓮が可愛くって可愛くって仕方なかった。


(女の子って、こんなに可愛かったっけ?)


 持久力はあるが瞬発力の低い花蓮は、龍治を見つけて近寄って来るまでが遅い。足音にオノマトペをつけるなら、「てちてち」みたいな歩き方だ。けれどそれに対して龍治は、「あー、可愛いなぁ~。子犬ちゃんかな~? 俺が迎えに行くからじっとしてていいんだよ~」みたいな気持ちになる。自分でも若干気持ち悪い。

 側へ行けば、にこにこ笑って頬をリンゴのようにして「龍治様」と甘い感情をいっぱい詰め込んだ声で呼んでくれるので、こっちが照れてしまう。「こんなストレートに感情を伝えてこれるって、もはや声自体が才能では?」と云ったら、柾輝から生暖かい笑みを貰った。

 お稽古事があまり好きでなかったが、龍治と婚約してからはかなりやる気になったとご母堂から聞いた時は、綺麗にセットされた髪がぐしゃぐしゃになるくらい頭を撫でてしまった。本人は「龍治様に褒められた!」と喜んでいたが、花蓮兄は「せっかく気合い入れてセットした妹の髪に何しやがる」と怒っていた。仰る通りですと縮こまる龍治を見て、また花蓮が「龍治様をいじめるな!」と兄の尻へ蹴りを入れていたが。空手を習い出した彼女の蹴りは、幼女とは云え素晴らしかった。兄君が悶絶して倒れるくらいには。

 花蓮の部屋へ遊びに行ったら、お洒落なサイドボードの上にゼ■シィが乗ってて度肝を抜かれた。混乱する龍治に、花蓮のメイドがそっと「将来の為に、今から勉強していらっしゃいます」と教えてくれた訳だが。龍治が思わず、「てぇてぇ……」とゼンさん用語を呟いてしまっても仕方ない事だろう。花蓮の存在そのものが尊い。多分、慈愛の女神の生まれ変わりかなにかだ。


(神様、花蓮と出会わせてくれてありがとう! 毎日すっごく楽しいです!)


 ――と、まぁ、このような具合に、龍治は花蓮をネコッ可愛がりしている。

 たまにゼンさんが「お、おう」みたいな反応をしている気がするが、それは横へ置く。柾輝の眼差しが時々生暖なまあったかいのは、どうにかしたい。両親は婚約関係が良好な事を喜んでいるけれど。


 そんな花蓮可愛さに、少しでも喜ばせてあげたいと乙女ゲームの記憶を漁った結果、『世界の全ては君のモノ』の情報にぶち当たったと云うのは、なんの皮肉なのか。いや、今後の事を考えれば、幸運だったとも云えるけれど。


(ゲームでの彼女――『東堂院花蓮』は、不憫すぎる。見てられない……)


 乙女ゲーム『世界の全ては君のモノ』――略して『せかきみ』。

 それに登場する最大のライバルキャラこそ、『綾小路龍治』の婚約者、『東堂院花蓮』だったのだ。

 プレイヤーから忌み嫌われ、あらゆる試練トラウマをヒロインに負わせた、乙女ゲー屈指の悪女キャラ。とある雑誌の「記憶に残るライバルキャラランキング」にて、一位とは小差、三位以下を大きく引き離してのランクインは、乙女ゲーの歴史へ鮮やかに残っている。そのせいでゲームをプレイしていない人でも、『東堂院花蓮』の名前は知っているくらいだった。主に、「ヤバい悪女おんな」として。

 ただ、龍治としてはもの申したい。

『東堂院花蓮』が人々の記憶に刻み込まれるほどの悪事をしでかした最大の原因は、『綾小路龍治』である、と。


(あんのクソ莫迦野郎。どこまで迷惑かける気だ)


 ゲームでも二人は婚約者であるが、その関係性は最悪だと云うしか無い。

『綾小路龍治』の態度が。

 龍治が『せかきみ』の記憶を掘り返す度に、「てめぇ、その澄ました面ブン殴らせろ」と青筋を立てるレベルだ。同じ顔なのだが。

『東堂院花蓮』は、彼女なりに必死で『綾小路龍治』を慕っている。幼い頃から決められた婚約者として、「龍治様に恥じぬ淑女となります」と大変な努力をしていた。

 気が強く、家柄を鼻にかける高飛車な所はあったが、シナリオを読むに『綾小路龍治』の妻となる人間として、他者に侮られてはならないと肩肘張っていたのだろう。それが龍治に読み取れるくらいに、『東堂院花蓮』の心情を綴ったシナリオは胸を打つ内容だった。

