197 焦る気持ち

 『マサさん』こと佐藤雅敏まさとし久志ひさしたち同期4人組の1人で、アルガスに入ったばかりの京子や朱羽あげはのトレーナー兼教育係としてずっと本部に居た男だ。

 原因不明で失われていた力が、今目の前でキーダーの制服を着る彼から立ち上っている事に気付いた途端、京子は涙の衝動を止めることが出来なかった。


「嘘……」


 どうしてこんな事になっているのか状況が把握できず、京子は嗚咽おえつしてしまいそうな口元を手で押さえる。


「嘘じゃねぇよ。佳祐けいすけが俺の力を塞いでたらしい。ひでぇ事するよな、アイツが死んで突然こうなったんだ。いまだにマジかよって気分だぜ」


 能力で消された記憶は、掛けた本人が解くか死亡するかで戻って来る。


 ──『マサの野郎にも謝っといてくれ』


 佳祐が死の間際で言った言葉を理解して、京子は声を震わせた。


「佳祐さん、最後にマサさんに謝っておいてって言ってたの。この事だったんだ」

「前に京子が記憶を戻した時に具合悪くなったって聞いたけど、俺も相当だったぜ。倒れたまましばらく起き上がれなかったからな」

「けど本当に、戻って良かったよ」

「あぁ」


 寂しさを滲ませるマサの口調に怒りは感じなかった。

 京子は抑えきれない涙に瞼をぎゅっと閉じる。


 マサがキーダーの力を突然失ったのは、京子が15歳でアルガスに入るよりも前の事だ。

 力の復活を切望してその後も彼が施設員としてアルガスに残ったのは、同期組の三人が彼を支えたからだと思っている。佳祐に喪失の原因があったのは予想外だが、仲間としての顔も全てが偽りではない筈だ。


「長官に挨拶した後、ホールに行って綾斗あやとと手合わせして来たぜ」

「そうなんだ。だからこんなに気配が強く感じるんだね。どうだった?」

「アイツはバーサーカーなんだよな。化け物みてぇだった。俺もキーダーに戻れたからって浮かれてる場合じゃねぇな」

「うん、敵にもバーサーカーは居るからね」


 ホルスには元キーダーでバーサーカーの松本が居る。銀環ぎんかんさえ付けていない彼と一対一になってしまったら、戦う事などできるのだろうか。


「なぁ京子、頭さわってもいいか?」

「いきなりセクハラ?」

「そうじゃねぇよ」


 彼はなだめる時や褒める時に頭を撫でて来る事が多かったが、そんな伺いをされた記憶はない。昔はセナと『セクハラだ』と騒いでいたが、触れられてホッとするような気がしていたのは嘘じゃない。


 「いいよ」と答えた瞬間、彼の大きな掌が頭の上にポンと乗った。


「何か感じるか?」

「感じる……? 温かいよ? マサさんにこうされるの嫌いじゃない……けど」

「そっか」


 マサは短く唸って手を離す。


「どうしたの? 何かあるの?」

「それがな、久志の話だとこれは俺の特殊能力らしい。佳祐は記憶を操るだろ? それを俺が力で解くことが出来るらしいんだ」

「えっ、そうなの?」

「だから真っ先に消されたんだとよ」


 ホッとする気持ちが彼の力の断片に触れたからだなどと、気付くよしもなかった。


彰人あきひと親父おやじさんが消したお前の記憶も、俺がキーダーのままだったらもっと早く戻せたんだろうけどな」


 京子は自分の掌に顔を落とした。次々と明らかになるキーダーの特殊能力に、急に焦りを感じる。


「みんな凄いね。私にも何かないのかな」

「普通に戦えるだけで十分だろ?」

「──そうだけど」


 自分だけ取り残された気分だ。羨ましいと嫉妬してしまう。


「マサさん、今日はこのまま居るの?」

「いや、もう帰るよ。来月セナが出産だし、何もない時は側に居ろって颯太そうたさんから釘刺されてんだよ」

「颯太さん、産婦人科の先生だったんだもんね」

「あぁ。それに久志の骨折もまだ完治までは掛かるらしいから」

「そうなんだ、早く良くなると良いね」

「だな。だから俺はあっちで訓練して、戦いになったら戻って来るよ」


 戦いを望むわけじゃないけれど、彼がキーダーとして戦えることは京子も嬉しくてたまらなかった。


「私も今度手合わせさせて」


 「おぅ」と手を上げるマサが部屋を出て行くのを見送って、京子は3階へ向かう。

 ホールの扉を開けた途端、外で感じた以上の強い気配が広がった。

 

「綾斗」


 「凄いな」と呟いて、京子は中央で寝転ぶ彼に駆け寄った。


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