序章2 攻略キャラクター・岡崎柾輝


 龍治には同い年の幼馴染みがいる。

 名前は岡崎柾輝おかざきまさき

 乙女ゲーム『世界の全ては君のモノ』においても、龍治の幼馴染みであり、専属の従者、いや、“下僕”であった。



 綾小路龍治は、大財閥の御曹司。本家生まれの男児であり、その優秀さから将来綾小路家を継ぐ事が確定していた。

 みんながそう云ってるから、ではない。財産相続関係の書類でそうなっている。

 十歳の時点で生前分与された利権もかなり多い。税理士やら司法書士やら弁護士やらに囲まれて、龍治が現時点で持っている利権――株、土地、建物を見せて貰ったが、何もしなくても入ってくる金銭の額がヤバかった。ゼンさんのお陰で――せいで?――得てしまった庶民感覚が心の中で絶叫するくらい。子供に与えて善いものではない。そして龍治の脳みそはもっとヤバかった。これを元手にもっと増やせるな、とか考えてしまったので。

 常に億単位の金が動かせる小学生って、普通に考えなくてもおかしい。しかし周りはそう思って居ないので、自分が間違っているのかと感じてしまう。いや間違ってない。子供に許していい額ではない。間違いなく碌でなしに育ってしまう。

 ゲームの『綾小路龍治』の性格がヤバかったのは、これのせいもあるのでは、と悟った。そりゃぁ周りの大人が頭を下げるのは当たり前、財産目当てに媚び売られるのもいつもの事、そいつらの思惑を読めてしまえる脳みそと大体の事は出来てしまえる才能、さらにロシア人の祖母譲りの色彩と母親似の美貌を持っていれば、世の中舐め腐ったクソ野郎が熟成されるだろうなぁ、と。

 ゲームではそのどぎついクソ野郎が、ヒロインとの交際を経て真っ当になって行く過程が人気だった訳だが。

 とりあえず今の龍治は、ゼンさんに感謝しかない。自分がクソ野郎に成長するフラグがへし折れた訳だから。


(最初はどうかと思ったが、庶民感覚与えてくれてありがとう、ゼンさん……)


 余計な知識――主に腐れ界隈の事――も与えてくれやがったが、総合的に見ればゼンさんの記憶は、やはり龍治にとってプラスだった。

 あらゆる意味で恵まれた、厭味の塊のようなガキである。せめて良心くらい持っていなくては、まともに生きていけないだろう。まぁ性格が多少良くなったとしても、自分が普通の大人なら、こんな子供ドン引きするが。

 幸いな事に、周りの大人も普通ではないので、排斥されるような事はない。子供達も同じく金持ちの家生まれだったり、しっかり躾が行き届いている子が多いので、イジメられたりもしていない。大財閥綾小路家の嫡子をイジメるような子供、大人の方が許さないだろうが。

 ただ、友達は出来にくい。作りにくい。友達作りに優先される事柄は、龍治個人の事ではなく、家の事情が来るからだ。


 ――そう、友達。友達の話だ。


 ありがちな話だが。名家や旧家の家柄の子は、「お友達」を親が選ぶ事も多い。同じ派閥の家から選んで来たり、能力を買って将来の側近候補として側に置いたり。

 龍治の幼馴染みである岡崎柾輝も、父親が選んで来た「お友達」だった。


 前世の記憶が解放され、脳がパーンっと破裂――概念的な意味で――した龍治はその直後数日間寝込んだ。高熱を出し、呻き、時には泣いていたとか。

 寝込んでいる間、龍治はしきりに「置いてかないで」「一人にしないで」「帰ってきて」と訴えていたらしい。

 その時のハッキリした記憶はないが、恐らく、ゼンさんの記憶の中でもくらい部分を垣間見かいまみていたのだろう。両親が亡くなった時、夫に先立たれた時、弟が事故に遭った時――この事故で弟を亡くしはしなかったが、ゼンさんはかなり強い恐怖を覚えていた――などなど、基本幸福な人生を歩んでいる彼女だが、悲しく辛い経験も当然していたのだ。具合が悪い時は悪夢を見やすいと云う。高熱で苦しむ龍治が、苦痛の記憶を見たとしてもおかしくはない。

