155 美弦のキモチ3

 二葉ふたばに言われた『しおらしく』という言葉を呪文のように繰り返しながら待ち合わせ場所で待っていると、程なくして修司しゅうじが改札の向こうから現れた。

 彼は今日仕事で、終業時刻を過ぎた待ち合わせだ。


「こんなトコで待ち合わせるなんて珍しいじゃん。行きたいトコでもできた?」


 急な呼び出しに文句ひとつ言わず、修司は私服姿でカラリとした笑顔を見せる。

 行きたい所なんて別にないけれど、『ただ会いたかった』なんて口が裂けても言うことが出来ず、美弦みつるはアイディアを絞り出した。


「甘いものが食べたくなったの。お茶しに行かない?」

「いいよ。なら、この間言ってたクレープ屋がこの辺だったろ? それ食ったらメシも行こうぜ」

「覚えてたんだ……」

「お前が食べたいって言ったんだろ? 驚いた顔すんなよ。そこでいい?」

「……いい」


 SNSで見掛けたバナナの飛び出たクレープにときめいて、投稿したお店を検索したことがあった。行ってみたいと言ったのは覚えているが、自分でもすっかり忘れていた。

 覚えてくれていたことは嬉しかったけれど、さっき飲んだココアが胃にしっかりと入っている。


 修司はスマホの地図で店の位置を確認し、「行こうぜ」と美弦の手を掴んだ。

 二人で居る時の修司は優しい。なのに前科ぜんかが幾つもあって、顔が見えない時は『今何しているんだろう』と不安になってしまう。


 ──『どこが好きなのよ?』


 そんな二葉の言葉が蘇って、美弦は横を見上げた。修司はすぐ視線に気付いて「何?」と前屈みになって顔を寄せて来る。


「クレープの事考えてた? あそこのチョコバナナ美味いんだってさ。俺はそれ食うけど、お前どうする? どうせなら半分ずつ食おうぜ」

「なら私はイチゴのがいい──じゃなくて。あのね、修司。私は修司のどこが好きなんだと思う?」

「──は?」


 急な話に、修司がギョッと目を見開いた。

 彼に対するしおらしさも何もあったものじゃない。大人しくクレープの話なんてしていられなかった。

 遠回しな言い方が出来ず、美弦は今更引けずに直球を投げる。


「友達に、私の事が好きだって言う男子が居るから会ってみないかって言われたの。どっかの御曹司でイケメンなんですって」

「言われたって、ちょっと待てよ。お前そんなのに興味あんの?」

「あるって言ったらどうするのよ」

「微妙な返事してんじゃねぇよ。まさか行く気じゃないだろうな?」


 繋がれた手にぎゅっと力を込めて、修司は不満を顔いっぱいに押し出してくる。


「行かないわよ。それで『今までたくさん男をフッてきた美弦は、今の彼のどこが良いんだ』って聞かれて」

「……うん、それで?」

「ちゃんと答えが出せなくて」

「はぁ?」

「だって。この間の事とか思い出したら……よく分かんなくなっちゃったんだもの」

「この間って、俺がライブ行った時の事?」

「そうよ」


 ちゃんと自覚はあるようで、彼の眉がピクリと動く。

 これ以上言ったら修司を追い込んでしまいそうなのは分かっていた。けれど、一度吐き出した勢いは止まらない。


「私よりアイドルが良いのかなって」


 口にした途端、寂しさが込み上げた。急に動けなくなって、うつむいたまま足を止める。


「そんな事絶対ない」

「この間も同じ事言ったわよね? それで納得できたって思ってたのに……」

「アイドルだって何だって、美弦とは全然違うだろ? 俺は美弦の事が一番だと思ってる。だから、こんなトコで泣くなよ」

「泣いてなんか──」


 『いない』と言おうとした瞬間、涙の味が広がった。

 道端で泣くつもりなんてなかったのに、一度流れた涙は暫く止めることが出来なかった。




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