215 ダミー

 田中へサインしかけた腕が、諦めの感情とともにダラリと落ちる。

 しのぶの気配が立ちのぼり、風景が沈んでいくのが先だった。


 キンと響く音に軽い頭痛を感じて目を閉じる。

 手にしていた空き缶が地面に落ちる音が鳴り、長い一呼吸の末に目を開くと、辺りが一変していた。

 直前まで居た場所と何ら変わりはないのに、自分たち以外の人間が誰も居ない。りつと戦った時もそうだったが、元の世界のまま人だけ消し去ってしまったのかと疑ってしまう程、精巧に風景を残している。


 シンとする無人の東京駅は不気味だ。耳に馴染んでいた雑踏が消えて、無音が耳に痛かった。

 京子は忍に掴まれたままの腕を振り払って息を呑む。


「空間隔離かくりの中……ですよね」

「そうだよ。全員殺したのかと思った? 流石に人だけなんて器用な事はできないよ」


 忍はずっと笑顔のままだ。これが狂喜に変わる瞬間を、京子は知っている。


「あんまり長くはないですよね?」

「俺と二人きりでずっと居たいって事?」

「そういう意味じゃありません」

「ハッキリ否定されると辛いんだけど?」


 彼のペースに飲まれそうになる。油断大敵だ、と京子自分に言い聞かせた。

 空間隔離を保てるのは一曲分程度だと律が前に言っていたが、個人差はあるのだと忍は続ける。


「まぁ15分くらいはいけるんじゃない? 中で戦闘すればそれだけ短くなると思うよ」

「そっか……ここに居るのは私たちだけなんですか?」

「二人で話がしたいんだろ? 邪魔者は置いてきたよ」

「忍さんの仲間も居たんですか?」


 気になる言い回しに首を傾げると、忍は「まぁね」と距離を詰める。

 静まり返った空間で、少しの動きが音を響かせた。

 空間隔離がどこまで続いているのかは分からないが、広すぎる視界の中が息苦しくてたまらない。


「もしかして、そっちの仲間の心配してる? 別に何かしろって言った訳じゃないけど、ヒデは見つけたらどうするだろうね」

「松本さんが居るんですか!?」


 ヒデ、といえばホルスのトップだと言われる『松本秀信ひでしな』の事だ。それは一番あって欲しくない事実かもしれない。ただ、忍の口ぶりはどうしても上下関係を逆に思わせる。

 何でだろうと眉をひそめる京子に、忍は陽気に声を立てて笑った。


「壁に耳ありって話したでしょ? 京子が駅に居るのを知らせてくれるのもアイツだよ」

「そんな……どうして?」


 前に外で会った時、松本は気配を垂れ流しにしていた。なのに今日は微塵も感じることが出来なかった。


「どうして、って。ヒデは特別だからさ」

「特別?」


 忍はニヤリと口角を上げる。


「京子の彼も同じだよね?」

「バーサーカーって事ですか?」

「そういう事。俺が京子と初めて会った時は、本当に偶然だったんだ。けど、その後はヒデの能力だ」


 東京駅を彷徨う松本がセンサーの役目を果たしていたらしい。

 綾斗の読みの鋭さが、バーサーカーという特殊能力に起因きいんしているなど考えたことが無かった。だとすれば、松本はずっと東京駅に潜んでいるのだろうか。


「松本さんは、ホルスのトップなんですよね?」

「そうだよ。見えない?」


 忍は彼を『ヒデ』と呼ぶ。解放前のアルガスメンバーでさえ、彼をそう呼ぶのは大舎卿だいしゃきょうと浩一郎くらいだ。


「そうは見えません」


 思ったことをはっきりと答えると、忍は「なら良かったよ」と安堵あんどさえ見せる。


「良かった……?」

「京子がそう認識してくれてたなら、情報操作としてはまずまずだと思ってさ」

「情報操作?」


 京子は疑問符を返した。


「外向きの顔なんて、ヒデが居れば十分なんだよ。トップだなんて肩書き、俺は欲しいなんて思わないからね」

「俺、って……」

「ホルスを仕切ってるのは俺なんだ。京子だって薄々気付いてたんじゃない?」


 分かる。

 そう言われると、今までの事の半分以上を納得することが出来た。












  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る