167 胸に沈めた過去

 日の出前にメールを打って、福岡の外れにある演習場で佳祐けいすけを待つ。

 すぐに帰って来た返事は、普段と変わらない『分かった』という短い一言だった。


 夜が明けたばかりの太陽を背に姿を現した佳祐は、夏の制服姿でこれと言った感情のない顔を貼り付けている。


「こんな時間に呼び出して悪かったね」


 久志ひさしがそう呼び掛けると、佳祐は数メートル手前でピタリと足を止めた。

 彼の気配は感じない。演習場とは言えあまり使われていないらしく、漂う気配もゼロに近かった。

 澄んだ風が通り過ぎて、この二ヶ月で伸びきった久志の髪がバラバラと乱れる。


「構わねぇけど手短に済ませろよ? 今京子たちがこっち来てて、迎えに行かなきゃならねぇんだ」

「聞いたよ。修司しゅうじをこっちで預かりたいって話でしょ? 本気なの?」

「冗談でこんな事するかよ。お前がグダグダして修司アイツの事向こうに呼ばねぇからだろ?」


 今ここに呼び出した不自然さなどまるで気にもしていない様子で、佳祐はいつも通りの返事を返してくる。

 だからきっと何もかも理解しているんだと思った。


「修司の事を後回しにしたのは悪かったって思ってる。けど九州こっちで訓練はさせられない。彼は北陸ウチで預かるよ」

「穏やかじゃねぇな。そんな話をしにわざわざこんなトコまで来たんじゃねぇんだろ? 観光ってツラでもねぇもんな?」

「そうだね。けど、これだって大事な事だ」


 佳祐はわずらわしそうに眉をひそめる。


「そんな顔しないでさ、ちょっと僕に付き合ってよ。聞きたい事があるんだ。佳祐はまだタバコ吸ってるの?」

「はぁ? いきなり何だよ。吸ってねぇよ。お前も知ってんだろ?」

「確認だよ。神様に誓うね?」

「神なんていねぇんだよ」


 吐き出すセリフは重かった。

 佳祐の本性はまだ透けてこないが、小さな謎は解けた。


「やっぱりそうだったんだ」


 この二ヶ月間引き籠って考えていたのは、佳祐がやよいを殺した証拠じゃない。佳祐を仲間だと言い切る為の確証だ。

 事件に繋がるだろう謎の中で、あの夜に嗅いだタバコの匂いだけがずっと引っ掛かっていた。


「僕は僕の為に佳祐に会いに来たんだ。いくら調べても、いくら考えても、やよいを殺した犯人が佳祐にしか辿り着かない。だから、僕が納得いくように自分じゃないって否定してくれる?」


 佳祐は久志を見据えたまま、閉じた唇に力を込める。


 通夜の時『佳祐じゃないのか』と言ったのは勢いだ。

 まさかという気持ちがずっと頭の隅にある。今こうしてあらかた答えが出た所でも、まだ諦めたくなかった。

 佳祐は同期で仲間だ。少なくとも10年前まではそれを疑う事はなかった。


「何か喋ってよ。こういう時黙るのって、犯人だって言ってるようなものだよね?」

「偉そうに。根拠は何だ? 何で俺が犯人だと思う?」


 挑発的に光った眼光を押し返すように、久志は佳祐を睨みつけた。

 きっぱりと否定はしないが、動揺している様子もない。


 久志は腹の前で握り締めていた拳を緩めた。開いたてのひらから、ずっと胸に留めていた想いが砂のように零れ落ちる気がした。

 もう自分一人の中に留めておくことはできない。


 話したくなかった。けれど、胸に沈めた過去を彼に話さなくてはならない時が来たんだと思う。





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