 そんな彼女を、『綾小路龍治』は邪険にし続けた。「親が勝手に決めた相手だ」と現状を変えられない苛立ちを、『東堂院花蓮』へぶつけていたのだ。この時点でクソだ。さらには、『東堂院花蓮』の努力を否定、側に寄るなと嫌悪をむき出しにする、ヒロインを虐めていると知れば罵倒する。

 本当にこいつ最悪だと、龍治はゲームの記憶に対してキレかけた。ゲームはゲームだと割り切りたかったが、顔が同じなので無理だった。自分と同じ顔をした奴――年齢は上だが――が、可愛い婚約者と同じ顔をした女の子――カラーリングは違ったが――を、手酷く扱っているのだ。キレない方がおかしい。

 おかげさまで龍治はすっかり『綾小路龍治』嫌いだ。記憶を見る度に「殴らせろ……」と呟いている。完全に不審者。


(いやだって、仕方なくないか? 『龍治』があまりにクソ過ぎる……)


『綾小路龍治』の態度もあり、彼女の心情を知って同情を寄せたプレイヤーも多かった。そのままで終わっていれば、『東堂院花蓮』は「偉そうだけど、健気で可哀想なお嬢様」とされ、「記憶に残るライバルキャラランキング」に入ることもなく、「ヤバい女」の代名詞扱いもされなかっただろう。

 だが、ゲームの彼女はそこで終われなかった。ヒロインへ向ける嫉妬が恐すぎたのだ。

『綾小路龍治』ルートに入る前から、「龍治様の視界にいる目障りな女」だと、あらゆる嫌がらせをヒロインへ行っていた『東堂院花蓮』である。奴のルートへ入ったらそれが激化するのは当然だった。

 自分が得る事のなかった婚約者の愛情を手にしたヒロインへの嫉妬は、凄まじいの一言で片付けられない。悲しみを紛らわせるためのイジメ行為、嫌悪から来る虐待、殺意へ発展した憎悪。スチルに起こされていたらR-18G確実な行いの数々に、プレイヤーは戦慄した。

 そもそも悪いのは『綾小路龍治』だと思っている龍治からしたら、そこまでの行動をするほど追い詰められた『東堂院花蓮』が可哀想すぎるのだが。嫌がらせ&イジメの内容が酷すぎて、多くのプレイヤーから本気で恐れられたのだ。「花蓮マジ勘弁」が合い言葉。龍治が思わず泣いてしまったシーン、ヒロインへの殺人未遂発覚からの『綾小路龍治』激怒、『東堂院花蓮』徹底否定事件は、ほとんどのプレイヤーに拍手喝采で受け入れられていた。それだけ彼女が怖かったとも云う。

 ちなみにゼンさんは、ヒロインと『東堂院花蓮』をくっつけて、キャッキャと喜んでいた。BLだけでなく百合も行けるとか雑食がすぎる。いや、己の前世が花蓮を嫌っていたらそれはそれで辛いので、百合方向でも愛着を持っていてくれて善かったと云うべきか。


(でもちょっと控えて欲しい。嬉々として、自作の花蓮×ヒロイン百合本の記憶を見せてくるのやめてくれ。好評だったのが嬉しいのは分かったから!)



 しかして龍治は、つくづくと思う。

 ゲームの『岡崎柾輝』が荒んだのも、『東堂院花蓮』が嫉妬に狂ったのも、絶対に『綾小路龍治』のせいだ、と。このゲスクソ野郎が二人に優しくしていたら、もっと誠意を持って関係を構築していたら、回避できた悲劇があまりにも多い。

 龍治が柾輝と花蓮の二人へ悪意を持って接する事が、あらゆるフラグの成立だと思えるくらいに『綾小路龍治』の性格が悪すぎるのだ。今の龍治が「うっわ……」とドン引きしてしまうほどに。ゲームキャラとは云え、これはないだろう、と。

 その性格最悪クソ野郎が、ヒロインと関わっていく事によってマトモになる、と云う王道ストーリーが、プレイヤーにはかなり受けたのも事実だが。今の龍治には関係のない事だ。嬉しくもない。このクソ野郎が、自分だけ幸せになりやがって、と云う憎悪しかない。


(どのルートでも『柾輝』と『花蓮』への謝罪がないってどう云う事だ! 二人もシナリオ中やらかしてるけど、『龍治おまえ』がやらかした罪が無かった事にはならねぇよ!)


