156 修司のキモチは?

 「来いよ」と腕を引いて、美弦みつると路地へ入り込む。


 平日の夕方で駅の側という条件が重なり、通りは通勤通学の人で溢れていた。そんな中で彼女を泣かせたとなれば、周りの視線は槍のように刺さって来る。

 隠れたと言うには程遠い位置だが、その先にはまた別の繁華街が続いていて、これ以上はどうにもならなかった。


 修司しゅうじは電柱の陰でボロボロに泣く美弦を抱き締める。


「黙って行ったのは謝るよ。けどアイドルに会いに行くのは、個人が好きだとかそういうのじゃねぇし。元気貰うって言うか? 向こうはそういう仕事してるんだろ? お前への好きって気持ちとは全然違うの」


 彼女の涙で胸の辺りが熱かった。

 この間ジャスティのライブに行った事が、ずっと彼女の心の中にわだかまっているらしい。

 正直に話せばこんな事にはならなかったのかもしれないが、言った所でこころよく送り出して貰えたかと言えば違う気がする。普段から美弦の前でジャスティの話をすると、たちまち機嫌が悪くなるからだ。


「アンタがアイドルを見ながらニヤニヤしてるのを想像すると、気持ち悪いんだもの」

「そんな事勝手に想像すんなよ。お前がどう思おうと、俺はお前が一番なんだから。キスする相手も、それ以上の相手も、お前だけだって思ってる」

「手を繋ぐのは?」

「握手は手を繋ぐとは違うからな?」


 握手会の事も根に持ってる。美弦は涙いっぱいの目で、じっと上目遣いに修司を睨んでいた。

 沈黙が長い──けれど暫くその状態が続いた後、彼女の手がひしと修司の背中に回る。


「ここで行かないなんて約束したら、隠れていく事になるかもしれない。彼女たちには仕事で会う機会もあるだろうし、これからはちゃんと言うから」

「……分かったわよ」


 不貞腐れた空気が否めないが、修司は「ありがとう」と抱き締めた手に力を込めた。

 自分が悪いのは分かっている。これ以上理由を付けても言い訳にしかならない。


「じゃあ、キスしていい?」

「じゃあって何よ? アンタこんなトコで馬鹿じゃないの?」

「いいから」

 

 そんな気分だった。『馬鹿』だと言われてホッとしたら止められなかった。

 彼女の『馬鹿』はいつもの彼女に戻った合言葉みたいなものだと思う。


「恥ずかしいよ」


 通りすがりのカップルが何か言っている声が聞こえて、美弦が隠れるように修司の胸に顔を押し付ける。

 けれど、当のカップルは自分たちの世界に入っているだけだ。


「大丈夫、見られてねぇよ」

「本当──?」


 そろりと顔を覗かせる彼女に、「ホント」と笑う。


「見られたらどうすんのよ」

「アホなカップルだって思われるだけだろ? けど、いいじゃん? 今くらい」


 美弦は真一文字に唇を結んで、さっきの質問の答えをくれる。


「友達に、修司の事キーダーだから好きな訳じゃないでしょ? って聞かれたの。けどね、何度考えてもその理由は含まれてると思う。修司はキーダーだから、対等な関係で接してくれるもの」

「まぁ、俺がノーマルだったら今と同じようには居れないかもな」


 自分がバスクだった頃、キーダーの美弦に会ってその差に愕然とした。

 彼女の横に居たいと思ったから銀環ぎんかんを付ける選択をしたのだ。


「私が怒っても、本音を言っても、ちゃんと本音で返してくれる。そんな男子、他に会った事なかった」

「それは俺も自分で凄ぇと思ってるけどな」


 確かに、なかなか出来る事じゃないだろう。

 顔色を見て行動するのは良くないと言う奴も居るが、顔色を見ないとどうしようにもない事もあるのだ。自分の生活が平和であるための技だと思う。


「だから修司、隠し事はしないで」


 目を潤ませて訴える美弦に、修司は「心がける」ともう一度キスした。


 結局今日の呼び出しの理由は、彼女のそんな気持ちのせいだったようだ。 

 怒っている筈なのに怒鳴らない彼女に調子が狂うが、珍しく見せたしおらしさに気付いていないフリをして、そのままクレープ屋を目指した。



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