メイン攻略キャラだけど、ヒロインなんていりません!
雲麻(くもま)
序章1 メイン攻略キャラクター・綾小路龍治
名門かつ資産家である綾小路家の嫡男として生まれ、誰もが見惚れる美貌と誰もが羨望する多種多様な才能を持って生まれた、人々の理想が集まって形になったような少年だ。
祖母譲りの銀の髪が揺れれば周囲からため息が漏れ、これまた祖母の血を表わした青い瞳を向けられれば誰でも顔を紅潮させ、歩く姿をぼぅと眺めて見送ってしまう。彼の通った後はみな、魂を抜かれたように棒立ちになるのだ。――そんな、嘘のような本当の話。
苦労などした事がないのだろう。いや、苦労を苦労と思わないのだろう。彼はその美貌で誰かれ構わず魅了し、その輝く才能であらゆる苦難を物ともしないのだ、と皆が信じて疑わない。
そう。当の本人だけが知っている。いつも嘆いている。人知れず悩んで苦しんで、どうにもならぬと諦めた。
ああ、どうして――自分には”前世の記憶”などが存在しているのだ、と。
*** ***
龍治がソレ――前世の記憶を得たのは五歳の時である。突然頭の中に大量の記憶が溢れ、高熱を出して意識を失ったのが始まりだ。
前世の人生、約九十年分の記憶が突然脳に叩き込まれた。いや、正確に云えば、脳の奥底へ沈んでいた記憶と云う名の大量のデータが、ある日突然何の前触れも準備も無しに全解放されてしまったのだ。まだまだ発達途中の五歳児の脳に、それはただの毒だった。毒は一瞬で脳を汚染し、容量を超えて破裂してしまった。
それでも龍治が無事だったのは、彼が類い希な頭脳を持っていたからに他ならない。
多量な情報に生命の危機を覚えた脳は、そのデータを即座に圧縮した。また奥底へ、無意識の中へ放り込む事こそ出来なかったが、意識の隅っこへしまい込む事には成功したのだ。
感覚的な話だが。龍治は「前世の記憶」と云う名の大きな図書室を、頭の中へ設置したのである。普段は扉を閉めておき中身が勝手に出てこないようにして、必要な時だけ覗き込み
そうして
とは云っても、一度は汚染され、情報量で破裂した脳だ。元に戻ったとは云い難い。五歳以前の記憶が虫食いだらけになってしまったし、性格にも変調を来した。両親以外からは「随分聞き分けが良くなった」とか「素直なよい子になって……」と云われる。
以前の性格がどんなものだったか、お察しと云うやつだ。
龍治は輪廻転生の概念や前世にまつわる物語を知っていたが、まさか自分がその当事者になるなどと夢にも思っていなかった。その手の空想で遊んだ事もない、冷めたお子様であったのだ。虫食いの記憶からでも、可愛げのないクソガキだった事が読み取れる。
これで前世が魔王と戦った勇者だとか、世界を救う特別な存在だったとかなら、少々早い中二病だと自らを定義したかも知れない。
けれど、約九十年分――正確に云えば、九十一年分の記憶。人一人の人生、まるごと一つ。
それは、龍治とは似ても似つかない、平凡な、――いや、少々、だいぶ趣味は腐ってるが、それでも普通の範囲に入る人生を生ききった、女性の物だった。
極一般的な両親の間に生まれ、愛情を持って育てられ、年の離れた弟とはたまに揉めつつ仲は良く、学校では気の合う友人たちと楽しく過ごし、仕事は苦労とストレスを感じつつそれでもやり甲斐を覚え、運命の出会いを果たして恋に落ち、順調に交際を続けて結婚、子供は三人と恵まれて、孫どころか玄孫の顔まで見た。
悲しい事に、優しい両親を早く亡くし、夫には先立たれてしまったが、弟と子供達との仲は良好で、死の床にあっては家族や友人知人に囲まれてわんわん泣かれていた。クソ生意気だった男孫に手を握られて「ばーちゃん死なないで」と泣きつかれ、それを微笑んで見つめながら「ああ、いい人生だった。みんな、ありがとうね」と笑って逝った。
幼い龍治が考え得る限りでも、かなり良い人生だったのではなかろうか。無くしたものもあったが、得た物も沢山あった、素敵な人生だ。多分、多くの人が望む理想の死に方をしたとも思う。
記憶を拾いあげ、じっくり読んで、龍治は考えた。
(……なんで俺は、前世なんてものを思い出したのだろう)
前世の記憶である。誰でも彼でも持っている訳では無い。輪廻転生の宗教観で云えば、誰もが何かの生まれ変わりではあるが、記憶まで継承しているケースは