 龍治としては前世の記憶。悲しく辛く苦しくはあるが、前の人生での話。自分が経験した事ではない。「ゼンさんも辛かったんだな……」と物思いに耽るくらいの話である。

 ただ、その寝言を両親が思いのほか深刻に受け止めてしまったのだ。「高熱を出して寝込ませるほど、息子を寂しがらせていたなんて!」――と。


 そうして、「お友達」として連れてこられたのが、岡崎柾輝だった。


 その時龍治は、心底柾輝に対して申し訳なかった。そして腹の底から震え上がった。

 熱を出した際の寝言のせいで、自分と同い年の少年を親元から引き離すはめになるなんて、と。

 龍治は改めて思い知ったのだ。

 自分の言動の凄まじい影響力と、両親の度し難い親馬鹿加減について。ゼンさんからもたらされた庶民感覚が悲鳴を上げて縮こまる、そんな出来事だった。



 *** ***



 柾輝と初めて会った時、龍治は病み上がりでまだベッドの住人であった。ふかふかのクッションの山へ背中を預け、当時のお世話役だったばあやお手製の雑炊を食べていた時である。

 くったくたに煮込んだ白菜を口に含むと同時にドアがノックされた。応対に出たばあやが困った顔で戻って来て、龍治は首を傾げたのだ。いつも穏やかに微笑んでいるばあやが珍しい、と。何やら戸惑っているばあやから、父が見知らぬ少年を連れて来たと告げられ、また首を傾げた。

 龍治から云わせれば、「病み上がりになんで? 親父、誰連れてきた?」と疑問しかなかった。この頃はまだ前世の記憶が戻りたてで、『せかきみ』の記憶へ至る前だったため、全く検討が付かなかったのである。

 食事中だったので断っても善かったのだが、前世の記憶の哀しい部分を見て、家族に置き去られる恐怖を味わった後だった龍治は、父達を招き入れた。少しでも肉親に側へ居て欲しいと云う甘えだ。雑炊は後で温め直せばいいや、と思ったのである。

 そうして部屋に入って来たのは、いつも通り何考えてるか分からないハンサム面の父親と、可愛い顔をした同い年の少年だった。


 少し癖のついた栗色の髪。それと同色の丸い目から、温かな眼差しをこちらへ注いでいる。年齢相応の柔らかそうな頬は血色の良いバラ色。幼いけれど軟弱さを感じさせない体躯。

 挨拶をする声は澄んだアルトで、浮かべる笑みは優しさと慈しみに溢れていた。


 龍治が真っ先に思った事は――「なにこの格差社会」だった。

 前世の記憶を手に入れてからと云うもの、自分についてかなり客観視が出来るようになっていた。その龍治から云わせれば、自分の美貌は他者へ緊張感を与える高圧的なもので、あまり好意的に思えない。それに引き換え柾輝と来たら、安心感と慈しみに溢れた陽属性の美少年である。誰が見たって柾輝の方が親しみやすく素敵だと思うだろう、と。

 母似である事に不満や嫌悪は当然持っていないが、人は自分にないモノを羨んでしまう生き物だ。突然現れた自分と真逆の存在に、龍治はつい目付きが強くなってしまった。

 それを見た父親の反応が、これである。


「龍治と同い年の子供の中で、彼が一番優秀だったんだ。君の友達として申し分ない能力を持っているのだが……気に入らないなら、別の子を連れてこよう。待っていなさい」


 そう云って柾輝の手を引き、さくっと部屋から出て行こうとしたので、龍治はかなり慌てた。具体的に云うと、気が動転してベッドから落っこちた。突然ベッドから転げ落ちた龍治を見て、ばあや達の方が焦っていた。

 能力値で自分の息子の友達決めるな、せめて性格も考慮しろ、と云う文句は当然あったが、龍治は何よりも柾輝の未来を不安視したのだ。

 このまま柾輝を帰したら、彼は「綾小路龍治に気に入られなかった子」と云うレッテルを貼られ、この界隈でかなりの苦労をさせられると察してしまった。

 綾小路家の影響力たるや、恐ろしいどころか“悍ましい”の域にまで達している。龍治が気に入らなかったと云うだけで、あらゆる群れグループからハブられるだろうし、親にまで詰られる可能性も高かった。

 庶民精神を抱えてしまった龍治は、それに耐えられない。自分がちょっと黙っていただけなのに他人の人生を変えてしまっただなんて、心が死ぬ。


「いやあの、違います! ちょっと驚いただけで、その子が厭な訳じゃ……! いや、その子がいいです! 彼と友達になります! お願いだから連れて行かないで!」


 前世の記憶思い出したてで情緒不安定だった事も手伝って、龍治は涙目になりながら叫んでしまった。勢い余って思い切り咳き込みもした。

 そんな醜態を見せる龍治に対して柾輝は引くでも驚でもなく、慌てて駆け寄って来て、ばあやと一緒に背中を撫でてくれた。

「大丈夫ですか?」と問いかけて来る声は優しく、表情は心底からの心配を浮かべていて、龍治は色々な意味で驚いた。

 どう考えても五歳児の反応じゃ無い、と。龍治も年齢に不相応な振る舞いをしている自覚はあるが、柾輝のそれは自分以上では? と感じたのだ。

 とにもかくにも。柾輝の手を握って父へ「連れて行くな」と威嚇したお陰か、彼はそのまま「龍治のお友達」として綾小路家へ滞在する運びとなった。

 いやおかしい。「お友達」なのだから帰宅しても善いはずだ。しかし柾輝はそれ以来、ずっと綾小路家本宅に住み込んだまま、一度も家へ帰れていない。何があっても龍治の側へ侍っている。

