166 犯人だという確証はない

 京子が九州に居るなんて誤算だ。

 メンテナンスの直前に共有ファイルを開いた時も、彼女のスケジュールは空欄だった。


「彼女がルーズだから? それとも……」


 メンテナンスを狙ったか、それとも意図的にメンテナンスが行われたのか。

 色々と予感を巡らせながら、彰人あきひとは曇り空の下を東京駅からタクシーでアルガスへ向かった。流れるように護兵ごへいと挨拶し、茶封筒を手に大階段を駆け上がる。

 今日の休日当番の美弦みつるは、ホールで訓練中らしい。


 京子の無事を祈りながら、彰人は今日休みだという綾斗あやとへ電話を掛けた。けれど呼び出し音も鳴らないままコールセンターへ繋がってしまう。


「綾斗くん……?」


 嫌な予感がした。

 事態は思ったよりも複雑に進行してしまっているのかもしれない。

 京子の事は気になるが、まずはまことの所へ行く事を優先させた。


「失礼します」


 三階奥の扉を叩くと、アルガス長官・宇波うなみ誠が直々に顔を覗かせ「待ってたよ」と彰人を迎える。


「早朝の連絡、申し訳ありませんでした」

「気にしなくて良いよ。急ぎなら夜中だって構わないからね?」

「ありがとうございます」

「それより今日は朝から忙しいね。君よりも早い時間にもう一人僕に電話してきたコが居るんだ」


 誠へ連絡したのは、京子に電話する直前だった。あれは八時半を過ぎていた気がする。


「誰か聞いても宜しいですか?」

空閑くがくんだよ。今システムがメンテナンス中だろ? それに合わせて銀環ぎんかんのGPS機能を暫く止めたいって申請を出してきたんだ」

「久志さんが?」


 「あぁ」と笑んで、誠はソファにつく。

 メンテナンス中で行動履歴をパソコンで見ることが出来ないどころか、計測機能すら断つという彼の狙いは何だろうか。


「急いでるみたいだったよ。許可はしたから、もう止まってるんじゃないかな」

「そう……ですか」


 共有システムのメンテナンスは技術部が主体となって行われる。彰人の腕時計は銀環の機能を有しているが、GPSは含まれていない。


「彼には何か思う事があるんだろうね」

「修司くんの件は、佳祐さんの発案ですか?」


 今朝電話した時、今日誠に会えるかどうかは賭けに近かった。

 いつも九州に居る誠がここに居て、京子が向こうに居るなんて想像もできなかった事だ。

 そんな懸念が顔に出ていたらしい。


「浩一郎君似のハンサムが台無しだよ?」

「…………」

「僕が今日ここに居るのは偶然だ。けど、だからこそ彼女は向こうに居るのかもしれないね」

「仕組まれた結果ってことですか?」

「どうだろうね、ちょっと推理したくなるだろう?」


 誠の居ない九州で、何かが起きようとしているのか。

 困惑する彰人に誠は「それを」と茶封筒に手を伸ばした。


「九州行きの件は本決まりになるまで大事にはしたくなかった。だから監察には通さなかったんだよ。隠してたわけじゃないけど、混乱させてしまってすまないね」


 誠は受け取った資料を開きながら、首を傾げるように頭を下げた。


「けど、九州は──」

「君の言いたい事は分かるよ。如月きさらぎくんが亡くなって、一條いちじょうくんが犯人じゃないかって裏では秘かに言われて来たからね。ホルスと通じてるキーダーが居ると考えたら、彼は黒に近かった」

「僕も佳祐さんが犯人だと思っています」


 彼はどこからその情報を得たのだろうか。

 少なくとも相手は監察じゃない。佳祐と仲の良かった桃也とうややマサが監察に関わっている以上、情報を内部で共有することはできなかった。

 佳祐の過去や行動履歴を元に、あくまで個人で導いた答えだ。


 誠は無言で大きく頷き、「ただね」と言葉を濁す。 


「確証がない以上、彼はキーダーなんだよ。それに僕はアルガスの長官として、キーダーの意見を取り入れていく事は大事だと思ってる。だから今回の事を許可したんだ」


 誠は資料をテーブルへ放し、不安など感じさせないような笑顔を向けた。

 クリップで止められた資料の一番上には、京子へ送ったものと同じ男の写真が貼りつけられている。昨夜、工作員の田中から送られて来たものだ。


 今日ここに来たのは、彼の報告をしに来ただけのつもりだった。


 誠は写真の男を見据えて、「僕はね」と重い息を吐く。


分別ふんべつはきちんとつけるつもりだよ。決まり事なんて抑止力のつもりだったんだけどね……」

「…………」

「上に立つ人間ってのは嫌われ役になってこそだ。それでアルガスの均衡を保てるなら本望だよ」


 淡々と話す誠の声は、いつもの穏やかな音さえ含んでいた。


「それが今日……なんですか?」

「結果次第だけれど。間違いは絶対に許されない事だから、空閑くんの報告を待つよ。彼も今、九州に居るんだ」

「──久志さんが?」


 久志がGPSを切ったのは、それが理由だろうか。

 同期四人組の中心に居る彼の想いを考えると胸が傷んだ。


「皆が決断をしなきゃならない時だよ。君が持って来てくれたこの資料で、アルガスは一歩前に進むことが出来る。ありがとう」


 もう少し早く答えに辿り着くことが出来ていたら、今日の采配さいはいは変わっていただろうか。


「長官、もしかして綾斗くんも九州に居るんですか?」

「そうなの? 私は聞いていないよ?」

「勘……ですけど」


 久志が向こうに居るならもしかして、と考えてしまう。

 眉を顰める彰人を「ふふ」と笑って、誠は前のめりに両手を組んだ。


「もしそうなら間に合って欲しいね」

「そうですね」

「空閑くんと木崎きざきくん、あの二人は良いコンビだね。遠山とおやまくんと桃也くんみたいにね」

「僕は嫌われてますけどね」


 今綾斗は空の上だ。

 遠く離れた西の地で、久志と佳祐の決着はもうとっくについていた。








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