184 記憶の先に

 まだ陽の高い夕方の街を、海の方角へ向けて歩いていく。

 綾斗あやとと支部を出て暫く経った頃、彼はその行き先を告げた。


「俺が監禁されてた場所に行ってみようと思って」

「えっ……中学の時のって事? 思い出したの?」


 中学の修学旅行で福岡に来た綾斗は、突然見知らぬ男に誘拐されたという。

 まだアルガスに入っていない時期のキーダーを狙った犯行は、彼の抵抗で最悪の難を逃れたが、今回の件でそれがホルスの起こしたものだという事実が明るみになった。加えて、実行犯は元キーダーの松本秀信ひでしならしい。


「ちゃんと覚えてはいないけど、佳祐さんが亡くなった日の夜に、その時見た風景が何となく浮かんできたんだ。スマホの地図で色々あさってたら、それらしき場所があったから」

「凄い。本当にそこなら、ちょっと怖いけど見てみたいよね」

「正しい記憶かは怪しいんだけどね。辿り着いたところで何かに繋がる訳じゃないと思うし、答え合わせが出来たらいいなって」


 綾斗はスマホの地図を京子に向けて、「ここ」と海の近くを指差した。

 前に綾斗から誘拐事件の話を聞いて、京子は地下の資料庫でそのファイルを読んだ事があった。あまり中身のない大雑把な内容だったが、筆者が佳祐な事にその事情は集約されるのだろう。


「けど、このタイミングで思い出したって事は、佳祐さんに記憶を消されてたって事?」


 久志ひさしの報告によれば、佳祐は浩一郎のような記憶操作が出来たらしい。

 力で消した記憶は、掛けた本人が解くか死亡するかで戻るという。


「いや、それはないと思うよ。実際俺は監禁された部屋に入るまで気絶してたし。ただ、あの時俺を襲った相手が松本さんだって知って、頭の底に沈んでた記憶が触発しょくはつされたんじゃないかって」

「触発──か。体調はどう? 頭痛とかない?」


 浩一郎に記憶に戻された京子は当日に倒れて、しばらくその不調を引きずっていた。


「俺は平気。だから消されてたんじゃないって結論に至ったって所かな。まぁ具合悪くなって京子さんに看病してもらうのも魅力的だけど?」


 綾斗は興味深げに京子を覗き込んで、ニッコリと笑んだ。


「私は……看病するよ?」

「ありがと。そんな事があったら頼むよ。それでね、京子さんに聞きたいことがあって」

「何?」

「京子さん、この間松本さんに会ったんだよね。どんな感じの人だった?」

「あぁ、えっと」


 どざえもんが出たと言われた日の事だ。

 松本は薬の影響で鬱々うつうつとしていたが、颯太そうたの持ち出したファイルや誠の部屋にあった写真の彼は、自信あり気で挑発的な顔をしていた。


面長おもながで、タレ目って言うのかな。目の下にはホクロがあったよ。ちょっとハスキーで、修司よりも背が高いくらいだった気がする」

「面長でタレ目で、ホクロか」


 京子が自分の目の下を指差す。前に居酒屋で飲んだ時、スマホで撮った同じ写真を綾斗も一緒に見ているが、あれは少々不鮮明なものだった。

 綾斗は何か考えるように黙り込む。


 夕暮れ時の空にキンと音が鳴って、飛行機がゆっくりと海岸線へ遠ざかっていく。


「松本さんの事も覚えてるの?」

「分かるような、分からないような……暗い倉庫のような部屋で、海の匂いと飛行機の音が聞こえたんだ。小さい窓から見えた特徴のある建物が記憶に残ってて」


 綾斗は足を止めて、再びスマホを京子に向けた。

 航空写真の地図に写る真っ青なビルを指差して、


「埃っぽい匂いがしたとか、床が固くて身体が痛かった、とか。もう昔過ぎて、どれが記憶で空想なのか区別がつかなくなってきてるんだけど。これを見た事は現実だって確信できる」


 視界に同じ色を見つけて、京子はハッと頭上を仰ぐ。

 地図に写る青い建物が、今目の前にそびえていた。



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