151 なんか違うような気がする

 廊下には誰も居ないと思っていた。

 すっかり油断して綾斗あやとと見つめ合った所で、思いもよらぬ人物の登場にハッとする。


田母神たもがみちゃんに木崎きざきくんだよな? 元気してたか?」

「は、はい」


 コーラのペットボトルを手に怪しげなイントネーションで挨拶してくるのは、キーダーの夏制服を着た男だ。

 前に何度か会った記憶はあるのに、京子は彼の名前をすぐに思い出すことが出来なかった。

 助けを求めて綾斗のシャツをこっそり握り締めると、彼はそれを察してか男に挨拶を返す。


曳地ひきちさんもお元気そうですね」

「まぁな。木崎くん背ぇ伸びたじゃねぇか。俺の事抜いたら罰金な?」

「罰金くらいで追い越せるなら、幾らでも払うんですけどね」

「良く言うよ」


 曳地と呼ばれた彼は、広げた右手を振って背比べのジェスチャーをする。ほんの少し彼の方が高いが、綾斗と殆ど変わりはなかった。

 京子はようやく思い出した名前に、彼との記憶を引きずり出す。


 彼は、中国と四国を管轄とする中国支部のキーダー・曳地貴文たかふみだ。

 中国支部のキーダーは彼一人で、やよいの葬式にも出ていない。


「で、二人は付き合ってんだって? 桃也とうやから奪うなんて、やるじゃねぇか。田母神ちゃんも恋多き女だな」

「セクハラですよ?」

「まぁいいじゃん? めでたい事だし」


 30代の彼相手に綾斗は容赦なく言い返すが、当の本人は気にもしていない様子だ。


「それより曳地さん、さっきの見ました?」

「桃也のスピーチか? 空で見たぜ。まさかあそこで言っちまうとは思わなかったけど、いいんじゃないの、事実なんだし。けどアイツが長官ってのが気に食わねぇな」


 曳地はヘリで来たらしいが、コージは昨日長官を置いて別の支部へ行っている。本部にコージの五番機以外が下りるのは珍しいような気がした。


「嫌なんですか?」

「当ったり前だ。後輩に敬語使えって事だろ?」

「あぁ──そっか」


 実際どうなるかは分からないが、建前はそうしろという事なのだろうか。


「あの胸像がアイツの顔になると思うとゾッとするね」

「あれ作り直しするんですか……?」

「長官になれば、変えるんじゃねぇの?」


 「あはは」と高らかに笑う曳地に、京子は口元を引きつらせた。


「けど、この世界は実力主義だからな。桃也にはその手腕を見せて貰おうぜ。やよいの事もそうだけど、松本さんの事があるしな。手が足りない時は言ってくれ。ウチは護兵ごへいが多いから、どうにかなる」

「ありがとうございます」


 曳地は長官と同じようなことを言って「任せろよ」と胸を叩く。

 手にしていたコーラを飲みながらきびすを返したところで「そういやさ」と二人を振り返った。


「アイツ元気?」

「アイツ?」


 曳地の名前すら出て来なかった京子には、それが誰を指す事なのかサッパリ分からない。


「あんまり元気はないみたいです」

「そっか。まぁいいや、それじゃな」


 綾斗とそんな会話をして、曳地は改めて下へ降りていく。

 彼の姿が見えなくなるのを待って、京子は綾斗を見上げた。


「誰の事?」

「久志さんだよ。久志さん、北陸の前は広島だったでしょ?」

「あぁ──そういう事か」

「ただ、仲はあんまり良くなかったみたいだけど。『コーラ男』って愚痴を良く聞かされてたから」

「へぇ。久志さんにもそういう相手が居るんだ」


 中国支部は広島にある。

 15歳から高校時代を本部で過ごした久志は、北陸支部ができる直前までの数年間広島に配属されていたのだ。

 仲が良くなかったとはいえ、やよいが死んだ後の久志を彼なりに心配しているのかもしれない。


「けど曳地さんってよっぽどコーラが好きなんだね。あ、そういえば!」


 すっかり忘れていた記憶を思い出して、京子はハッと開いた口に手を当てる。

 正月に空港で会った迷子少女『かの』の母親が、昔キーダーに助けられたことがあるという話だ。


 彼女が高校生だったという年代を照らし合わせて、京子はその相手がずっと曳地だと思っていた。

 今現在30代半ばで男のキーダーという条件に合った人物が、彼しか居なかったからだ。


 けれど彼女との会話を思い出して、京子は「うーん」と唸るように首を傾げた。

 何か違うような気がする。


「ねぇ綾斗、曳地さんって背の高いイケメンだと思う?」

「はぁ?」


 少し大きめな京子の声にぎょっとして、綾斗は「駄目だよ!」と小さく声を上げた。








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