193 誰か来た?

朱羽あげは様!」


 思わず叫んでしまったのは、朱羽が持って来てくれた資料のせいだ。

 ホルスが銀次ぎんじに飲ませた薬は、本来トールを能力者へ戻すものだという。地下の資料庫でそのリストを拾わねばと思っていた矢先のサプライズだった。

 

「嬉しい。ありがとう!!」


 京子は受け取った資料を抱き締めて、彼女を食堂へと促す。

 修司しゅうじの姿はもうなくなっていて、廊下側の席を選んだ。カウンターでフリーのお茶を汲んで来ると、朱羽が「ありがとう」と微笑む。


「ジュースが良かったら買ってくるよ? なんなら私の部屋にレモンサワーもあるけど?」

「ちょっと。仕事中にそんなの飲んでるの?」

「仕事終わりに愚痴をこぼしたい時があるんだよ」

「あぁ、昔あったかも。屋上ミーティングでしょ? 私が居た頃はジュースだったけど」

「高校生だったしね。懐かしいな」


 確かに朱羽が居た頃もたまにそんな事があった。名前を付けられていたとは初耳だ。

 最初は朱羽と二人で。それからずっと一人が続いて、今は綾斗と二人になった。


 そんなテンション高めの二人に、通り掛かりの施設員が「朱羽さんだ」と声を掛けて来る。まるで芸能人に会ったかのような男子の反応に、朱羽は愛想良く笑顔を返した。


「人気者なんだから。まだ戻ってくる気ないの?」

「ない──わ」


 冗談で尋ねた質問の答えは、少しだけ迷っているようにも聞こえる。

 朱羽はテーブルに置いた資料をぺらりとめくって仕事の話を進めた。


「前に東京湾に上がった遺体があるでしょ? DNAの型を調べて貰ったけど、うちで処理したトールではなかったわ」

「だったらバスクか、ノーマルって事だよね」

「そうね」


 あれから色々あって曖昧あいまいになりそうな記憶を引き出していく。

 どざえもんが出た、と言われて銀次と海まで行った時の事だ。遺体から感じた能力者の気配に間違いはない。


 資料には顔写真付きの一覧があって、個々のデータが後ろに続いていた。彼女の性格を表すように、生年月日から学歴経歴に至るまで細かく書かれている。

 男女様々だが、京子にとっての初見は少ない。身近な人物も多く、颯太そうたや浩一郎、それに安藤りつも含まれていた。

 颯太の気にしていた加賀泰尚やすたかの名前はなく、既にホルスだと確定している松本は別枠にある。


「10人以上いるんだね」

「亡くなった人は省いてあるわ。監察かんさつも調べてるとは思うけど、そっちとは別よ?」

「あっ、この人覚えてる。爺が捕まえてきた人だ」


 それは綾斗がまだ本部に来る前の話だ。大舎卿だいしゃきょうが出張先から突然連れ帰って、初めて銀環ぎんかんの結び方を教えて貰った。

 薄れていた記憶が蘇って、京子は「うんうん」と何度も首を振る。


「もっと少ないと思ってた。トールなんて最近の事だもんね」

「最近とはいっても20年は過ぎてるんだから、それなりにあるわよ」


 エアコンの下で温かいお茶を啜りながら、京子が首を傾げる。

 能力を持ったキーダーの非能力者トールへの選択は、アルガス解放後に認められたことだ。それ以前は能力を持ったまま強制的にアルガスへ監禁されるだけで、選択肢などなかった。


「ねぇ朱羽、これはアルガスの資料としては表向きなものだよね?」


 キーダーに開示される情報と事実には差異がある。

 もしかしたらここに居ない人物もいるのかもしれないが、


「そうね。裏があるとも言わないけど」


 そんな彼女の返事をそのまま受け取っても良いのだろうか。


 それから少し話をして、京子は待ち合わせの時間に合わせて先に本部を出た。

 頭上で激しい音がして仰ぎ見ると、コージのヘリが屋上へ下りてくるところだった。

 長官は九州の時からずっと本部に居て、明日もこっちでの予定が入っていた筈だ。


「誰か来た?」


 機体から下りてくる人物が気になる所だが、のんびり眺めている暇はなかった。


「こんな時間!!」


 京子は門の前でヘリを一瞥いちべつし、恋歌れんかへと全力で走った。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る