181 波の音が聞こえる

 去っていくしのぶの背を呆然と見つめていた。

 ここからの戦闘もありるだろうと警戒するが、彼は呆気なく砂浜を出て行く。


 京子は脱力するように佳祐けいすけの横へ膝を折った。

 けれど、彼へ伸ばした手を綾斗あやとに阻まれる。


「無防備すぎです。佳祐さんは、やよいさんを殺した相手ですよ?」

「こんな状態で疑うの?」


 佳祐は仰向けに倒れたまま目を閉じている。まだかすかに気配はあるが、いつ消えてもおかしくないレベルだ。

 傷口からの出血が酷く、胸から溢れた血液が砂を黒く染めている。気温のせいか、血の匂いは強まるばかりだ。


「やよいさんだけじゃない、久志ひさしさんも佳祐さんと戦って重傷を負ってるんです」


 京子は佳祐に触れかけた手を、空のまま握り締める。

 佳祐がホルス側の人間だという事は分かったが、この状況から攻撃してくるとは考えたくない。


「久志さんもですか?」

「俺が行った時は動けなくなってたから。けど、命に別状はないと思う。救急車呼んだから、後は任せるしかないよ」


 後ろで黙っていた修司が、ハッと前へ出た。

 キーダーにとって長官の命令は絶対だ。佳祐に下った処分は妥当だと思う。


「佳祐さんが悪いのは分かるよ。けど……こんな状態でも敵でいなきゃならないの?」


 助けることが出来ないのなら、せめて最期を見送りたいと思う。忍が言うように自己満足に過ぎないのかもしれないが、ここで止めを刺すことは出来なかった。


「……こういう場面はこれからも出てくるかもしれない。こんな時だからこそ、警戒しなきゃならない時だってある事をちゃんと頭に入れておいて欲しいんです」

「ごめん」

「けど、今は構いませんよ」


 「俺が居るんで」そう加えて、綾斗は諦めたようにこくりと頷いた。

 「ありがとう」という京子の声に、佳祐のまぶたが震える。気配が揺れたのが分かって、三人は顔を見合わせた。


「うるせぇよ」


 佳祐は細く目を開いた。傷口の痛みに低い唸り声を上げる。

 意識が戻ったのは奇跡だと思えるほどに、怪我の状態は深刻だ。


「佳祐さん」


 佳祐は京子たちを向いているが、焦点は合っていないようだった。宙へ漂わせた視線が何度も瞬きして再び瞼を閉じる。

 呼吸を幾度か繰り返して、佳祐は少しずつ声を出した。


「まさか、あの爆発を起こしたのがヒデさんとはな。自分のオメデタさに反吐へどが出るぜ。アルガスを桃也とうやに託したのは、正解……だったな」


 彼の声は、少しだけ嬉しそうにも聞こえる。思ったよりも話す事が出来るが、確実に意識レベルは下がっている。


「綾斗」

「はい」

「お前に力の事黙ってろって言ったのは、ホルスに目ぇつけられるって思ったからだ。俺の……敵になっても困るだろ? けど、忍に、バレたからには気を付けろよ? その力で、みんなを……守ってやれ」

「……分かりました」


 綾斗が腰の横で拳を震わせている。

 目を閉じた佳祐は、かすれていく声を絞り出して言葉を繋いだ。


「福岡で、お前をさらったのはヒデさんだ。キーダーの中坊がいるって騒いでな」

「俺をさらったのは能力のない男ですよ?」


 記憶との差異に、綾斗は眉をひそめる。

 前に修学旅行で誘拐された時のことを話した彼は、相手がノーマルだと言っていた。


「あれはトールだ。今は薬で無理矢理……力を戻してるだけだから。使えない時はゼロに近い。ふり幅があんだよ」

「そうなんですか……」

「お前は北陸行きになった事が不満だったみてぇだけどよ、俺に言わせりゃ最良の道に進めたと思うぜ」

「…………」


 こんなに話をする佳祐を見たのは初めてかもしれない。

 大きく呼吸を繰り返す彼を相手に、誰も何もすることはできなかった。


「修司も、こんなトコ、連れて来て悪かったな」

「……いえ」

「後はもう済んだか……いや、マサの野郎にも謝っといてくれ」

「何を謝るんですか?」


 京子が尋ねると、佳祐はふんと鼻を鳴らす。


「何の、ことだろうな……」


 佳祐は口角を上げて、ヒクリと瞼を開く。


「波の音が聞こえる……」


 穏やかな顔をして、彼は最後の言葉を残した。


「俺は、間違いすぎてたんだろうな。妹とは死に際の別れなんてなかったのに……最後にお前らと話せて良かった」

「佳祐さん!」


 叫んだ声は、彼の耳には届かない。


 やがて音のない救急車が現れて、佳祐を回収していった。

 あまりにも無慈悲で、作業のような光景だった。





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