165 彼はホルスの人間だ

『おはよう、京子ちゃん』


 彰人あきひとからの電話に飛び起きて、京子はベッドの上でスマホを両手に握り締めた。

 予想外の相手に動揺する気持ちを抑えて、平静を装う。


「おはよう、彰人くん。どうしたの?」

『ちょっと急ぎの用事があってね。メールしたんだけど既読にならないから、電話した方が早いかなって』

「ごめん、気付かなかった訳じゃないんだけど……」

『いいよ。この時間は誰だって忙しいんだから』


 ただ寝転んでいただけなんて、言える訳がない。


「それで、何の用事だったの?」

『メールで送った写真を確認してもらいたいんだ。京子ちゃんの知ってる人かなと思って』

「写真?」


 一度スマホを耳から外し、言われるままにアプリを開く。彰人との通話は繋がったままだ。

 『連絡下さい』という文字の後に現れた顔写真に、京子は「えっ」と戸惑った。


 隠し撮りでもなく、ピンナップでもなく、何かの証明書にでも貼り付けるような正面から写された顔写真だ。若干若く真面目そうなスーツ姿の彼は、茶色の髪も、片耳だけ付けた金色のピアスも記憶のままだ。


 どうして彼の写真を彰人から見せられるのか──思い当たる理由を想像した事が無い訳じゃない。京子の沈黙に状況を悟った彰人が、先に『やっぱりね』と呟いた。


「京子ちゃんが東京駅で会ってた相手って、その人だよね?」

「……うん」


 二度会って、缶コーヒーをくれた男だ。最初会った時怪しいと感じたのは嘘じゃないし、本人に『ナンパだよ』と言われて納得もしていない。


しのぶさんがホルスなの?」


 気を付けろと言われて警戒はしていたけれど、それ以来会っていない。

 二度同じ場所で会った事は偶然が重なっただけだと思い込んでいたのに、現実は単純な答えを突き付けて来る。


『名前知ってたんだ。僕がそこに辿り着いたのは昨日の夜だけどね。最近も会ってるの?』

「ううん、全然。けど……そういう事なんだよね?」

『そう、彼はホルスの人間だ。けど僕もまだ全部を把握してる訳じゃないし、上にも話していないから、報告があるまで胸の中にしまっておいて』


 彰人はアルガスの監察員かんさついんだ。一般のキーダーに流せない情報など数えきれないくらい掴んでいるだろう。

 忍が敵側の人間だと知って、次々に聞きたいことが湧いて来る。きっと話してはくれないだろうと思いつつも、これだけは知りたいと思った。


「佳祐さんは私たちの仲間なんだよね? やよいさんを殺したのは忍さんなの?」


 忍が敵だと頭が理解しきれていない部分も多いが、彼がホルスだと聞いてホッとしている。

 やよいの亡くなった場所に残っていた空間隔離の跡が、忍の仕業なら良いのにと思った。彼がバスクで犯人なら、もう佳祐を疑わなくて良いからだ。


『京子ちゃん、佳祐さんを疑ってたの?』

「ちょっとだけ。けどそんな事ないだろうっていう気持ちもあって」

『佳祐さんはやさしいもんね。けどごめん、今はこれ以上は話せないよ。区切りが付いたら僕の口から話させて』

「……分かった。ごめんね、難しいって分かってるのに聞いちゃって」

『気にしないで。それと後で長官に会いにそっち行くけど、京子ちゃん今日は本部に居るの?』


 そういえば一昨日からアルガスのシステムがメンテナンスに入ると言われていた事を思い出す。彰人は京子が九州に居る事を知らないようだ。


「ううん、今修司と九州に来てるの」

『えっ、京子ちゃん福岡に居るの?』


 息を詰まらせるような返事が返って来る。

 何事かと思いながら、京子は今回の件を説明した。


「修司が北陸行きを延期したままでしょ? 九州に来ないかって佳祐さんが言ってくれて、その下見に来てるの。どうかした?」

『いや、それは知らなかったな』

「彰人くん、何か今隠したでしょ?」


 彰人は何事もなかったように話すが、京子は一瞬の動揺を見逃さなかった。

 黙っている事も出来ずに尋ねると、彼は観念したように『うん』と答える。


『隠してるよ。これが僕の仕事だからね。前にも言ったけど、これからホルスとの戦いが始まると思う。だから何かあっても無事でいてね』

「うん、分かってる。彰人くんもね」

『ありがと。じゃあ、また連絡するから』


 ホッと笑ったような声で言って、彰人は通話を切った。

 京子はベッドに座ったまま、呆然ぼうぜんと宙に視線を泳がせる。彰人の声が聞こえなくなった途端、急に忍との数少ない思い出が頭に蘇った。


「忍さん……」


 『偶然』だと言った彼も、やはりそうじゃなかった。3年前の彰人のように、京子がキーダーだからと狙って近付いてきたのだろうか。


「何か、寂しいな」


 やよいを殺めたのは彼なのだろうか。

 憂鬱な気分のまま窓の外へ目をやると、京子の心とは真逆の青一色の空が広がってた。






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