しかも龍治の場合、特別な存在の生まれ変わりではなく、腐った趣味をお持ちの女性――つまり、貴腐人の記憶である。うっかり彼女の密かな趣味領域の記憶を覗き込み、精神的ブラクラを喰らって心に重傷を負った事もあったが、まぁそれは封じたい記憶なので置いといて。
前世の記憶を思い出す、と云う事象は、「何か理由があっての事」とされる場合が多いように思う。
では何故龍治は思い出してしまったのか。普通に考えれば、理由はない。大財閥・綾小路家の跡取り息子。容姿と頭脳だけでなく、環境にも随分と恵まれている。少なくとも以前の龍治は、現状を「つまらない」とは思っていても、「変えたい」とまでは思っていなかった。
それなのに何故、自分は唐突に前世の記憶を得てしまったのか。それが分からないから、不安になる。ある日突然、記憶だけで無く前世の人格までもが溢れ出し、“綾小路龍治”と云う存在を完全に塗り替え、乗っ取ってしまうのではないかと恐怖も覚えていた。
現状、前世の記憶は大人しくしまい込まれているけれど、突然暴れ出さないとも限らない。龍治は自分の脳に爆弾を抱えてしまったような気持ちでいた。
前世の人――何故か名前が分からないので、仮称「
そのうち龍治は、ゼンさんが、正確に云えば“彼女の記憶”が話しかけて来ているような錯覚を覚えた。頭の中に直接声が、と云うよりは、「ゼンさんならこう云うと思う」とか、「ゼンさんがこうしろと云っている気がする」とか、そう云うレベルなのだが。それでもちょっと、いや、かなり怖い現象ではあった。
前世の記憶が、現在を生きる龍治を意のままに操ろうとしているのではないかと、そう思ってしまったからだ。
それでも龍治が恐怖に狂わなかったのは、やはりゼンさんの記憶が全体的に見て優しいものであった事と、彼女の意に反してもペナルティを受けなかったからだろう。
あくまで、“気がするだけ”なのだと、龍治は自分を納得させた。なにせ前世とは云え、他人の人生九十一年分まるごと持っている状態なのだ。疑似人格みたいなものが生まれても、まぁあり得る話だろうと、そう思う事にしたのだ。
そう定義してしまえば、ゼンさんの記憶は龍治にとって非常に有意義なものだった。
(ゼンさんは、多趣味で雑学が好きだったからなぁ)
貴腐人としての腐った記憶が悪目立ちしているが、彼女はそれだけに人生を捧げてはいなかった。
料理好きで整理整頓も好き、小説や漫画だけでなく図鑑を読むのも大好き。一般常識から鼻高になれる知識まで、貪欲に吸収するタイプの好奇心旺盛な人だった。
弟や夫を連れて映画館や美術館などにも行っているし、子供たちの情操教育の為に、動物園やら植物園やらにもよく行っていて、出来る限り泊まりがけの旅行にも連れて行っている。出先で見た景色は、龍治からして美しいと思わせるものが多かった。アニメやゲームの影響で、俳句や短歌にも手を出しているし、絵も同人活動をしていたからか中々上手い。人間関係も明るくて、個性的な友人が多かった。それらの記憶を覗き見るのは、龍治にとってはかなり楽しい事だった。
勿論それらは前世の記憶であって、龍治の得た経験値ではない。それでも、人の人生一生分。特大スケールのドキュメンタリー映画を見ているような気分にもなれた。就寝前にゼンさんが読んだ本の内容を改めて読むのが、龍治の楽しみの一つになるくらいだった。
こうなってくると、前世の記憶もただの娯楽コンテンツだ。今日は何を見よう、次はどれにしよう、なんせ記憶は九十一年分、一生楽しめる容量である。
――それが、ただの娯楽でなくなったのは、龍治が小学校に上がってからの事だった。
小学校に上がる前に、龍治には婚約者が出来た。
龍治が普通のお子様であったらまず出来ない存在であり、感性が幼児のままであったら照れや見栄から冷たい態度を取ってしまったかも知れない。しかし前世の記憶を得て、妙に大人びてしまった龍治にとって、同じ年の婚約者はとにかく可愛い存在であった。
一生懸命に自分を慕ってくれる愛らしい婚約者の為に、何かしてあげたい。でも同じ年の女の子が望む事なんて分からない。そんな龍治はやはり、ゼンさんの記憶を頼ったのだ。
そうしてそこから、女の子は恋愛が好きだとか、自分に優しい素敵な男の子が好きだとか云う、役に立つのか立たないのか微妙な情報を得、その延長線上で――乙女ゲームなるものの存在を知った。
