113 緊張してきた

「それって地下へ行くって事ですか?」


 颯太そうたに今から付き合って欲しいと言われてOKしたものの、行き先は京子の予想もしていない場所だった。

 彼が許可証を握り締めているのは分かっていたが、そのカードで踏み込める場所は他にも色々ある。

 驚く京子のほおを人差し指でツンと突いて、颯太は脱いだ白衣を自分の肩に引っ掛けた。


「まさかって思うのは仕方ねぇよ。俺だって言われた時は同じ顔してたぜ? 二日前、勘爾かんじさんが突然医務室に来て驚いたのなんのって。30年近く会ってなかったからな」

「本部に来たのは聞いてたんですけど。颯太さんに会う為だったんですか?」

「いや、俺はついで。浩一郎さんに会うのが目的だったみたいだ」


 勘爾こと成澤なりさわ勘爾は大舎卿だいしゃきょうの本名だ。アルガス解放前の彼を知る人は、みんな下の名前で呼んでいる。


「京子ちゃんの事心配してたぜ? 仲間の事ばっか考えてんのは、昔と変わんねぇな」

「私の事、って。何だろう……」

「ほら。京子ちゃんが気配読むのヘタ過ぎて、悪い虫が付くんじゃねぇかって男どもが心配してんだよ。だから浩一郎さんに会って、元を正して貰おうって訳さ」

「元を正す? 私、浩一郎さんに消された記憶は取り戻しましたよ?」

「自力で思い出した記憶なんだろ? けど、それはあの人が解いて得たものじゃない。その小さな食い違いに、わだかまってるものがあるんじゃねぇの?」


 小5の時に彰人あきひとがバスクだと知ってしまい、浩一郎にその記憶を消された。

 気配を感じ取る力が著しく低いのは、彼との出来事が誘因となって無意識に拒絶していたからだという結論に至っている。

 彰人との再会で記憶を取り戻し、少しずつ気配を感じ取ることができるようになったと思っていたが、それが全てではないのか。


「俺もハッキリ分からねぇけどさ、あの人に会って状況がクリアになったら、今より楽になれると思うぜ」

「けど、浩一郎さんはトールですよね?」

「呪いを解くのに能力は要らないんだってよ。意識に触れる力は、仕掛けた本人が死んでも戻るっていうけどな」

「呪い……か」


 それが全て解けた時、自分はどうなってしまうのだろうか。

 今の自分が全てだと思っていたのに、そうでないと言われて少し怖いと思ってしまう。


「もし思い出したくない記憶まで戻っちゃったら、どうすればいいんですか?」

「心当たりでもあんの? 彰人に告白でもしてた?」

「してはいない……と思います」


 その記憶に自信はない。

 彼の家に呼ばれて舞い上がっていた子供の自分は、その勢いで何をしていたか分からない。よくよく考えてみれば、あの家から帰宅した記憶は残っていないのだ。

 動揺する京子に、颯太は「あっはは」と笑う。


「昔の事だろ、気にすんなって。それより抑制された記憶が戻ったら、銀環を外した時みてぇに反動が来る筈だ。三日三晩とまではいかねぇが、今夜は少し辛いと思うぜ」

「そうなんだ。だから颯太さんは、私に夜の予定を聞いたんですね」


 銀環を外すと身体にダメージを喰らうのは周知の事実だ。

 アルガス解放でトールになった時、颯太はその場で吐いたらしい。

 「そうだ」と笑んだ彼は、地下へと歩きながらそんな昔話を話してくれた。



   ☆

 部屋を出た時は威勢が良かった颯太だが、階段を一段降りる毎にその表情から笑顔は消えていった。歩くペースも大分落ちてしまう。


 地下通路の奥に構える護兵ごへいに許可証を見せて、まず一つ目の扉を潜った。

 浩一郎の居る場所は最下層で、もう1フロア下がらなければならない。


 ここからは電波が入らなくなると言われて、京子はポケットで震えたスマホを取り出した。

 綾斗からの返信は『じゃあ次の機会に』という前向きなメッセージに、少し残念そうな顔をした動物のスタンプが添えられている。

 彼の言う『次』が近い未来だと実感できるのが嬉しいと思いながら、京子は『ありがとう』と返事してモニターを暗転させた。


 少し歩いたところで、颯太が「ふぅ」と息をつく。窓がないせいで、細い廊下が少し息苦しい。


「大丈夫ですか?」

「ヤベェ、年甲斐もなく緊張してきた。ここに居る頃、勘爾さんと話すことはあっても浩一郎さんとなんて殆どなかったからな」

「けど相談されたんですよね?」

「一回だけな。俺もキーダーの中じゃ相当面倒なガキだと思われてたんだろうけどさ、浩一郎さんは苦手だった」


 アルガス解放が迫って、浩一郎は恋人のハナを連れて行くかどうかを、それまで交流のなかった颯太に尋ねたのだという。


「何で俺だったのかって、いまだに思う。昨日まで彰人が本部に来てただろ? あの二人似てんだよ、それでアイツ見るたびに浩一郎さんの事思い出してたら胃がキリキリしちまってな」


 みぞおちの辺りをさすりながら、颯太は苦笑いする。

 浩一郎との面会時間は20分だ。

 とぼとぼと最下層へ下りる。最後に待ち受ける護兵は、メンバーの中で最年長の男だ。


 彼はふっくらと笑んで颯太に頭を下げると、京子へ敬礼して背中で護っていた鉄の扉を開いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る