114 男の顔には興味が湧かない

 アルガスの最下層にある地下牢に踏み込むのは、京子にも颯太そうたにとっても初めての事だった。

 ほんのり鼻を突くかび臭さと閉塞感に、京子はそっと自分の胸を押さえる。


 浩一郎との面会は、鉄格子越しに20分だけだ。

 廊下の奥は行き止まりになっていて、一番遠い扉からほの暗い明かりが漏れている。

 颯太は「行くぞ」と部屋の中が見える位置まで歩いた。


「誰だ」


 顔を見る直前に相手から掛けられた声は、焦った様子もない。

 彰人あきひとに良く似た、記憶のままの浩一郎の声だ。

 颯太そうたの傍らでぺこりと頭を下げ、京子は久々に会う浩一郎に「こんにちは」と挨拶した。物々しい鉄格子を挟んで向かい合う彼は、アルガス襲撃から三年という月日を全く思わせない笑顔で、「京子ちゃんか」と目を見開く。


「お久しぶりです、浩一郎さん」

「あぁ、あの時以来だもんね。随分綺麗になったんじゃない?」


 思いもよらぬ言葉に面食らって、京子は「いえ」と胸の前で両手を小さく横に振った。

 浩一郎はアルガスへ襲撃を仕掛けた張本人だけれど、彼への怒りのようなものは殆ど消えている。彰人に似た穏やかな表情に懐かしささえ覚えて、さっきまでの緊張が解けていった。

 ようやく『同級生のお父さん』に戻った彼のお世辞に、胸がくすぐったい。


「いや本当に。うちの嫁に来てくれたら歓迎するのに」

「それは……」


 10年前に同じことを言われていたら、大喜びしていたと思う。けれどもうその選択肢を選ぶことはないだろう。

 それでもハッキリ断るのは悪い気がして返答に困ると、浩一郎が「冗談にしといてあげる」と笑ってジロリと颯太を見上げた。


「で、君は誰? 京子ちゃんの恋人……って歳ではないよね?」

「恋愛に歳は関係ありませんよ。けど、残念ながら違います」


 あまり好意的ではない口ぶりの浩一郎に対し、颯太は挑むような返事を返す。


「だろうね。かんちゃんが面白い奴を来させるって言うから期待してたけど。君に会った事あったっけ?」

「ありますよ。けど、こんなに歳くってちゃ思い出せないのも仕方ない」

「そうか、ごめんね。男の顔にはどうも興味が湧かなくてさ」


 男だという理由もあるだろうが、20年以上の歳月が記憶も面影も消し去ってしまったようだ。

 颯太は短い顎髭あごひげを撫でながら、彼に一つ謎をかけた。


「君ならどうする──? って言えば思い出して貰えますか?」


 声色を変えた颯太の名演技だ。

 浩一郎が彼に相談を持ち掛けた時の再現だろう。


 一瞬黙った浩一郎が「あぁ」と眉を上げ、吹き出すような笑いを地下に響かせた。


「ハガちゃんか! オッサンになってて気付かなかったよ」


 旧姓、破霞はがすみ颯太──彼を昔のニックネームで呼んで、浩一郎は「懐かしいな」と目を細める。

 そんな表情がやっぱり彰人と同じだと思いながら、京子は二人の再会を横から眺めていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る