195 彼もトールだよ

 「そうだな」とうつむいた彰人あきひとの答えを待って、京子はじっとその顔を見つめていた。

 少し長いが集中力を途切れさせて、彼のまつ毛の長さに溜息を零しそうになってしまう。


「お待たせしました」


 そんな沈黙を破ったのは、注文のアイスコーヒーを運んできたマスターの声だ。映画俳優ばりの低音ボイスにハッと顔を見合わせる。


「ごめん、彰人くん。急に変なこと聞いちゃったかな?」

「そんな事ないよ。ただ、そこから来るとは思わなくてさ」

「言えない事なら話さなくて良いからね? 私と彰人くんとじゃ立場が違うし、朱羽あげはにも同じ事言ってるから」

「確かに僕よりも彼女の方が詳しいだろうね」


 彰人は頭をリセットさせるようにアイスコーヒーを飲んだ。ミルクをした京子とは違い、ブラックのままだ。


「色々聞かれるだろうと思って答えを用意してきたつもりだったけど、僕もまだまだだね」

「だって、あの時どうだったのか気になったんだもん」

「まぁそこは返事をにごしちゃった僕が悪いんだけどね」


 ──『やよいさんを殺したのは忍さんなの?』


 それを尋ねると、彰人は「区切りがついたら」とだけ返事して、それ以上の事は教えてくれなかった。


「僕はあの時ホルスの捜査をしていて、佳祐けいすけさんが犯人だって言う確証には至ってなかった。7割の可能性と、3割の矛盾がせめぎ合ってたって所かな。彼の動向を把握しきれていなくて、京子ちゃんが向こうに居るって聞いた時は本当に驚いたよ」

「うん──」

「電話の後本部に行ったら、長官も同じ解釈だった。だから最後の判断が久志ひさしさんにゆだねられたんだ」

「佳祐さんのGPSが書き換えられてたことに気付いたんだよね? 久志さんじゃなきゃ見抜けなかったと思う」

「そうだね。アルガスの技術部は本当に凄いと思うよ。佳祐さんの事はちゃんと話せなくてごめんね」


 あそこで曖昧あいまいな答えを出されても混乱しただけだ。

 動揺が佳祐に伝われば、海へ行く前に警戒されてしまったかもしれない。もっと悪い結末さえ想像できて、京子は「気にしないで」と首を振った。


「それで、ホルスの彼の話はいいの? 僕はてっきりそっちが聞きたいのかなと思ってたんだけど」


 グラスを両手で握り締める京子に、彰人が忍の話を持ち掛けた。

 京子は「うーん」と小さく首をひねる。


「あの人とは本当に少し会っただけなんだよ。いずれ耳に入る事なんだろうし、戦う為に必要じゃない情報なら、今は彰人くんが知っててくれればそれで良いよ」


 警戒すべき相手だと自覚できればそれでいい。

 下手に色々知ってしまうと、情が湧いてしまいそうな気がした。


「私は彰人くんと戦った時、やっぱり100%の力は出せていなかったと思う。だから、今回はそういうのは避けたいの」

「けどもし聞く機会が来るなら、覚悟はしておいた方が良いと思う。彼がアルガスを批判するまでに至った経緯はかなり深そうだからね」


 「ね」と目を細める彰人に、京子は「分かった」とうなずく。


「じゃあ、一つだけ覚えておいて。彼もトールだよ」

「……そうなの? バスクだと思ってた」


 意外な事実に驚いて、京子はパチパチと目をまたたく。

 『力を縛った元能力者』がトールの定義だ。けれど九州で会った時、忍は力を使っていた。


「松本さんとは様子が違って見えたけど、彼も同じ薬を飲んでるって事?」

「恐らくね。松本さんが具合悪そうだったって京子ちゃんの報告書読んだけど、服用期間の差だと思う。松本さんは慢性的な症状なんだろうね」

「薬漬けって事だよね」


 その表現は、覚せい剤に例えて考えると分かりやすかった。

 松本は見るからに辛そうだったが、薬に身体をむしばまれてしまっているのだろうか。


「ホルスはトールにもノーマルにもその薬を使おうとしているんだろうけど、アルガスにとっての問題は、向こうが今どれだけそれを所持しているかだ。高橋が亡くなって、そこから製造されているのかも分からないしね」

「今も作られてたら──怖い話だよね」


 大量に生産されるものだとは思えないが、もしそうだとすれば幾らでも敵が増えてしまう。一般人がその薬で能力を持てば、もうそれはノーマルではなくバスクと捉えなければならない。


「無傷で倒す事なんてできないよ。死人だって出ると思う。戦わなくていい人を巻き込まないで欲しいのに」

「そうだね。けど、僕たちは戦わなきゃならない。キーダーを選んだんなら、キーダーとして仕事をしなきゃ」


 小さく呟いた彰人の言葉に、胸が傷む。

 いつものコーヒーがやたら苦く感じられた。




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