女性向け恋愛ゲーム、または乙女ゲーム、ちょっと略して乙女ゲー。ヒロインと素敵な攻略対象キャラの恋愛模様を、自己投影したり、見守ったりして楽しむ、女性の為のゲームであった。つまり、小学生男子の龍治からすれば、無縁なジャンルのゲームである。
でも女の子は恋の話が好きだし、こう云うゲームには女性の理想が表れているものだと理解し、龍治はちょっとその記憶を覗いてみる事にした。
ゼンさんの記憶の中には幾つもの乙女ゲーがあった。現代、ファンタジー、SF、学園、聖女、巫女、タイムスリップ、異世界などなど。乙女ゲーと一口に云っても、ジャンルは多岐に渡った。まぁその全てでヒロインとヒーローの恋愛模様より、攻略キャラ同士を組み合わせて腐った方向へ爆走しているあたりがゼンさんらしいな、と笑ってしまったのだが。
すぐに、笑えない記憶が出て来た。
『世界の全ては君のモノ』と云うタイトルの乙女ゲー攻略キャラの中に――“綾小路龍治の名前があった”のだ。
その時龍治は、心底驚いた。ヒュッと喉が奇妙な音を立てた。それから、いや偶然だと自分を誤魔化して、目を逸らすのも怖くなって『綾小路龍治』の姿を見た。
――“龍治だった”。
現実とゲームの違いはあれど。誰がどう見ても、綾小路龍治そのものだった。高校生まで成長した龍治を、ゲーム用イラストにデフォルメしたらこんな姿になるだろう。誰が見てもそう云うに違いない、『綾小路龍治』と云うキャラクターがそこに居た。
それでも龍治は、気のせいだ、偶然だとその時は思い込もうとした。すぐに無理だと気付いた。見たくない、見てはいけないと思っても、見ないままで居るのも怖いと覗き込んだゲームの記憶の中に――婚約者と幼馴染みを見つけてしまったからだ。
パニックになりかけた龍治を宥めたのは、“ゼンさんだった”。ゼンさんの記憶が、「落ち着いて。怖がらなくていい。でも、ちゃんと見て」と云った気がしたのだ。
龍治がちんくしゃのお子様のままだったら、ここで投げ出していた。全部怖くなって記憶に蓋をして、二度と見なかった。そうならなかったのは――やはり龍治が、≪綾小路龍治≫としての矜持を持っていたからだろう。子供らしからぬ優秀な頭脳を持っていたが故に、龍治は逃げると云う選択肢を選べなかった。
深呼吸をして、脳裏に可愛い婚約者と大事な幼馴染みの姿を思い描き、龍治は勇気をかき集めて『世界の全ては君のモノ』の記憶を見た。
そして後悔し、散々悩んで、泣いて、こっそり吐いて、その記憶を受け入れた。
龍治と婚約者と幼馴染みが、ゲームのキャラクターとして描かれている。関係性は違っているが、共通する過去や類似点も多い。何より、姿が同じだった。髪や目の色は違えど、今後成長するだろう自分たちがゲームキャラとして描かれたらこうなると、龍治は確信した。
ただ龍治は、この世界がゲームの世界だとは思っていない。もしゲームの世界ならば、現在の龍治は不要な存在だ。ゲームが始まるのはヒロインの高校入学時。つまり高校時代さえあればいいのだ。そう考えれば、龍治が生きるこの世界はゲームの中の世界ではなく、ゲームによく似た世界だと思える。
現実逃避かも知れない。自分がゲームキャラだと思いたくないだけかも知れない。けれど龍治はそう思う事にしたのだ。自分がゲームのキャラクターに過ぎないなどと、気が狂わない限り受け入れられないとも云えた。
(これがただの乙女ゲーなら、ここまで悩まなかったんだけどな……)
ゼンさんがプレイした幾つもの乙女ゲーには、定番と呼べるものがある。
プレイヤーは物語を進める過程でヒロインを育成してステータスを伸ばし、攻略キャラとのイベントをこなし、彼らが気に入る選択肢を選び、最終的に結ばれると云う物だ。
このステータスは細かく決まっていたり、三つ四つくらいの簡単なものであったり、逆に一切無かったりと違いはある。キャラの攻略も、シナリオを進め選択肢を選ぶだけのものもあれば、ストーリーの合間にデートや贈り物をして好感度を稼ぐものもある。ファンタジーRPG要素を兼ね備えたよくばり仕様なものもあった。
だが、大まかな筋は同じだ。ヒロインを好みのキャラと相思相愛にする為に、物語を進めて行く。その過程に違いはあれど、それはどれも一緒だ。