 散々傷付けてきた幼馴染みと婚約者を切り捨てて、ポッと出女と結ばれてめでたしめでたしだなんて、ふざけている。何も嬉しくなかった。『綾小路龍治』だけ、EDが三つもある事実が憎しみに拍車をかけて来る。

 他の攻略キャラは、トゥルーとノーマルの二種類だけなのだ。『綾小路龍治』のみ、真トゥルーなどと云う三つ目のEDがある。それはヒロインと『綾小路龍治』だけではなく、多くのキャラが幸せになれる大団円エンドとも呼ばれるEDだが、結局、『岡崎柾輝』と『東堂院花蓮』は切り捨てられている。龍治からすれば、全然全くこれっぽっちも幸せなEDではない。胸くそエンドだ。ラストのスチルでヒロインと微笑み合っている『綾小路龍治』へ、憎しみが止まらない。

 制作者は“幼馴染み”と“婚約者”に何か怨みでもあるのか。概念そのものを嫌ってでもいるのか。そう問い詰めたくなる。

 二人のラストは、どれも納得が行かないのだ。

『岡崎柾輝』ルートのEDはいわゆる駆け落ちEDがトゥルーで、その先に不安しか見えない。ノーマルでも「自分と関わっていては、貴女が不幸になる」と『岡崎柾輝』が身を引いて、一生『綾小路龍治』に仕えるEDであるし。「これノーマルじゃなくてバッドだろ」とプレイヤーからも散々云われていた。龍治も同意する。

『東堂院花蓮』に至っては、どのルート、EDだろうと、悪女ざまぁからの没落、失踪、存在そのものがフェードアウトである。

 それらの記憶を見た龍治が、「制作者ぁ!」と叫んで悶え苦しんでも仕方ない事だろう。

 この醜態を柾輝にうっかり目撃されてしまい、医者を呼ばれた件については「余計な心配かけてごめんなさい」と云う気持ちでいっぱいだが。前世の記憶があるなどと云う変な主で、柾輝に申し訳ない限りだ。


(……でもゼンさんの記憶は、俺にとって必要なものだったんだ。きっと)


 龍治を楽しませ、時に苦しめる前世の記憶。

 そこにあった乙女ゲーム『世界の全ては君のモノ』の記録。

 同じ名前と顔の登場キャラたち。

 不穏すぎるシナリオ。

 納得がいかないラスト。


(悔しい。ムカつく。腹が立つ。俺と同じ境遇、名前、顔のくせに、『綾小路龍治おまえ』は何をしてるんだ。どうしてヒロインの事しか考えないんだ。なんで柾輝と花蓮を大切にしてくれなかったんだ!)


 龍治は『せかきみ』の記録を見る度、歯噛みする。悔しさとやるせなさ、苛立ちと悲しみで、心がぐっちゃぐちゃになるのだ。

 この世界がゲームの世界だとは思えない。思いたくない。けれど、何もしないままでいたら、まずいのではないか。違っていればいい。けれど、もし、ゲームと同じ事が起こったら? そのせいで、自分が苦しむだけならいい。しかし、そうではない。龍治の周囲全てを巻き込んで、ヒロインなる存在に人生をメチャクチャにされるかも知れないのだ。我慢ならない。ぜったいに厭だ。ヒロインと出会った自分が、ゲームのような行動をするなんて、受け入れられない。冗談では無い。許してはならない。

 例え前世の記憶があろうと、ゲームと一致する物事があろうと、今生きているのは自分だ。勝手に変えられてたまるものか。

 柾輝と花蓮を切り捨てる龍治も、ヒロインの事しか考えない龍治も、性格最悪クソゲス野郎な龍治も、いらない。


(俺はゲームのようにはならない。――ヒロインなんて、必要ない!)




 これは、どうしてか前世の記憶を持ってしまった、恵まれすぎた御曹司・綾小路龍治の物語。

 いるかどうかも分からない、まだ見ぬヒロインと。

 成るかどうかも分からない、大嫌いな『綾小路龍治じぶん』へ反抗する、とある少年の奮闘記である。


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