192 明太子のお礼

 九州から戻って一週間が過ぎた。

 頭を整理しきれないまま報告書をまとめ、普段通りの鍛錬をこなす毎日を送っている。


『じゃあ、現地でまた。気を付けて来てね』

「うん」

 昼食後、京子は待ち合わせの確認をして電話を切った。


 昨日まで仕事に集中していた大学生組が学校へ行き、午前の訓練は久しぶりに修司しゅうじと二人きりだった。

 ようやく以前のリズムに戻って来たが、修司は食べ掛けのトレイを前に窓辺の席でぼんやりと空を眺めている。好物のハンバーグに手が付いていないのは重症だ。

 忙しさが抜けた途端、先の見えない不安に没頭する時間ができてしまったらしい。

 訓練中はそれなりに集中していたが、今は側に立つ京子の気配にも気付けない程だ。


 「修司」と呼び掛けると、彼の背中がビクリと震えた。


「京子さん!」

「午後ちょっと出かけて来るから、何かあったら連絡して」

「は、はい。分かりました」


 悲壮感ひそうかんにじませた笑顔に、何と言葉を掛けて良いか分からなかった。

 目の前で佳祐けいすけが殺された事や、ホルスとの戦闘への懸念は、京子にとっても大分重い。それでも彼の鬱々うつうつとした気分に引きずられまいと、自分の中で気合を入れた。


「落ち込むのはしょうがないけど、いつ何が起きるか分からないんだから。修司がベストな状態で居るのも大事な事だよ? 美弦みつるのこと守ってあげるんでしょ?」

「──そのつもりなんですけどね」

「そうやって弱気にならない! とにかくちゃんと食べて、夜はちゃんと寝る事! あとは美弦と仲良くするんだよ?」

「最後の要ります?」


 京子は修司の向かいに腰掛けて、苦笑する彼を覗き込んだ。


「そこが重要なの! 気持ちが不安定なのが一番良くないよ」

「分かりました」


 修司は京子の勢いにされつつ、ぺこりと頭を下げた。


「うん、じゃあ行ってくるね」


 京子は食堂を後にして、一度自室へ戻った。

 外出の準備を済ませて階段を下りようとしたところで、意外な人物に出くわす。


「京子」


 朱羽あげはだった。ちょうど外から来た所らしく、額に汗が滲んでいる。


「あれ珍しい。今日来る予定だったっけ?」

「予定は入れてないわよ。天気良いから、ちょっとお散歩でもしようと思って。暑すぎて失敗しちゃったけど」


 ここ暫く報告書を書いているお陰で、毎朝ちゃんとパソコンを開いてキーダーの予定表に目を通している。


「今日は真夏日だって天気予報で言ってたもんね」

「もうベタベタで嫌になっちゃう。けど、京子が居てくれて良かったわ。居なかったら誰かに頼もうと思ったんだけど──もしかして出る所だった?」

「うん。けど少しなら平気だよ。話してく?」


 京子は腕時計で時間を確認し、食堂横の休憩スペースを指差した。

 待ち合わせは裏通りにある喫茶店『恋歌れんか』で、時間まではまだ一時間ほどあった。先に入店してコッソリ甘いものでも食べようと計画していたが、朱羽がわざわざ本部に来ると言う機会に、ここでサヨナラするのは気が引けてしまう。


「じゃあ、そうさせて貰おうかしら」


 朱羽は持参したバッグをガサゴソと探り、茶色の大きい封筒を取り出した。


「貴女にと思って。この間の明太子美味しかったから、そのお礼よ」

「何の書類……?」


 受け取った封筒を覗き込んで、京子は「あっ」と目を見開く。

 それはほんの数枚の紙だったが、一番上に書かれたタイトルに思わず叫び声が飛び出た。


「朱羽様!!」


 朱羽はしてやったりという顔で「良かった」と胸を張る。


「トールになった能力者の名簿よ。役に立つんじゃないかと思って」


 地下の資料庫で調べなければと思いつつ、ずっと後回しになっていた事だ。

 京子は「ありがとう」と封筒ごとその紙を抱き締めた。



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