183 遠くの二人は

佳祐けいすけさん……」


 窓辺の椅子に座って、遠くにのぞむ異国の街並みをぼんやりと眺める。

 あと15分もすれば次の会議に向けて移動の呼び出しが掛かる所だが、手にした資料は半分も読めずにいた。


 首にぶら提げたネクタイが吹き込んだ風にはためいて、桃也とうやは全開の窓を半分閉じる。


 三日前、彰人あきひとからの電話が第一報だった。

 佳祐に粛清しゅくせい命令が下り、実行役を京子が受けたという。なのに実際に止めを刺したのはホルスの男らしい。

 その男の事は前々から聞いていたが、京子と面識があると知って戸惑ってしまった。

 何故そんな事になっているのか、さっぱり分からない。


京子アイツは何やってんだよ」


 それでも佳祐が刺されたのを目の当たりにして、彼女は少なからずショックを受けただろう。


綾斗あやとくんもその場に居たらしいよ。修司しゅうじくんもね』


 けれど桃也が心配するよりも先に、意味深なトーンで彰人がそんな報告をして来た。

 京子は今、綾斗と付き合っているらしい。


「ザマぁ」


 自分へ吐いた悪態が、耳奥で響いた。

 こうなるのは分かっていた。このモヤモヤとした気持ちは、いつまで残るのだろうか。


「俺は仕事を選んだんだろ?」


 椅子の背に全身を押し付けて、英語で書かれた資料に目を通していく。

 京子と別れた時もそうだったが、ぼんやりと悲しみに打ちひしがれている暇などないのだ。


 ただその集中力を搔き乱すように、頭がずっと痛かった。

 こっちに居る間ずっと秘書的な仕事をしてくれているジェームスが頭痛薬を用意してくれたが、即効性があまりなく鞄の奥に入れたままになっている。


 全ての事情を飲み込めている訳ではないけれど、桃也は佳祐がホルスだという事を知っていた。かつての京子がそうだったように、記憶を消されたのだ。

 どうやら佳祐は浩一郎と同じく、記憶操作のできるキーダーだったらしい。


 ──『俺はホルスの人間だ。だからお前の敵なんだよ』


 去年の暮れに大阪へ行った時、本人から直接その事実を知らされた。

 余りにも突然で理解できないまま消された記憶は、佳祐の死とともに頭に蘇ったのだ。


 ──『だから、アルガスを頼むな』


 連絡をくれた彰人が、佳祐の生い立ちから死に至るまでの情報を細かく話してくれた。

 家族を殺されて何もできなかった思いは桃也自分と何ら変わりはない。


『佳祐さんは、銀環ぎんかんに縛られたせいで妹さんを助けられなかった事を悔いていたらしいよ。だからホルス側についてしまった──君はどう? アルガス長官になろうとしてる桃也は、銀環をして戦うキーダーという存在を肯定する? それとも否定する?』


 彰人に聞かれた。自分の気持ちに迷いはない。


『肯定するに決まってんだろ。バスクが居るから暴走が起きんだよ。それを取り締まるのが俺たちの仕事だ』

『僕も君もバスクだった身だけどね。それを聞いて安心した。僕も同じ意見だよ』


 佳祐の事は先輩として尊敬していたし、今も彼を責めようとは思わない。

 けれど彼の行動はアルガスの意に反している。

 長官になろうとしている自分は、宇波うなみを見習って毅然きぜんとしていなければと思うのに、ふと目を閉じた時に泣き出しそうになってしまう。


「まだまだだな、俺は」


 目頭を押さえて涙を堪えた。

 結局、たいして資料を読めないままジェームスが扉をノックしてくる。

 桃也は「ちっ」と舌打ちして、首元に垂れたネクタイを結びながら窓辺の椅子を立ち上がった。


 その頃、地球の真裏ではもう一人、佳祐の死によって十数年振りの呪縛からの解放を実感する男が居た。


「佳祐、ふざけんなよ」


 佐藤雅敏まさとし──トールと呼ばれた彼の力が復活したのだ。



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