214 非常ボタンの受信機

「田中さん!」


 急に途切れた通話に声を上げると、席に戻っていた美弦みつるが「ひゃあ」と肩を震わせた。


「あぁ、ごめん」

「いえ。何かあったんですか……?」


 驚いた彼女に謝ってツーと鳴るスマホを暗転させると、今度は机上にあった小さな機械がけたたましいアラーム音を響かせる。

 彰人あきひとが田中に持たせているという、非常ボタンの受信機だ。久志ひさしが作ったものらしいが、『使った事はないですよ』と笑いながら田中に渡された。


「これは……」


 通話の最後に、田中が松本の名前を口にしていた。


「居るのか?」

「居る? 誰がですか?」


 ドンドンと扉が叩かれて、綾斗は慌てて受信機のスイッチをオフにした。『どうしました?』と聞こえてくる声は、音に反応した施設員のものだ。


「何でもないよ、ごめん」


 綾斗が扉に向かって答えると、男は『分かりました』と去っていく。

 綾斗は改めて美弦に説明した。


「詳しくは分からないけど、電話の様子だと向こうで何かが起きたんだろうね。さっき田中さんが、松本さんの名前を呼んでた。もしかしたら、そこに居るのかもしれない」

「松本? 田中さんてのは、さっき言ってたスパイの事ですよね」


 今日の事を、美弦や修司に話してはある。ただ、あまり騒ぎ立てたくない事情から二人には通常業務をするように指示を出した。

 けれどこれは異常事態なのかもしれない。


 忍は佳祐けいすけ躊躇ちゅうちょなく殺した男だが、京子には少なからず好意さえ抱いているように見えた。

 今回の京子の提案を危険だと感じつつも、殺意をき出しになどしてこないだろうと思った考えは甘かったのだろうか。


 空間隔離かくりに入る事も、そこまで危険視はしていない。むしろ時間制限のある隔離壁の内側ならどこかへ移動されるよりも対話の場としては悪くないだろう。

 もちろん、二人のどちらかが戦闘を仕掛けなければという前提条件はあるが、京子には念を押したつもりだ。


「まさか……」


 最悪の事態を予感しつつ、田中の事も気になる。もし京子たちの消えた隔離壁かくりへきの外で松本と接触していたら、ただでは済まないかもしれない。


 綾斗は「美弦」と席を立った。

 彼女も状況を察して、詳細を求めるよりも先に「大丈夫です」と胸を叩く。


「ここは任せて下さい」

「うん、頼むよ」


 残っていた仕事を美弦に任せて、外へ急いだ。ヘリを使えば速いだろうが、生憎あいにくコージは別の場所へ行っている。

 仕方ないと割り切って、綾斗は自分の車で東京駅を目指した。










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