194 待ち合わせ

 今日は真夏日になると聞いてからずっとエアコンの効いた室内に居たせいで、昼過ぎのカンカン照りの太陽が想像以上にダメージを与えて来る。


 待ち合わせ時間ギリギリで、アルガスの裏通りに面した喫茶『恋歌れんか』の正面に滑り込んだ。全力疾走からの静止に、全身から汗が噴き出す。


「最悪だ」


 ぐっしょりと濡れた制服のシャツを見下ろし、京子はがっくりと肩を落とした。

 着替えに戻りたい気分だが、もう彼は店の中だろう。仕方ないと諦めて扉に手を掛けた所で、視界の端に思いもよらぬ人影が入り込んだ。

 ドアベルが音を立てる寸前で、京子は彼を振り向く。


彰人あきひとくん!!」


 待ち合わせの相手──遠山彰人だ。彼のまさかの遅刻に、京子は「えっ」と目を丸くする。

 彰人は白いシャツとパンツというラフな私服姿で、「どうしたの?」と特に慌てる様子もなくやってきた。


「思ったより道が混んでたから。ごめんね。さっきメールしたんだけど、その様子じゃ見てなかった?」「見てない……」


 ポケットの中の震えなど全く気付かなかった。

 確認すると『5分遅れます』というメッセージがちょうど5分前に入っている。炎天下を疾走していた時だ。


「凄い汗だけど、もしかして走って来た? とりあえず涼しい所で話そう?」

「うん」


 京子は額の汗を小さなタオルで押さえながら、エスコートされるまま店内に入る。

 そういえば彼とは何度も連絡を取り合っているが、直接会うのは同窓会以来だった。ふと東京駅での事を思い出して、ぎゅっと唇を噛みしめる。


 昼過ぎの店内にはチラホラと客の姿があった。京子はエアコンで冷えた空気を浴びながら右奥のテーブル席へ移動する。

 「いらっしゃいませ」と現れたマスターにアイスコーヒーを頼んで、運ばれて来た氷水を一気飲みした。ようやく引いてきた汗に、「ふぅ」と緊張が解ける。


「いい飲みっぷり。僕のも飲む?」

「そんなに飲んだらお腹ガブガブになっちゃうよ」

「確かに。それにしても京子ちゃん、気配消すの上手くなったね。今もほとんど分からないよ? 前とは段違い」


 「ほんと?」と喜んで、京子はパチリと両手を鳴らした。


「彰人くんが浩一郎さんの所にって頼んでくれたんだよね? 地下に行ってから、結構感覚戻って来たよ。ありがとね」

「お礼なんていいよ。悪いのは父なんだから」


 そして再び東京駅のシーンが京子の頭に広がる。

 あの日、陰から挑発してきたしのぶの気配に京子は気付くことが出来なかった。その鈍感さを心配した彼が大舎卿だいしゃきょうに相談してくれて、京子は颯太そうたと地下牢にいる浩一郎の所へ向かったのだ。


 彰人は「良かった」と目を細めるように笑う。浩一郎と良く似た笑顔だ。


「ところで、ここに来る事は綾斗あやとくんに言ったの?」

「うん。彰人くんに会うって言ったら、「仕事でしょ?」って」

「まぁそうなんだけどね。本部の外でって僕がお願いしちゃったけど、彼には申し訳ないかな」

「そんな事ないよ。それに、ここは本部の一部みたいなものだから」


 店から本部の正門まで、数百メートル程だ。

 監察かんさつ員の彼は忙しく、この後も別の仕事が控えているらしい。だから『本部だと誰かに捕まる』という理由でこの場所を選んだ。


 ──『区切りがついたら僕の口から話させて』


 九州で二日目の朝、彰人に電話でそんなことを言われた。まだ京子が事情の半分も理解していなかった頃の会話だ。

 今日ここで会ったのは、面と向かって話をすると言われたからじゃない。ただ、『近くに行くから少し話さない?』そんな誘い文句にそのニュアンスは含まれていた気がする。


 九州から戻って来て山のように報告書を書いたが、自分の行動履歴を一つずつ文字に起こしただけで、真相には全然辿り着けていない事が良く分かった。


「ねぇ彰人くん、聞いても良い? 九州で電話した時、彰人くんはやよいさんを殺したのが佳祐けいすけさんだって知ってたの?」


 監察の彼が今になってそれを話していいというなら、真っ先に聞きたい。

 けれど「そうだな……」と曖昧あいまいなトーンで返事した彼は、浅くうつむいたまましばらく黙り込んでしまった。




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