けれど、『世界の全ては君のモノ』――略して『せかきみ』と呼ばれた乙女ゲームは少し違った。
まずヒロインは、最初から魅力ステータスのみ限界値状態。その代わり他は残念仕様なのだが、攻略キャラの男性諸君はまずこの魅力に一撃死(ひとめぼれ)する。その後、出会った攻略キャラ全員がヒロインに「自分を選べ」と猛烈にアピールをして来るのだ。
ヒロインは誰を選んでもいい。選んだ時点で相思相愛が確定する。ではその後はひたすらヒロインと攻略キャラのいちゃいちゃなのかと思いきや、そうではない。
選ばれなかった攻略キャラ達が、二人の仲を全身全霊で引き裂きに来るのだ。
このシステムを知った時、龍治はチベットスナギツネ顔になった自覚がある。このゲーム企画した人、死ぬほどお疲れだったか、性格ひん曲がってるのかどっちだ、と思ったくらいだ。
選ばれなかった攻略キャラ達が軒並み敵に回るので、ヒロインは恋人を魅了する為で無く、彼らを撃退する為にステータスを上げねばならない。そうしないと、嫉妬に狂った野郎共に恋人共々何をされるか分からない――と云うか、あらゆる意味で害される事が確定している。
正規エンドよりも、バッドエンド、デッドエンド、メリバが豊富なゲームとして有名だったのだ、『せかきみ』は。
大ヒット作で絶賛もされていたが、「スタッフがR-18Gギリギリを狙っている」「特殊性癖御用達ゲーム」「何層向けを想定したんだ」とも云われていた。それを知った時、龍治はハシビロコウみたいな顔になった自信がある。
(いやこれ、現実になったらどうしよう……)
あくまでゲームの記憶だが、龍治の周囲の人々や家庭事情、地域や施設の名前など、あらゆるものが一致している。婚約者や幼馴染み、家族との関係は違っているが、「偶然」で片付けるのは無理だった。
ゲームはゲーム、現実になるわけがないと思いたいが、万が一と云う事がある。特に龍治はただの攻略キャラクターではなく、“メイン攻略キャラ”なのだ。
パッケージではど真ん中、後ろ姿だけのヒロインの隣り。他の攻略キャラがヒロインの行動・ステータス次第では出て来ないのに、『綾小路龍治』とは最初に必ず出会う。攻略本やファンブック類でも表紙を飾り、とにかく公式から推しに推されていた。正規エンディングも他のキャラがトゥルー・ノーマルの二つなのに対し、龍治はもう一つ真トゥルーが存在している。そしてデッド、バッド、メリバもダントツで多かった。ヒロインと交際してても辛い目に遭うし、選ばれなかったら輪をかけて酷い目に遭う。
今の龍治にとって、ここまでいらん特別扱いがあるだろうか。
ゲームの通りにならないならそれでいいが、もしも、万が一、この世界がゲームの通りになったら、たった一人の
ざまぁ断罪の場合、その攻略キャラだけでなく、周囲もまとめて葬り去られる事も多いゲームなのだ。恐ろしすぎる。『せかきみ』スタッフ、何考えてこんな無情なシナリオ作った? と枕を殴ってしまったくらいだ。いや、彼ら彼女らにとっては売れる商品を考えただけであって、現在の龍治の人生をぐちゃぐちゃにしてやろう、などとは思って居なかった訳だが。それでも八つ当たりくらい許されるだろう。それくらい怖い展開が多数ある。
例えば龍治の場合、一族郎党不幸な結末になる断罪内容もあった。現実的ではないが――何せ大財閥の綾小路家だ。滅んだりしたら日本経済どころか世界経済が氷河期を迎えるレベルで狂う――栄枯盛衰、事実は小説よりも奇なり。あり得ないと断ずる事は出来ない。
幼馴染みも婚約者も、かなり酷い目に遭うシナリオが多かった。これが現実になるなど、龍治はとてもではないが許容出来ない。
何より自分の人生が、現在見ず知らずのヒロインに好きなようにされるなんて、我慢ならなかった。このあたり龍治もまた、『綾小路龍治』と同じくプライドが高い。
――自分の人生は自分で選ぶ。誰かに選ばれて変えられるなんてまっぴらだ。
そう考えた龍治の孤独な戦いが人知れず幕を開けた。
ただ、自分の人生を守りたい、周りの人を不幸にしたくない。そんな当たり前の感情から、彼は長い戦いへ身を投ずる事になったのだった。
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