212 発動の合図

 がらの入った派手な青色のシャツに、茶髪から覗く金色のピアス。

 香水の香りをほんのりと漂わせて、忍は忍のままの姿でそこに現れた。


「俺の女に手ぇ出さないでくれる?」

「はぁ? 突然来て彼氏ヅラすんじゃねぇよ」


 ナンパ男は苛立って声を強めるが、忍が「邪魔だ」と彼の腕を背中へひねり上げる。

 「ガハッ」と男は痛みを吐き出し、喉の奥からか細い悲鳴を上げた。


「やめて」


 京子は咄嗟とっさにナンパ男を庇う。


「何でだよ。コイツ京子に手ぇ出そうとしたのに?」


 「いいの?」と笑う冷たい目に佳祐けいすけが倒れたシーンがフィードバックしてきて、京子は小さく手を震わせた。

 彼への拒否反応は、京子自身が一番驚いている。


「お願い、放してあげて」

「分かったよ」


 突き放すような解放に、ナンパ男は前のめりにたたらを踏んだ。安堵あんどと困惑のままに振り向いた顔は、逆に京子の身を案じているように見える。


「アンタ……」

「去れよ」

 

 しかし忍の声にそこへ留まる事は出来ず、男はがれるようにその場を去った。


「忍さん……」

「もう大丈夫だよ」


 途端に見せたやさしい笑顔に、京子は息を呑む。

 半ば諦めていた気持ちに不意を突く再会を、嬉しいとは思えなかった。

 しかもナンパ男から助けられるという、貸しを作る最悪のパターンだ。


「緊張してる? 気配漏れすぎ。隙ありすぎ。そんなんでキーダーとして戦えるの?」

「今日は……休みなんです」

「そんな事言って、俺の事探しに来たんじゃないの?」

「違います!」


 嘘をつくのは苦手だ。ついムキになって空き缶を両手で握り締めると、忍は「あれ」と目を細めた。


「そのコーヒー、俺も好きだよ。京子も?」

「…………」


 忍に貰ったことがきっかけで、このコーヒーを飲むようになった。

 すぐに返事できない京子に、忍は以前のままの調子で話を続ける。


「あのナンパ男、30分前くらいから京子の事見てたよ。ずっと狙ってたんじゃない?」

「30分って……忍さんもそれ見てたって事ですか?」

「まぁね。どうなるのかなって興味あったから。彼じゃなくても目に留まるくらい隙だらけだったし」

「私……気付かなかった」


 気配はえて抑えてはいなかったが、警戒はしていたつもりだ。ノーマルのナンパ男はともかく、忍の気配にも気付くことが出来なかった。


「思い詰める事ないよ。しょうがないって、俺が見つからないように頑張ってたし、ターゲットを京子に絞れば効果は上がるでしょ。けど本当に俺に会いに来た?」

「……違います」


 京子は同じ返事を繰り返す。少なくても、そんな好意的な事じゃない。


「じゃあ他に誰か来るの待ってる? さっきの男じゃないけど、これだけ待たされてるとすっぽかされたって事じゃない?」

「──忍さんは、どうして私がここに居るって分かったんですか? 偶然じゃないですよね?」

「敵の俺にそれを聞く? 大胆だな」


 忍はホルスの人間で、今は元能力者トールだという。けれど、ホルスが所有する『能力を戻す薬』を飲んでいるのだろう。

 彼に関する事は未確定な情報が多い。だからこそ、借りを作ってでも聞かなければならない。

 じっと睨む京子に、忍は「あはは」と軽快に笑った。


「壁に耳あり、障子に目ありって言うでしょ? そういう事だよ」


 忍の他にホルスの人間が潜んでいるかもしれない──そう考えると、ここへ一人で来て正解だった。能力者が多ければ多い程、戦闘が起きる可能性は上がってしまう気がする。


「そんな気難きむずかしい顔してないでさ、もっと楽にすればいいよ。俺だって無差別に殺人をしようなんて鬼畜きちくじゃないんだから」

「…………」

「またまたぁ、嘘ついてるだろって目で見るなよ。京子だって誰か他に仲間が来てるよね?」

「えっ」


 確信を持った言葉に動揺してしまう。

 田中の事まで気付かれていたのだろうか──ハッと振り返ったが風景に変化はない。ホッと顔を戻すと、忍の人差し指が京子のひたいを真っすぐに突いた。


「顔に出過ぎ。それって、いるって事だろ?」

「────」


 図られた──そう自覚した瞬間、意識が乱れる。

 構えをとる寸前で、忍の手が京子の腕を掴んだ。

 突き上がるように広がった忍の気配は、空間隔離くうかんかくり発動の合図だ。


「薬……飲んでますよね?」

「ちょっとだけね」


 忍は笑った。

 京子は右手を上げる。そうしたら本部へ連絡して欲しいという、田中と決めたサインだ。

 けれどそれが田中へ届いたか分からないまま、京子は別空間へと引きずり込まれた。





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