 断って家へ帰してもアウトだが、五歳の身空で親元から引き離し、ずっと他人の側へ居させるのも最悪のアウトではないのか。

 龍治の寝言のせいなのか、父親への威嚇が効き過ぎた結果なのか分からないが、柾輝に対する申し訳なさが留まる所を知らなかった。

 しかし、である。


「俺のせいでごめん……。あ、今度の休み、家に帰っても……」

「僕の主は龍治様ですから、大丈夫です。問題ありません」

「えぇ……?」


 何度か柾輝へ里帰りを打診したのだが、毎度返ってくる答えがこれだった。

 どう考えても親へ甘えたい盛りの五歳児が云う台詞ではない。岡崎家の教育ヤバい、怖い。それとも綾小路の圧力か? 大人びたと云っても、庶民知識と感覚を持つ龍治は震え上がった。上流階級怖すぎる、と。



 そうして柾輝の生活環境に怯える龍治をさらなる恐怖へ叩き込んだのが、『世界の全ては君のモノ』の記憶であった。

 前述の通り、柾輝はゲームの中でも龍治の幼馴染み兼世話役――の上、下僕だった。


 流れは大体同じで、五歳の時に引き合わされ、それ以来ずっと一緒に居る、と云うものだった。ただ、関係性がかなり違う。

 今、現実の龍治と柾輝の関係は、かなり良好な部類だ。柾輝が親元から引き離されたままと云う事を除けば、龍治は柾輝の事を誰よりも信頼し、気を配り、大事にしている。柾輝も率先して龍治の側へ居て、これでもかと世話を焼いてくれていた。友達と呼ぶには少々ズレてはいるが、互いを大切に想っている事は感じ取れるので、善い関係だと断言したい。龍治の思い込みでなければ。

 しかしゲームの『綾小路龍治』と『岡崎柾輝』の間に友情は無い。まったく無い。乾燥しきった最悪の関係性だった。

『綾小路龍治』は『岡崎柾輝』を便利な道具と見なし、いいように扱い、あからさまに見下していた。イジメなんて生ぬるい。もはや虐待だった。「俺がいなくちゃお前なんて、何の価値もないんだからな」発言とかヤバすぎる。人の尊厳を踏みにじり過ぎだ。

『岡崎柾輝』はそうした態度の『綾小路龍治』に対し、不満と憎悪を抱えながら、奴から不興を買えば親族にまで類が及ぶと、過酷な環境に涙を飲んで耐えていた。

 その記憶を見た時、龍治はまたチベットスナギツネ顔になった。何だこの爛れに爛れたどうしようもない関係は、と。お前ら高校生の時分で、そんなグズグズな人間関係築いてどうするんだ。どんな教育を受けたら、お前らみたいなクソ最悪な関係になれるの、と遠くを見てしまう。


 龍治は愕然としたこの二人の関係。しかし腐ったお嬢さんお姉さん達からは大人気だった。乙女ゲームだと云うのに、BL的薄い本が大量に作られたと云うから、龍治はとても嬉しくない。むしろハシビロコウの顔になる。

 自分の前世がそれに大喜びだった記憶があるから、さらに砂を噛み締めた。苦虫も百単位で噛み砕いて食べた気持ちがする。ゼンさんが「龍柾最高! 柾龍もぷめぇ!」「爛れた関係の主従とかゴチです!」「これほどメリバが似合うカプがあるか……? いや、ない! 反語!」とか大喜びしてる記憶が辛い。薄い本を喜んでかき集めるだけでなく、自費出版どうじんかつどうまでされていて、龍治はひたすら砂を噛んだ。

 いや、ゼンさんはまさか龍治に生まれ変わるなんて思っていなかったのだから、責めるのも違うような気がしないでもないが。それでも辛い。薄い本の記憶が辛い。それがあるから、今の生活が辛い。


 何が辛いって、現在の生活が本当に柾輝とべったりなものだからだ。

 関係性は良好ではある。凄く仲良くしてる自覚はある。龍治を苦しめるのは別方面の事、つまり柾輝がゲーム同様、職務に対して非常に真面目だと云う点だ。もちろんそれは悪い事ではない。むしろ褒めてしかるべき部分だ。

