【番外編】26 言えなかった理由

 やよいが初めて煙草を吸ったのは、高三の冬だ。


『ガキがこんな事していいと思ってんの?』

『はぁ? おぇは真面目過ぎんだよ』


 人気ひとけのない海で白い煙を立ち昇らせる佳祐けいすけを見つけて、没収したのがきっかけだった。

 はいそうですかと聞くような相手でない事は分かっているが、黙って見過ごすような性格は生憎あいにく持ち合わせていない。

 一番言われたくない言葉を突き付けて来る佳祐に苛立って、やよいは奪い取った煙草を握り締めたままその場を後にした。


『真面目に生きて何が悪いんだよ』


 真面目に生きる方が楽だと思う事もある。何も考えずに言われたことをこなしていれば、周りが『偉い』と褒めてくれるからだ。


『知ってるんだから……』


 部屋で一人になって、本音を吐き出す。

 佳祐はアルガスとは別の組織とやらにくみしている。それを知ったのは偶然で、本人には話していない。

 その判断が正しかったのかどうかは、未だに分からないけれど──。


 胸が苦しくなって、やよいは一本だけ入っていた煙草をそっとくわえた。


 彼の匂いがする。

 それがハッキリ分かる自分が恥ずかしくなって、中にあった安っぽいライターで勢いのままに火をつけた。

 もちろん最初はむせたけれど、時々たまらなく吸いたくなって、どんどんと回数が増えて行った。


 佳祐が好きだった──けれど、最後に選んだのはキーダーとしての自分だ。


 雨の降り出しそうな空へ白い煙を吐き出す。

 彼と同じ煙草を吸っている事がバレたら、同期の二人は騒ぐだろう。だから支部の焼却炉がいつもの定位置だ。

 そして恐らくこれが吸い納めになると思う。


「悔いはないよ」


 そっと呟いて、待ち合わせの場所へ向かった。支部からそう離れていない荒れた草原だ。

 いつかこの日が来る事は分かっていた。


 踏み込んだ瞬間キンと細い耳鳴りがして、やよいは辺りに注意を払いながら正面で待ち構える佳祐を見据えた。


「久しぶりだね、佳祐」

「そうだな」


 相変わらずっ気ない返事だ。いつも通りの顔を提げて、これから何をするつもりか。


「愛の告白でもしようってのかい? 友達連れて来るなんて、中学生の女子みたいじゃないか」


 さっき境界線を踏んで、空間隔離の中へ入り込んだ。

 広範囲の空間隔離は特殊能力だ。

 佳祐がそれを使えた記憶はない。だから、恐らくどこかにもう一人潜んでいるのだろう。


 何のために──もちろん、殺す為だ。


「マサや久志ひさしに黙って来いとかメールしといて、私が誰にも話さないって信用してるワケ?」

「お前は黙って来るだろう?」

「…………」


 見透かした顔をする佳祐に言い返すことが出来なかった。


 昨日の朝、佳祐からメールが来た。

 今日の待ち合わせに加えて、誰にも言わないで欲しいという密会の誘いだ。それ以上の詳細はなく、聞きもせず『OK』とだけ返して今に至る。


「こっちにはね、家族が居るんだよ。当直だって嘘ついて、支部の空調も壊してきた。メールの履歴も消した。だから今私がここに居るなんて、誰も思いやしないだろうね」

「……お前は勘が良すぎんだよ。だから命取りになんだ」

「そんな理由で命取られたんじゃ、たまったもんじゃないよ。アンタはここまでどうやって来たんだい?」

「飛行機だ」

「おかしなことしようとしてる割には目立つことするんだね。まぁさしずめ銀環ぎんかんに仕掛けでもしたんだろうけど」


 銀環に仕組まれたGPSで行動履歴は残る。もしここで何かあったら、真っ先にそこを調べられる筈だ。


 「まぁな」と佳祐は唇と声だけで笑んだ。ずっとかち合ったままの視線は、別人かのように冷たい。


「そんなことして久志が泣くよ。けど、こんな日が来るんじゃないかとは思ってた」

「だろうな」


 佳祐は重い足を踏み出して、やよいとの距離を詰める。

 淡々と返事する彼の瞳が目の前に来て、揺れているように見えた。


「アンタがホルスの仲間だって知ってた。隠すのはきっと罪に当たるんだと思う──けど、言えなかった。好きだったから言えなかったんだ」


 それを言うつもりなんてなかったのに。溜め込んだ想いは、唐突に口を滑る。


「アンタは私を殺しに来たんだろ? いいよ、本気で相手してやろうじゃないか」


 誰にも話せなかった想いは、隔離壁の内側へ溶けて行った。




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