 ただ、生活の全てを面倒みようとして来るのが困る。「もっと手間をかけさせて欲しい」と云われると目を逸らしてしまう。

 龍治は自力で顔も洗えるし、歯も磨けるし、髪だって梳かせる。風呂の面倒も自分で見られるし、着替えも間に合っている。

 それら全て人様にやってもらうのは、正直なところ羞恥プレイの域だ。庶民感覚が「やめてよして許して!」と云ってくる。同人誌の記憶が追い打ちをかけてくる。けれど柾輝の将来的な仕事は、そう云った生活面での龍治の面倒を見る事なのだ。

「お友達」として連れてこられた柾輝だが、ただ龍治と遊んでいればいいと云う事では無い。未来の世話役、龍治の一番身近な部下として、今から教育を受けているのだ。

 もちろん、連れてこられた五歳の時から行っている訳ではない。幼児に幼児の面倒を見させるとか、今の世の中では虐待に分類される。小学校低学年までは、お互い別に面倒を見てくれる人が居た。

 だが小学校高学年になってくると、「そろそろ練習始めようか?」となって来る。

 将来を視野に入れ、龍治の生活面を全面的にサポート出来るよう、柾輝は訓練を受けなくてはならなかった。

 こればかりは、龍治でもどうしようもない。

 自分で出来る、恥ずかしいから人にやらせたくない、などと思って柾輝の世話を断れば、叱責されるのは柾輝の方なのだ。龍治が自力で出来るから問題ない、ではなく、柾輝が役に立たないと云う評価をされてしまう。柾輝の仕事が龍治の世話役である以上、仕方の無い事だった。龍治一人が喚いても、現実は変わらない。むしろ両親から、「お前は綾小路家次期当主なのだから、人を使う事を覚えなさい」と叱られるだけだろう。


 資産家は金銭を正しく使う必要がある。豊かであると云う事は、金がある事ではない。人、物、金が正常に動いている事を云うのだ。大金を持ったまま使わないのは、財宝を抱えたまま洞窟に一人でこもるようなもの。動かない金は腐っていくだけだ。

 だから過剰な人員を雇って働かせる必要も出て来る。自分で出来る事を他人にやらせる事が当然のステータスと云うのも、金持ちの見栄と云うだけではない。使わない金に価値はないのだ。

 将来の為に貯蓄の必要がある一般家庭感覚を持てしまった龍治は、最初こそ戸惑った。しかし学べばさもありなん、となる。龍治の持つ頭脳は大変賢いのだ。

 だから柾輝の扱いも理解している。恥ずかしいから、自分で出来るから、と彼を“使わない”事は、逆に良くない事なのだと。最悪、柾輝が龍治のお世話役から外され、引き離されてしまう。それは厭だった。

 だから百歩譲って、洗顔と歯磨き以外の身支度はして貰っている。入浴の際は洗髪と背中だけで許して貰っている。これが龍治に出来る最大限の譲歩だった。

 それでも柾輝たち従者から云わせれば、龍治はまったく手の掛からない主、らしい。他の坊ちゃんお嬢様たちはどうなってるのか。考えると怖いので、龍治は思考を放棄した。



 柾輝との関係はこのまま良好状態でやって行けるだろう。龍治が何か大変なトラウマを負って精神を拗らせ、柾輝を冷遇しない限りは。フラグとか云わないで欲しい。

 柾輝があの優しい笑顔の裏で、龍治に憎悪を向けているとは考えたくない。親元から引き離されたのが龍治のせいなので、あり得ないとも云い切れないのが辛い所だが。それでも龍治は柾輝を信じる事にした。

 前世の記憶のせいで、その後もちょくちょく寝付いていた龍治の頭を撫でて、「大丈夫です、僕はここにいますよ」と云った柾輝の笑顔を。子供の出来る範囲で甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた、彼の献身を。龍治は絶対に信じると、もう決めているのだ。


 だから、もしかしたらいるかも知れないヒロインには、渡さないと決めていた。大事な柾輝は生涯龍治の側へ置く。右腕として重用し続ける。誰にも渡してなるものかと、少々笑えない独占願望が出てきたが、それは置いといて。

 無論、柾輝を幸せにしてくれる女性との婚姻は認める。世界は広いのだから、どこかには絶対いるはずだ。柾輝を最高に幸せにしてくれる、彼だけの姫君が。まだ今は見当たらないが、いつかは出会えるはず。

 もし出会えなかったとしても、独身のままずっと龍治の側に居ればいいと思う。それを考えると、脳の奥底でゼンさんが奇声を上げているような気がするのだが、まぁそれも横へ置いといて。



 綾小路龍治は、岡崎柾輝の幸福を願っている。

 万が一でも、ゲームの通りにさせてなるものか、と。

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